まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

飯田線小和田駅ウォーキング・3

2013年07月16日 | 旅行記C・関東甲信越

Dscn1422当初の行程より遅れて進む飯田線小和田駅ウォーキングのバスツアー。

天竜峡駅で秘境駅ガイドのYさんと合流し、昼食の秘境弁当(という名前だが中身はちらし寿司をメインとした普通の弁当)をいただきながら出発。ここから国道151号線を南下する。

これまで飯田線とはいろいろと「遊んだ」ことがある。先の記事でも書いた「飯田線秘境駅号」に乗車したのもそうだし、普通に列車に乗車し、途中の駒ケ根や飯田に宿泊したこともある。他にも、中央線上諏訪から豊橋まで7時間近くかけて直通する列車に最初から最後まで乗ったこともある。果ては、その列車と「競走」ということで、岡谷から豊橋まで、下道をマイカーを走らせて「どちらが早く豊橋に着くか」を競ったこともある。その時は天竜峡を散策したこともあり、6時間を超える並走の末、わずか2分の差でマイカーが負けたのだが・・・。

その時走ったのが国道151号線である。天竜峡からは厳しい山岳地帯を抜けるルートである。まず現れるのが、竜雷太・・・ではなく峰竜太の顔写真が出迎える下條村。城郭を模した道の駅もある。このまま走れば豊橋まで近道であるが(上記の飯田線と国道との「競走」では、これから訪れる秘境駅区間とは離れ、最短距離での山越えで愛知県方面に走った)、阿南町からは県道に出る。

Dscn1429そして天竜川の流れを見下ろす区間に出る。時折、天竜川の対岸に飯田線の線路や鉄橋を見る。こうして対岸から見ると、天竜川沿いに鉄道を敷くのが難事業であったかが感じられる。これが道路なら、まあ最低限片側通行でも建設するのは比較的簡単と言える。しかし鉄道はそうは行かない。この難区間の建設に当たっては測量に長けたアイヌの川村カ子トを招聘したのは有名な話である。これを飯田線の列車に乗っていただけでは、「やたらトンネルが多い路線やな」ということで、車窓が見えないとしてマイナスポイントになるところである。ただ、こうして対岸から見ると、「よくもまあ、あんなところを列車が走るんや」と感心するところである。

国道151号線から分かれた県道であるが、結構カーブが厳しい。時折大型車と出くわすと、どちらかがバックしなければ離合できない。なるほどこの区間なら、1台で40人以上乗れる普通の観光バスなら無理だろう。小型バスというのもこのツアーにあっては当然の選択肢だろう。

天竜川の治水とエネルギー確保の目的で戦時中から建設された平岡ダム。その頃のこととて、多くの韓国・朝鮮人が使役されて亡くなったという。ダムも戦後かなり経過してから完成したが、いまでもその霊魂が出るという噂である。一応慰霊碑が建ってはいるが。ガイドのYさんもそうした沿線の歴史や、ブッポウソウという珍しい鳥の話など、時折ポイント説明をしてくれる。

Dscn1433その平岡ダム建設の拠点となった平岡駅前を通過し(このあたりは木材を産出し、飯田線の貨物扱いで各地に発送されたという解説もあった)、いよいよ山深くなってくる。先ほどまで晴れていた空も段々に雲が出てきて、時折雨も降る。実に変わりやすい天気である。

Dscn1436この写真のどこかに、飯田線の小和田駅の隣である中井侍駅がある。さてどこでしょうか?・・・というのが問題として成り立ちそうな場面である。飯田線秘境駅号で訪れた中井侍駅からの天竜川の車窓はこんなもんかというのはわかるが、それを逆から見ると、「何でそんなところに駅があるねん」という実感が強くなってくるのが面白い。それを上回る秘境度を持つのが小和田駅だが、バスはおろかクルマで行くことすらできないというのが、もはや駅として機能しているのかと疑問すら抱くくらいである。

Dscn1439あいにく対岸の小和田駅の姿は確認できなかったが、そろそろ見覚えのある陸橋に出る。この橋を渡ると大嵐駅。

Dscn1443Dscn1448幸い列車の出発までには時間があるが、東京駅を模したという駅舎内のトイレは特に女性参加者で行列ができる。ようやくにしてここから飯田線に乗車。戻るまでの2時間ほど、バスの運転手2名はここで待機である。

藤井寺を6時半、高槻でも8時半に出発し、それぞれ9時間、7時間以上経過してようやく飯田線にやってきた。かなり疲れているところではあるが、いよいよ目的地ということで参加者もごそごそと動き出す。・・・とそこに急な雨。しかも山中のこととて強く降ってくる。ここから列車に乗るためにクルマで送ってもらってきたグループがいたが、私たちの姿を見て「これから歩くんですか??お気をつけて!」とびっくりする。本当なら大嵐駅前のスペースで皆で揃って準備運動するところ、添乗員からはこの雨のためにとりあえず駅舎内に退避してもらい、そこで各自で体をほぐすようにとの指示があった。

渡された乗車券は大嵐から小和田までの回数券。先ほどの休憩時間中に添乗員が天竜峡の駅で購入したものである。それと「直射日光の心配はないんですが・・・」と塩飴を1個ずつもらい、列車を待つ。

Dscn1450やってきた16時06分発の天竜峡行きは、213系の2両編成。かつては関西線の名古屋~亀山などで走っていたが、飯田線119系の置き換えに伴ってやってきた勢力である。2ドア、転換クロスシート車というのは、ローカル線を行く車両としては悪くない。関西線走行時にはなかったトイレも装備されている。列車はガラガラで、20数人が乗車して初めて賑やかになった感じである。これなら、秘境駅が下車客でびっしり埋められて・・・・というところまで行かないだろう。

今回は隣の小和田まで。トンネルが多い区間であるが、先ほどまで対岸を走り、改めてこの辺りの山深さを感じたところ。鉄道だけでは決して見ることのできなかった風景に、飯田線の濃さに一歩だけ踏み込めたような気がする。ただ車掌のぼそっとした案内に「この先の門島から天竜峡間で落石の警報が出たようで、この列車はひとまず門島までの運転とします」というのがあった。これはひょっとして運転見合わせ?の可能性もあり、ちょっと心配である。添乗員や他の参加者はこの放送に気づいたかどうか。

Dscn1455そんなことを考えるうちに小和田に到着。ここが目的地とも言えるが、あくまでメインイベントは16時を回ったこれからである。下車したのはこのバスツアーの参加者と、後1名くらい。普段の姿からすれば、バスツアー22人というのはありがたいような、秘境駅ムードぶち壊しの集団か、見ようによって評価の分かれるところである。結局駅の滞在は1時間40分、おまけに雨。なかなか募集パンフレットのようにはいかないものやなあ、と思いながら、木造の駅舎を出てウォーキングの列に加わる・・・。

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