まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第13回中国四十九薬師めぐり~第21番「不動院」(参議院選挙のついでに・・)

2022年07月06日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは前回に因島、生口島、安芸津と回り、広島までコマが進んだ。広島県内は、次の第21番・不動院と第22番・大願寺を残すところだ。

この2ヶ所とも、広島新四国八十八ヶ所の札所も兼ねていてすでに回っているし、いつでも気楽に行くことができる。とはいえ、ここを過ぎてようやく山口県に入ることもできる。機会をとらえて回っておこう。

7月3日、日曜日だが午前中は仕事都合で職場に出社していた。そして昼から、時間が空いたので不動院に行くことにした。そのまま宮島に行くことも可能なのだが(ちょうどこの日、広電の宮島口駅も移転、リニューアルされたばかりという)、宮島は「ついで」で行くにはもったいないので、また別の日とする。

自宅から不動院に行くなら、高須から広電で西広島まで出て、山陽線で新白島、そしてアストラムラインで不動院前に行くのがスムーズだが、この日はマイカー通勤先の職場からスタートのため、クルマで行く。市内中心部を通過するので時間がかかるかな。

途中、西区役所に立ち寄って参議院議員選挙の期日前投票を済ませる。投票日の7月10日は、前々から入れていた所用のため自宅にはいない予定である。まあ、私の所用といえばおおよその見当がつくだろうが、7月10日が参議院議員選挙の投票日になったのは、私の予定が決まってから後のことだ。

広島の参議院議員選挙といえば・・・前回3年前の選挙で河井克行・案里夫妻により行われた大規模買収事件である。広島県議会、市議会議員にもこれに関連した者たちが多数いて(西区の私のすぐご近所に実家があるT・G元市議会議員もその一人)、「政治とカネ」の問題がクローズアップされたところである。

その後の再選挙では野党候補が勝利したのだが、昨年の衆議院総選挙では自民現職が圧勝。そして今回の参議院だが・・・「政治とカネ」の問題はあまり取り上げられていないようである。まあ、身近な関心事としては物価高、コロナ復興をはじめとした経済関連が大きなところで、次いでロシア×ウクライナ紛争に関連した外交、軍事関連が多いようだ。もちろん、それらのほうが大きな関心事であるが、少なくとも広島県については、前回案里・・もといあんな事件があった選挙区であることを意識して、良識ある投票をしていただきたいものだ。

広島選挙区には改選2に対して過去最多の10人が立候補。政治団体、無所属含めて多士済々である。ただ、当選者が2人となると、どちらが1位になるかはさておき、順当にこの候補とあの候補が当選するものと思われる。この選挙結果も自然なものとして、3年前のことなどもう過去の話となるのだろう。

私はといえば、選挙区の結果は目に見えているのでせめて比例区では・・という思いで投票した。その結果やいかに・・・。

そのまま市内を通過して、不動院に到着。クルマを下りるとムワッとした熱気が体を覆う。参道をそのまま走り、山門の脇から駐車場に入る。

不動院、正式には安国寺不動院という。安国寺は南北朝時代、足利尊氏が戦乱で命を落とした人たちを弔うため、夢窓疎石のすすめで諸国に開かれた。安芸の国にも安国寺が開かれ、守護の武田氏の菩提寺だったが戦国の争乱の中で焼失した。

これを復興したのが毛利氏に仕えていた僧・恵瓊である。京都にて諸国の情報を集める外交僧として活躍し、備中高松城の水攻めの最中に本能寺の変が起こった時は、毛利側の代表として交渉をまとめて和議を結び、その後も豊臣秀吉と毛利氏の仲を取り持つ役割を果たした。そのことで、恵瓊自身も秀吉の手で後に大名として取り立てられた。

本堂にあたる金堂は、恵瓊が周防山口の寺にあったのを移築したものである。本尊の薬師如来がこちらに祀られていて、まずは中国薬師のお勤めである。この金堂はその後の歳月、あの原爆でも大きな被害を受けずに残り、広島市内に現存する唯一の国宝である。その原爆投下の直後、市内から大勢の人たちが不動院にも避難してきた。ただ、この不動院で治療の甲斐なく亡くなった方も多かったそうである。

不動院という名前にもあるように、こちらの不動堂は広島新四国八十八ヶ所の本尊不動明王が祀られている。こちらでも手を合わせる。

境内の裏手に墓地がある。そういえば、広島新四国の時には訪ねていなかった。寺としては真言宗なのだが、浄土真宗のご利益の一つである「倶会一処」が彫られた墓も目立つ。さすが、安芸門徒の地域である。

その奥にあるのが4基の石墓。中央にあるのは豊臣秀吉の遺髪を埋めた墓。その横には安国寺恵瓊、そして関ヶ原の戦い後に安芸を治めた福島正則の墓。

さらには、安芸の守護で銀山城主だった武田刑部小輔の墓がある。銀山城は毛利氏の攻撃により落城、安芸武田氏も滅亡したのだが、安国寺恵瓊はもともとその武田氏の一族だったという。その縁もあってここに墓を建てたのだろう。

納経所にケースがあり、中国四十九薬師の朱印はこちらでいただく。

さてこの日はこのまま太田川放水路沿いに出て、クルマを走らせて帰宅した。次は宮島の第22番・大願寺だが、宮島は宮島で改めて行くことにしよう。そろそろ、2県目もクリアしないとね・・・。

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