第10番の切幡寺を終えて、この第2回の四国八十八所めぐりは終了である。ここから帰途に着くわけだが、行きのように近くに高速バスの停留所があるわけではなく、今度は長い歩きとなる。徳島バスの二条中や、市場交通の市場の停留所がそれぞれどのようなものか気になるが、今回はあえて7キロ離れた徳島線の阿波川島駅まで歩くことにする。その理由は「吉野川にかかる橋を自分の足で渡ってみる」ためで、切幡寺からの歩きで見られる「潜水橋」というのがある。四国八十八所めぐりらしい風景としてよく紹介されている。今日はまだ体が持ちそうなので目指してみる。
今度は下り坂で門前町を歩き、吉野川を目指す。途中の邸宅の前には巡礼姿のマネキンとベンチがあり、休憩もできる。ここで西洋風のマネキンというのがシュールだ。
さて、この日の朝から何度となく目にして、この辺りの遍路のスポンサーかと言いたくなるくらい看板が出ている「八幡」はもうすぐ。14時を回り、昼食としては遅くなるがうどんをいただこうか。ここは旅館も経営しているが、その横には新たにビジネスホテルが建設中である。
ただ、広い駐車場にはクルマの姿がほとんどない。平日ということもあるのかなと入口まで行くと・・・何と「本日終了」の文字。え!?
「本日終了」はどう理解すればいいのか。ランチタイムが限られていて、もう終わったのか。定休日なら本日定休だろうが、全部この看板で統一しているのか。ものの本やネットでは特に昼間閉めるとはなく、定休日もない。ひょっとしたら、盆の時期の振替休みとか。よくわからない。
はっきりしているのは、この時点で昼食抜きが確定したこと。非常用のゼリーと自販機の麦茶で補給するが、阿波川島駅まではもう1時間かかる。近くに食事ができる店はない。これなら、先ほど入りにくい雰囲気だった法輪寺の門前の茶店に無理にでも入っておけばよかった。
他に、駐車場の片隅に腰を下ろしている人、そして少し歩くと、法輪寺でも見かけた外国人の歩きの夫婦連れが道端に腰かけているに出会う。ひょっとしたら同じように「八幡」で空振りしたクチかな。あれだけあちこちにデカデカと看板を出していてこのザマかとぼやくが、仕方ない。巡礼では腹を立ててはいけない。
気を取り直して歩く。ここから八幡の集落で、小さな食料品店もあるが、もういいかと何も買わずにそのまま歩を進める。自転車に乗った子どもが私の姿を見て「こんにちは!」と声をかける。私も負けずに「こんにちは!」と返す。2~3人いた。笈摺は脱いでいるが、金剛杖を持っているので巡礼と認識したか。
ここで改めて気づいたのが、朝に土成のバス停を降りてからここまで「地元の歩行者」を見ていない。田園風景は広がるが家屋もそれなりにあり、そこまで過疎というわけではない。また切幡寺からこちらは昔ながらの町の景色である。それでも歩行者がいない。昼間暑いから外に出ない、年寄りだから外に出ない、外に出るなら全てクルマ・・・。まあ、時間帯にもよるのだろうが、クルマはいくらでも行き交うが、家の庭先で家事や作業をしているのを除けば、人が行き交うというのがない。歩いてみて初めて感じたことである。他の歩き巡礼・遍路の皆さんはどう感じておられるだろうか。
吉野川の土手が見えてきた。いよいよこれを渡る。前方に伸びているのは潜水橋。よく「沈下橋」と呼ばれるそうだが、沈下橋は四万十川のもので、吉野川は潜水橋である。水量が増えた時にゴミをせき止める役目もあるが、そのまま水をかぶって流されても、修復や再建が容易という利点がある。それが吉野川にかかっているが、幅は3メートルほどのもの。クルマの離合はできず(所々に待避スペースはある)、歩行者も縁まで寄ってやり過ごさねばならない。そんなところだがクルマはバンバンやってくる。中でも軽トラが多い。
そのわけは、潜水橋を渡った先の中洲。善入寺島という。広さは日本一で、東西6キロ、南北1.2キロ、甲子園球場121個分の面積を持つ。「島」の字が当てられるのもうなずける。最大で3000人ほどがこの「島」に住んでいたという。ただ、吉野川の増水のために冠水することも多く、安全のために住民たちを立ち退かせることにした。それでも生活保障のために耕作地としての使用は認めた。
川の中洲で農業なんて・・・と思うが、広大な農地が広がり、さまざまな作物がある。畑だけでなく水田もある。行き交う軽トラは、ここで作業する人たちのものだった。なかなか面白い景色であるが、これが都市だと例えば大阪の中之島などが該当するのかなと。
この区間は長く感じた。一面田畑ということで日差しを避けるところもない。何とか、中洲の南側の潜水橋にたどり着く。こちらのほうが長く、川面にも近い。そこを渡りきり、土手の階段を上がってドカッと腰を下ろす。「八幡」から初めての休憩である。ここから、潜水橋を渡るクルマの動きがよく見える。橋の幅が狭い中、それぞれたもとで譲り合っているのが慣れた感じに見える。
ここまで来ると駅は近い。途中、川島城の天守閣を横に見て、駅前通りに入る。ようやくゴールが近い。その駅前通りで、ようやく初めての「歩行者」に遭遇する。
この阿波川島の駅前の民家に、「住民には布教からの自由 平穏な生活を営む権利がある」などと書かれた看板が目につく。一瞬、「遍路お断り」の町なのかと思って身構える。
この「布教」として住民を悩ませているとされているのは、あの「幸福の科学」。駅前に教会があるが、帰宅して調べたところでは、ここ阿波川島は大川隆法氏の出身地であり、その意味では教団にとっては聖地のような扱いなのだとか。私が来た時は幸福の科学の関係者らしい姿もなかったが、それなりに地元とのトラブルもあるのだろうか。弘法大師VS大川隆法というのも何だか見てみたいような。
列車は15時41分発の徳島行きである。待つほどもなくやって来た一両の列車に乗ると、外は急に雲が広がり、雨が降ってきた。もう少し遅ければ雨に遭っていたかもしれず、やれやれだ。次からは、徳島線沿線の札所を回ることになる。四国八十八所も、10ヶ所を終えて次のステージに向かう心持ちである。
徳島に到着。本日の行程も終わり、後はJRバスで難波に戻る。本来なら打ち上げの一杯・・・というところだが、あまりにも空腹。また、汗でベタついた体が、今度は列車のエアコンで余計に冷える感じである。下手すると風邪を引いてしまう。食事もそうだが風呂にも入りたい。
徳島駅前のホテルサンルートには「びざんの湯」という大浴場がある。四国巡礼のブログ記事で、ここが日帰り入浴(720円)をやっていて、このブログの方も高速バスに乗る前に一浴するのだとか。フロントで訊ねると直接11階に行くように案内される。入浴券の券売機がある。まだ16時半すぎということで他の宿泊客の姿もなく、浴槽を独り占めだ。フェンス越しに徳島の町並みや眉山の頂上を見る。身体も温まり、実にさっぱりした。これからもここは使いたい。
で、食事だがもうガッツリした居酒屋料理は入らない。ならばシンプルにと、王将にて餃子。ようやく落ち着いた。
結局帰りは最終バスを繰り上げて18時15分発に乗る。ちょうど帰宅時間帯と重なり、徳島市街が結構混んでいた。でもシートに座っていれば大阪に戻れる。
次は第11番を目指すのだが、その名も「藤井寺」。大阪の藤井寺市民としては、「徳島に藤井寺」というのがすごく気になる存在である。さらにその次は「遍路ころがし」と呼ばれる難所として知られる第12番の焼山寺。ここからが本格的なルートとなるが、さてどのように行くか・・・・。
今度は下り坂で門前町を歩き、吉野川を目指す。途中の邸宅の前には巡礼姿のマネキンとベンチがあり、休憩もできる。ここで西洋風のマネキンというのがシュールだ。
さて、この日の朝から何度となく目にして、この辺りの遍路のスポンサーかと言いたくなるくらい看板が出ている「八幡」はもうすぐ。14時を回り、昼食としては遅くなるがうどんをいただこうか。ここは旅館も経営しているが、その横には新たにビジネスホテルが建設中である。
ただ、広い駐車場にはクルマの姿がほとんどない。平日ということもあるのかなと入口まで行くと・・・何と「本日終了」の文字。え!?
「本日終了」はどう理解すればいいのか。ランチタイムが限られていて、もう終わったのか。定休日なら本日定休だろうが、全部この看板で統一しているのか。ものの本やネットでは特に昼間閉めるとはなく、定休日もない。ひょっとしたら、盆の時期の振替休みとか。よくわからない。
はっきりしているのは、この時点で昼食抜きが確定したこと。非常用のゼリーと自販機の麦茶で補給するが、阿波川島駅まではもう1時間かかる。近くに食事ができる店はない。これなら、先ほど入りにくい雰囲気だった法輪寺の門前の茶店に無理にでも入っておけばよかった。
他に、駐車場の片隅に腰を下ろしている人、そして少し歩くと、法輪寺でも見かけた外国人の歩きの夫婦連れが道端に腰かけているに出会う。ひょっとしたら同じように「八幡」で空振りしたクチかな。あれだけあちこちにデカデカと看板を出していてこのザマかとぼやくが、仕方ない。巡礼では腹を立ててはいけない。
気を取り直して歩く。ここから八幡の集落で、小さな食料品店もあるが、もういいかと何も買わずにそのまま歩を進める。自転車に乗った子どもが私の姿を見て「こんにちは!」と声をかける。私も負けずに「こんにちは!」と返す。2~3人いた。笈摺は脱いでいるが、金剛杖を持っているので巡礼と認識したか。
ここで改めて気づいたのが、朝に土成のバス停を降りてからここまで「地元の歩行者」を見ていない。田園風景は広がるが家屋もそれなりにあり、そこまで過疎というわけではない。また切幡寺からこちらは昔ながらの町の景色である。それでも歩行者がいない。昼間暑いから外に出ない、年寄りだから外に出ない、外に出るなら全てクルマ・・・。まあ、時間帯にもよるのだろうが、クルマはいくらでも行き交うが、家の庭先で家事や作業をしているのを除けば、人が行き交うというのがない。歩いてみて初めて感じたことである。他の歩き巡礼・遍路の皆さんはどう感じておられるだろうか。
吉野川の土手が見えてきた。いよいよこれを渡る。前方に伸びているのは潜水橋。よく「沈下橋」と呼ばれるそうだが、沈下橋は四万十川のもので、吉野川は潜水橋である。水量が増えた時にゴミをせき止める役目もあるが、そのまま水をかぶって流されても、修復や再建が容易という利点がある。それが吉野川にかかっているが、幅は3メートルほどのもの。クルマの離合はできず(所々に待避スペースはある)、歩行者も縁まで寄ってやり過ごさねばならない。そんなところだがクルマはバンバンやってくる。中でも軽トラが多い。
そのわけは、潜水橋を渡った先の中洲。善入寺島という。広さは日本一で、東西6キロ、南北1.2キロ、甲子園球場121個分の面積を持つ。「島」の字が当てられるのもうなずける。最大で3000人ほどがこの「島」に住んでいたという。ただ、吉野川の増水のために冠水することも多く、安全のために住民たちを立ち退かせることにした。それでも生活保障のために耕作地としての使用は認めた。
川の中洲で農業なんて・・・と思うが、広大な農地が広がり、さまざまな作物がある。畑だけでなく水田もある。行き交う軽トラは、ここで作業する人たちのものだった。なかなか面白い景色であるが、これが都市だと例えば大阪の中之島などが該当するのかなと。
この区間は長く感じた。一面田畑ということで日差しを避けるところもない。何とか、中洲の南側の潜水橋にたどり着く。こちらのほうが長く、川面にも近い。そこを渡りきり、土手の階段を上がってドカッと腰を下ろす。「八幡」から初めての休憩である。ここから、潜水橋を渡るクルマの動きがよく見える。橋の幅が狭い中、それぞれたもとで譲り合っているのが慣れた感じに見える。
ここまで来ると駅は近い。途中、川島城の天守閣を横に見て、駅前通りに入る。ようやくゴールが近い。その駅前通りで、ようやく初めての「歩行者」に遭遇する。
この阿波川島の駅前の民家に、「住民には布教からの自由 平穏な生活を営む権利がある」などと書かれた看板が目につく。一瞬、「遍路お断り」の町なのかと思って身構える。
この「布教」として住民を悩ませているとされているのは、あの「幸福の科学」。駅前に教会があるが、帰宅して調べたところでは、ここ阿波川島は大川隆法氏の出身地であり、その意味では教団にとっては聖地のような扱いなのだとか。私が来た時は幸福の科学の関係者らしい姿もなかったが、それなりに地元とのトラブルもあるのだろうか。弘法大師VS大川隆法というのも何だか見てみたいような。
列車は15時41分発の徳島行きである。待つほどもなくやって来た一両の列車に乗ると、外は急に雲が広がり、雨が降ってきた。もう少し遅ければ雨に遭っていたかもしれず、やれやれだ。次からは、徳島線沿線の札所を回ることになる。四国八十八所も、10ヶ所を終えて次のステージに向かう心持ちである。
徳島に到着。本日の行程も終わり、後はJRバスで難波に戻る。本来なら打ち上げの一杯・・・というところだが、あまりにも空腹。また、汗でベタついた体が、今度は列車のエアコンで余計に冷える感じである。下手すると風邪を引いてしまう。食事もそうだが風呂にも入りたい。
徳島駅前のホテルサンルートには「びざんの湯」という大浴場がある。四国巡礼のブログ記事で、ここが日帰り入浴(720円)をやっていて、このブログの方も高速バスに乗る前に一浴するのだとか。フロントで訊ねると直接11階に行くように案内される。入浴券の券売機がある。まだ16時半すぎということで他の宿泊客の姿もなく、浴槽を独り占めだ。フェンス越しに徳島の町並みや眉山の頂上を見る。身体も温まり、実にさっぱりした。これからもここは使いたい。
で、食事だがもうガッツリした居酒屋料理は入らない。ならばシンプルにと、王将にて餃子。ようやく落ち着いた。
結局帰りは最終バスを繰り上げて18時15分発に乗る。ちょうど帰宅時間帯と重なり、徳島市街が結構混んでいた。でもシートに座っていれば大阪に戻れる。
次は第11番を目指すのだが、その名も「藤井寺」。大阪の藤井寺市民としては、「徳島に藤井寺」というのがすごく気になる存在である。さらにその次は「遍路ころがし」と呼ばれる難所として知られる第12番の焼山寺。ここからが本格的なルートとなるが、さてどのように行くか・・・・。