まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

二宮金次郎と静岡の風味

2016年08月29日 | 旅行記D・東海北陸
掛川駅の北口に戻る。ロータリーに目をやると、薪をしょった後姿の銅像がある。写真は撮らなかったが、あの姿は二宮金次郎である。昔はあちこちの学校に、薪をしょって本を読んでいる二宮金次郎の銅像が建っていたが(私の通っていた学校にはなかった)、最近ではこの像も撤去されたり、あるいは「座らされたり」ということで、めったにお目にかからなくなっている。元々は「勤勉」の象徴として建てられたものだが、そうした精神が今時の教育方針に合わないという声があるようだ。まあ、勤勉というのが戦前の道徳観でいえば「国家や天皇に対する勤勉」という感じで語られている面があり、その反動もあるのかなと思う。ただ最近はそうではなく、「子どもに薪を背負わせて労働させるのは児童虐待である」とか、さらには「交通安全上よくない」というもの、挙句の果てには「ながらスマホを助長する」というほとんど言いがかりのような理由もあるのだとか。よくわからない。

・・・で、そうやって勤勉に励んだ二宮金次郎少年が大人になって何をしたか・・・・そこについてはほとんど触れられることはない。学校の歴史の時間でもほとんど触れなかったのではないかと思う。ものの本によれば思想家、農政家として農村の振興政策や藩財政の建て直しに尽力をしたが、日本の経済史に大きな業績を残した・・・とまでは言えないほどの活躍(別に、成人した二宮尊徳をディスっているわけではない)。その中で彼の思想として知られているのが「報徳思想」。ウィキペディアなどによれば、「経済と道徳の融和」とあり、私利私欲や自分の幸福だけを追求するのではなく、この世のすべてに感謝し、それに報いる行動をすることが、社会のためにも自分のためにもなる・・・というものである。

ではなぜ掛川の駅前に二宮金次郎の像があるのか。確か彼は小田原の出身ではなかったか。後でネットで調べたところでは、二宮金次郎の弟子に、掛川の庄屋であった岡田良一郎という人がいて、報徳思想を実践する「大日本報徳社」をこの地に設立した。そのことから、掛川に新幹線駅ができた昭和63年にこの像ができたという。ちなみに「報徳」と聞くと、高校野球や高校駅伝で有名な兵庫の報徳学園を連想するが、この学校も二宮金次郎の「報徳思想」の教育の場として設立されたものである。

・・・こんな長話をしても暑いだけで、夕方近くなって喉も潤したい。駅前は一般的なチェーン居酒屋のほかに、静岡の味を楽しませてくれそうな看板の店も並ぶ。掛川というところは観光というよりはビジネス・出張で訪れる人が多いようで、帰りの新幹線に乗る前に一杯・・・という感じである。その中で入ったのは「静岡居酒屋 光琳」というところ。県内で展開しているチェーン店のようで、さまざまな静岡グルメがいただけるというので入ってみる。

特に「掛川の郷土料理」で思いつくものはないので、ここは定番の静岡ものということで、カツオの刺身に静岡おでん、浜松餃子というところをいただく。

料理の味はまずまずというところで、それより印象に残ったのは飲み物。サッポロの静岡県限定販売の「静岡麦酒 ふじのくに限定」というもの。口当たりがなめらかで、すっきりとしている。辛口とはまた違った澄んだ飲み味である。一部の飲食店でいただける他、この先駅の売店やコンビニでも缶を見かけることになる。

そしてもう一つが焼酎の緑茶割り。通称「静岡割り(しぞーか割り)」である。お茶が名産の静岡らしい飲み物で、緑が鮮やかである。普通のペットボトルの緑茶ではここまでの色は出ず、それ用の粉末でも使っているのだろうか。こちらも名称こそ「お茶割り」だったが、駅の売店やコンビニで缶が普通に売られていた。

一通り楽しんで、宿泊先のステーションホテルに戻る。このホテルでは夕方の時間帯に「ウェルカムドリンク」として飲み物一杯のサービスがある。玄関を入ったところの小ぶりなロビーでいただくのだが、この生ビールサーバーが「静岡麦酒」だった。ワンドリンクはもちろんこちらを選択。その後は部屋でくつろぐ。まだ夕方のローカルニュースの時間帯であるが、午前中に行われていたオリンピックの男子卓球団体の決勝戦の話題一色。その理由は、決勝で敗れたものの男子卓球で初の団体銀、個人銅の水谷隼選手が静岡の磐田出身であること。おまけに、女子団体で出場の伊藤美誠選手も同じ磐田出身ということで、ニュースは卓球一色である。関西ではさほど感じられない「地元選手へのフィーバー」というのを少し感じたところである。

これにて1日目の行程は終了。外はまだまだ新幹線の通過音が響く・・・。
コメント