まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第30番「金剛城寺」~新西国三十三所めぐり・15(歩きの先で起こったのは・・・)

2016年08月03日 | 新西国三十三所
福崎駅から金剛城寺を目指して歩く。4キロ弱の道だが、地図を見るとほぼまっすぐの一本道である。わかりやすいのだが、その分歩くには単調にも感じる。周りにこれといったスポットがあるわけでもない。まあ、歩道が広めに造られているので、行き交うクルマもほとんど気にならない。

標識は途中2ヶ所あり、これさえ間違わなければ普通にたどり着ける。駅から45分で着いたが、いつしか周囲も里山風景になり、早くもコスモスの花も見える。金剛城寺はいかにも「田舎のお寺」といった風情だ。山の奥深いところで行くこと自体が修行にも思われるということもないし、交通便利なところで商売っ気丸出しで構えているわけでもない。あくまで、村のお寺だ。

元々は聖徳太子の時代に、この奥の七種山の中腹に、高句麗の僧である恵灌上人の手で開かれた。今の地に移ったのは明治の初めという。今の本堂は明治45年、山門は昭和7年に建てられたとあるから、新西国の他の札所と比べても新しいほうになるのかな。

山門の下には紙が敷かれて石で重石にしている。宝印を受ける人は、境内の鐘をついてから納経所にお越しくださいとある。西国や四国のように、納経所に人が常駐しているわけではないのだろう。確かに、これまで回った新西国の札所の中には、専用の納経所があるわけでもなく本坊でインターフォンを鳴らして・・・というところもあった。まあ、専用の納経所が常に開いているのが一部の観光寺院で、実際の寺の多くはそんなものだろう。これをインターフォンでなく鐘で呼び出すとは、まさに日本昔ばなしの世界だ。寺の人はこの里山のどこかにいて、鐘の音を合図に戻ってくるのかな。これもまた面白い。

本堂前でお勤めをしなけれはわならないし、境内も一通り見たい。先に鐘をついて呼び出して、やってきた寺の人を待たせるのも悪いと思い、作法に反するが鐘は最後につくとして、先にお参りする。ということで手水場に向かうが、水もなくカラカラ。幸い、その後ろに石をくり抜いた昔ながらの手水があり自然と水が流れている。中ではカエルも泳ぐ。ここでタオルにも水をかけて冷やし、汗をぬぐう。

本堂下で四国と同じ流儀でお勤めして、境内も見て回る。周囲の緑にも溶け込んでいる里山の寺である。

山を切り開いたところに整然と並ぶのは、四国八十八所の各本尊のお砂踏み。これまでは「ああそうか」という感じで見るだけだったが、先日実際に初めて四国札所めぐりに行き、わずか7番だけでも回ったことで、こちらへの親近感が出てきた。この先どのくらいの時間がかかるかわからないが、目標の再確認のような気持ちで見て回る。

という形で一通り回ったので、納経所を呼ぼうと鐘をつく。そして貼り紙に従って本坊裏の玄関に行くが、人の気配はない。

少し焦る気持ちでもう一度鐘堂に戻り、再び鐘をつく。・・・それでも、何かが動いた様子はない。

うーん、寺の人は近くにはいないと。

私はこの時、マジかいな!!と、天を仰いでいた。日曜の昼前、寺の人はどこか告別式か法事に出かけたか。まあ、寺の人としてはそちらが本業だし、鐘も聞こえない遠方に行っているのかもしれない。

新西国ともなると、寺の人が留守で朱印が受けられないことがあるとは聞いていたが、とうとうここで出くわしたか。観光寺院や、常に納経所に人がいる札所寺院ではなく、日常いろいろなことで不在がちなのだろう。そのための鐘だとしても、鐘をついても来ないのならそういう表示をしてもいいのにと思う。何だかがっくりとして、この先駅まで歩いて戻るのに足が重く感じそうだ。

ということで納経帳のページは空白のまま。お参りをしたのは間違いないが、この扱いをどうするか。新西国を全部回っても、「満願」の証明は受けられないと思う。かと言って、その前に改めて出直すのも不公平かと思う。また、再度来たところで同じように寺の人が不在かもしれない。自宅から福崎は遠いので気軽に来るのも難しい。ここは一旦保留とするが、ゆくゆくは朱印をどうするか考える必要があり、新しいミッションができた感じである。

駅に戻る前に、次の行き先を決めるサイコロだけは振っておく。

1.比叡山(横川中堂)

2.大津(立木山寺)

3.赤穂(花岳寺)

4.大阪市内(太融寺、鶴満寺)

5.龍野(斑鳩寺)

6.阪急宝塚線(萩の寺、満願寺)

・・・滋賀県と姫路の西と大阪近郊が分かれた中で、出たのは「6」。豊中から川西に回ることになる。

雰囲気は良かったのだが、寺の人はいなかったという残念な思いを抱きながら駅に戻る。同じ道を歩くので、来た時よりは短く感じる。時刻は12時を回った昼どきであるが、いったん駅を通り越して、福崎町の中心に向かって歩き続ける・・・・。
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