西国、新西国、四国八十八と、いろいろな札所めぐりの記事が入り乱れていて恐縮ですが・・・。
私が札所めぐりをするようになったきっかけはJR西日本がキャンペーンを展開している西国三十三所であるが、2018年に草創1300年を迎える。これは四国八十八所よりも古い伝統のもので、四国とはまた違った歴史、発展をしてきたものである。
この1300年を記念して、2018年を中心とした前後の2年間、合計5年間をかけてさまざまな催しが行われる。詳細は札所会のこちらのサイトにあり、それぞれの札所にて期間を決めて特別拝観が行われていたり(私も第4番の施福寺を訪ねた時に特別拝観に出会った)、昔ながらの徒歩で「法灯」をリレーする企画などが行われている。
その一つに「月参り巡礼」がある。東日本大震災をはじめとした自然災害からの復興や、世の安寧を願うために各札所持ち回りで法要が実施される。そして、この月参り巡礼の開催と合わせて、その日限定の特別な朱印を押すということも行われる。この4月に第1番の青岸渡寺から始まり、以下、月1回のペースで持ち回りで行われる。
現在、2016年度分として第12番の岩間寺までの日程が発表されているが、その日程全てに出かけることはできないし、2巡目はそれこそ時季や順番にこだわらず回ろうと思っているのでそれほど「行かなくちゃ」という想いはなかった。
ただ、藤井寺に住む者としては、やはり地元の第5番・葛井寺くらいはせっかくなのでどんなものか見てみたい。それがちょうど8月21日に行われるというので、これはぜひとも行ってみる。なお朱印は「この日限定」と言われているものの、朱印そのもののデザインはサイトでも紹介されている共通のもので、寺ごとにデザインが変わるわけではない。まあ、納経帳のその寺のスペースに特別な朱印が入ること自体に意味があるわけだが、これについては一つ押してもらっておけば十分かなと思う。
21日の9時半すぎに境内に向かう。10時からの法要がどのように行われるのかわからないが、リュックには西国先達の輪袈裟と数珠、経本を入れる。納経帳は西国先達の巻物ではなく、1巡目で使った大判のものを持参する。巻物には押せるスペースがなさそうだし、大判のものに重ね印を押してもらえばいいか。
初詣や藤まつり、千日まいりの時以外はさほど混雑することのない葛井寺だが、9時半をすぎると納経所のある本堂内外陣は行列ができていた。やはり知っている人は知っているものである。おそらく第1番の青岸渡寺から続けて回っている方も多いことだろう。
その中で「法要の方は中へどうぞ」と招かれる。特別に拝観料を取ることもなく、逆にお接待ということで授与品をいただく。また経本のない人には観音経と般若心経のコピーが渡される。本尊の前を通り奥へ詰めるよう案内される。正面からは外れるがこちらのほうがエアコンもかかっているし、パイプ椅子に座れるので楽だった。中に入るくらいだから「お参り度合」としては熱心そうな方が多く、先達の輪袈裟をしている人や、中には笈摺着用の人もいる。
時間となり法要。まずは僧侶たちの声明に始まり、続いて読経である。私も周りの人と一緒に唱和する。普段の札所めぐりの時と比べると読み方はゆっくりで、本来はこのくらいがいいのかな。
一通り終わったところで、住職からの法話である。旬の話題ということでリオ五輪の話題、高齢化社会のことについて。「皆さんはどの競技が印象に残っていますか」と振った後で、住職はバドミントンの「タカマツペア」や重量挙げの三宅選手などの名前を出したが、もっとも驚いたのは新体操だったとか(「あんなんようやるわ」というのがその理由)。また高齢化社会では姥捨伝説の故事を引き合いに出し、「今の方は『年寄り』『老人』と言われると嫌な顔をするが、元々は人生の先輩に対する尊称なんです。それよりも『後期高齢者』のほうが機械的な呼び方で敬意が感じられません」として、「皆さんも周りから尊敬される『年寄り』になりましょう」と。
法要と法話が終わり外陣に出ると、先ほどより列が長くなっている。4人フル体制で対応しているが行列がなかなか前に進まない。一人で何冊も納経帳を抱えている人が多かったり、漢字とご詠歌の両方を求める人がいたり。うーん、法要に出た人は別口でやってくれればいいのになと思うが、仕方ない。
行列で並び合った人同士の会話も聞こえてくる。どのくらい回っているとか、四国にも何回行ったとか、バスツアーがどうとかいうやり取り。それはいいとして、「先達の巻もんの朱印帳あるやろ、あれいちいちクルクル巻くの面倒臭いから、私いつも折り畳んで持ってんねん」とか、「遠いところは1泊2日で行くんやけど、初日に1回押してもろて、そして次の日も行ったらこれで2回分行ったことになんねん」などと「ウラ技」らしきものを披露していたのに「えっ?」と思う。
人のことをとやかく言うべきではないし、また言うだけのキャリアがあるわけでもないのだが、こういうやり取りを見聞きする中で、「本来の主旨をわかっているのかな」と疑問符をつけたくなるところもある。ただ、こういう方に限ってこうした企画もあっさり33ヶ所コンプリートしてしまうのだから、これはこれで大したもの・・・・?
30分以上待って順番となる。私は重ね印のため墨書はなく、本尊ご宝印を重ねてもらった後で、ページの余白部分に特別の印をいただく。つまりはこういうこと。
外に出ると行列はさらに伸びており、参道の灯籠まで続いていた。「今から並んだら2時間くらいかかるそうや」という声も聞こえてくる。葛井寺ですら(失礼)こうなのだから、この先、興福寺や京都の清水寺などの有名札所となるとどうなるのか。特に清水寺は、あの規模の割には納経所は小さかったように思う。また、葛井寺なら藤井寺駅近くで鉄道での移動もどうとでもなるが、琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺はどうなるか。あそこは船の便が限られているし、最終便に乗れないという恐れもある。まあ、最終便の時間を遅らせるわけにもいかないから、その前に問答無用で打ち切られるのだろうが。
遍路、札所めぐりとしては四国八十八所がメジャーと言われているが、やはり伝統と札所個々の歴史の重さとなると、西国三十三所のものだと思う。この先数年は1300年記念の催しが続くことになるが、こちらもまた機会があれば訪れてみたいものである・・・。
私が札所めぐりをするようになったきっかけはJR西日本がキャンペーンを展開している西国三十三所であるが、2018年に草創1300年を迎える。これは四国八十八所よりも古い伝統のもので、四国とはまた違った歴史、発展をしてきたものである。
この1300年を記念して、2018年を中心とした前後の2年間、合計5年間をかけてさまざまな催しが行われる。詳細は札所会のこちらのサイトにあり、それぞれの札所にて期間を決めて特別拝観が行われていたり(私も第4番の施福寺を訪ねた時に特別拝観に出会った)、昔ながらの徒歩で「法灯」をリレーする企画などが行われている。
その一つに「月参り巡礼」がある。東日本大震災をはじめとした自然災害からの復興や、世の安寧を願うために各札所持ち回りで法要が実施される。そして、この月参り巡礼の開催と合わせて、その日限定の特別な朱印を押すということも行われる。この4月に第1番の青岸渡寺から始まり、以下、月1回のペースで持ち回りで行われる。
現在、2016年度分として第12番の岩間寺までの日程が発表されているが、その日程全てに出かけることはできないし、2巡目はそれこそ時季や順番にこだわらず回ろうと思っているのでそれほど「行かなくちゃ」という想いはなかった。
ただ、藤井寺に住む者としては、やはり地元の第5番・葛井寺くらいはせっかくなのでどんなものか見てみたい。それがちょうど8月21日に行われるというので、これはぜひとも行ってみる。なお朱印は「この日限定」と言われているものの、朱印そのもののデザインはサイトでも紹介されている共通のもので、寺ごとにデザインが変わるわけではない。まあ、納経帳のその寺のスペースに特別な朱印が入ること自体に意味があるわけだが、これについては一つ押してもらっておけば十分かなと思う。
21日の9時半すぎに境内に向かう。10時からの法要がどのように行われるのかわからないが、リュックには西国先達の輪袈裟と数珠、経本を入れる。納経帳は西国先達の巻物ではなく、1巡目で使った大判のものを持参する。巻物には押せるスペースがなさそうだし、大判のものに重ね印を押してもらえばいいか。
初詣や藤まつり、千日まいりの時以外はさほど混雑することのない葛井寺だが、9時半をすぎると納経所のある本堂内外陣は行列ができていた。やはり知っている人は知っているものである。おそらく第1番の青岸渡寺から続けて回っている方も多いことだろう。
その中で「法要の方は中へどうぞ」と招かれる。特別に拝観料を取ることもなく、逆にお接待ということで授与品をいただく。また経本のない人には観音経と般若心経のコピーが渡される。本尊の前を通り奥へ詰めるよう案内される。正面からは外れるがこちらのほうがエアコンもかかっているし、パイプ椅子に座れるので楽だった。中に入るくらいだから「お参り度合」としては熱心そうな方が多く、先達の輪袈裟をしている人や、中には笈摺着用の人もいる。
時間となり法要。まずは僧侶たちの声明に始まり、続いて読経である。私も周りの人と一緒に唱和する。普段の札所めぐりの時と比べると読み方はゆっくりで、本来はこのくらいがいいのかな。
一通り終わったところで、住職からの法話である。旬の話題ということでリオ五輪の話題、高齢化社会のことについて。「皆さんはどの競技が印象に残っていますか」と振った後で、住職はバドミントンの「タカマツペア」や重量挙げの三宅選手などの名前を出したが、もっとも驚いたのは新体操だったとか(「あんなんようやるわ」というのがその理由)。また高齢化社会では姥捨伝説の故事を引き合いに出し、「今の方は『年寄り』『老人』と言われると嫌な顔をするが、元々は人生の先輩に対する尊称なんです。それよりも『後期高齢者』のほうが機械的な呼び方で敬意が感じられません」として、「皆さんも周りから尊敬される『年寄り』になりましょう」と。
法要と法話が終わり外陣に出ると、先ほどより列が長くなっている。4人フル体制で対応しているが行列がなかなか前に進まない。一人で何冊も納経帳を抱えている人が多かったり、漢字とご詠歌の両方を求める人がいたり。うーん、法要に出た人は別口でやってくれればいいのになと思うが、仕方ない。
行列で並び合った人同士の会話も聞こえてくる。どのくらい回っているとか、四国にも何回行ったとか、バスツアーがどうとかいうやり取り。それはいいとして、「先達の巻もんの朱印帳あるやろ、あれいちいちクルクル巻くの面倒臭いから、私いつも折り畳んで持ってんねん」とか、「遠いところは1泊2日で行くんやけど、初日に1回押してもろて、そして次の日も行ったらこれで2回分行ったことになんねん」などと「ウラ技」らしきものを披露していたのに「えっ?」と思う。
人のことをとやかく言うべきではないし、また言うだけのキャリアがあるわけでもないのだが、こういうやり取りを見聞きする中で、「本来の主旨をわかっているのかな」と疑問符をつけたくなるところもある。ただ、こういう方に限ってこうした企画もあっさり33ヶ所コンプリートしてしまうのだから、これはこれで大したもの・・・・?
30分以上待って順番となる。私は重ね印のため墨書はなく、本尊ご宝印を重ねてもらった後で、ページの余白部分に特別の印をいただく。つまりはこういうこと。
外に出ると行列はさらに伸びており、参道の灯籠まで続いていた。「今から並んだら2時間くらいかかるそうや」という声も聞こえてくる。葛井寺ですら(失礼)こうなのだから、この先、興福寺や京都の清水寺などの有名札所となるとどうなるのか。特に清水寺は、あの規模の割には納経所は小さかったように思う。また、葛井寺なら藤井寺駅近くで鉄道での移動もどうとでもなるが、琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺はどうなるか。あそこは船の便が限られているし、最終便に乗れないという恐れもある。まあ、最終便の時間を遅らせるわけにもいかないから、その前に問答無用で打ち切られるのだろうが。
遍路、札所めぐりとしては四国八十八所がメジャーと言われているが、やはり伝統と札所個々の歴史の重さとなると、西国三十三所のものだと思う。この先数年は1300年記念の催しが続くことになるが、こちらもまた機会があれば訪れてみたいものである・・・。