まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第2回四国八十八所めぐり~第9番「法輪寺」

2016年08月22日 | 四国八十八ヶ所
第8番の熊谷寺のお参りを終えて、山門を再びくぐって遍路道を歩く。次の法輪寺までは約2.4キロ。

ここまでは旧街道や集落に沿ったところが多く、一部大日寺に向かう途中で山道もあったが、法輪寺までは田園風景が広がる。盆を過ぎたばかりだが、稲刈りの作業に出会う。もうそんな季節かな。大阪近辺ではまだ稲穂が実る景色を見なかったから、この辺りは気候的に早いのか、あるいは早稲の品種なのか。相変わらず暑い日が続くが、長い目で見れば季節は少しずつ進んでいることである。半年後には、毎日クソ寒いなどとぼやいているはずだ。

同じような田園風景が続くが、遍路道の案内ステッカーや標識のおかげで迷うことはない。

広い道に出て、歩道が切れているので反対に渡ろうとする。前からクルマが走ってきて、私の少し前で停まる。ただ、私を先に渡らせる感じではなく、すぐにまた発車した。運転手がスマホを手にしていたから、あれは私の姿を撮っていたのかもしれない。「お遍路さん」として。

確かに笈摺を羽織り、金剛杖はついている。ただ、前にも書いたが、私のやっていることは、その筋に言わせれば単なる観光の札所めぐりでしかなく、決して「遍路」ではない。通しか区切りかは問わないにしても、遍路とは全て歩き通した人だけが名乗ることができる称号・特権であり、公共交通機関を積極的に使おうと言ったり、実際に第1回の時に札所間の移動でバスに乗ったりいう時点で、遍路を名乗る資格はないただのブタ眼鏡である。ガチの遍路や先達たちから指導教育の名目で金剛杖や錫杖でシバかれた上に、簀巻きにされて吉野川に浮かべられても文句は言えないくらいのカスでしかない。

・・・そんな感情を堪えつつ歩くと、黄金色の田園の向こうに塀に囲まれた建物が見える。あれが法輪寺である。地元では「田中の法輪さん」と親しまれているそうだ。

東に向いて建つ山門をくぐる。正面に本堂、その向かって右隣に大師堂が東向きに並ぶ。本堂と大師堂が揃って同じ方角を向いているのに出会うのは初めてである。

まずは本堂に向かう。こちらの本尊は、四国八十八所唯一の涅槃釈迦如来。釈迦入滅(亡くなる)時の姿を「涅槃に入る」というが、その時の様子を像にしたのが涅槃釈迦如来。法輪寺は元々ここから4キロ北の位置にあったが、戦国時代に長宗我部元親の手で焼き払われ、今の地に移ったのは江戸初期。その後火災もあり、現在の建物は明治時代の再建という。

本尊は5年に一度の開帳とかで、今はお供えものに松葉杖があるのが見えるくらい。他に草鞋も奉納されていたから、足のほうのご利益があるのだろう。その涅槃像、四国八十八所の霊場会や、他のサイトなどによると「頭を北にして、顔は西を向き、右肩を下にして横たわる」姿だという。これが最も安らかな体勢だとか。

うーん、以上の内容からすると、涅槃釈迦如来は参詣者に背中と尻を向けているのかなと思う。まさか本尊は参詣者に尻を向けないだろう・・・というのなら、誰がが間違っていることになる。あるいは、焼き払われた元の寺院と今の寺院では本堂の向きが違うから問題ないとか。いや待て、涅槃釈迦如来だって、どこかのタイミングで寝返り打って逆の体勢になったのかもしれない。

・・・とまあ、それはいつか正解に当たるということで、この後で隣の大師堂でもお勤めをする。そして納経所へ。最近新たに建てたのか、新しい感じだし、きれいなトイレも併設されている。「急に雨が降るかもしれないのでお気をつけて」という言葉に送られる。

時刻は12時を回ったところ。次の切幡寺までは徒歩で1時間。普通に腹は減っている。普通の感覚なら、ここで昼食である。法輪寺の門前にはうどんや饅頭を売る2軒の店がある。以前の記事で、切幡寺の後のうどん屋の看板のことを書いた。法輪寺の周囲にもこの「八幡」の看板があり、空腹だが昼食はそこまで我慢することにする。四国めぐりの記事でも多く取り上げられている店であることもそうだが、法輪寺の前の2軒が私には入る気がしなかったこともある。1軒では店のオバちゃんが常連客らしいのとおしゃべりに夢中だし(そもそも、相手の男は常連「客」なのか?)、もう1軒では店主らしい夫婦が揃って店の長椅子に横たわってお昼寝の模様。

こんな状態のところに無理に入ることもないだろう。ということで、ペットボトルのお茶だけ飲んで、昼食までの歩きとしてまずは切幡寺に向かう・・・。
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