まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

倉吉で寄り道

2010年01月13日 | 旅行記F・中国

昨日の記事で大関・魁皇の幕内通算808勝のことを書き(今日は大関が4人とも揃って負けましたね・・・相変わらずの体たらくで)、その相手が千代大海だったことにも触れた。

それが一夜明けてみて、その千代大海が引退を表明。うーん、昨日のテレビ解説で北の富士さんが取組終了後に「もう取れないんじゃないかな、もう取らせたくない気持ちだね」と言っていたその通りになった形だ。やはりプロの目にはそう映っていたのかな。

P6011093ともあれ、万年カド番とかいろいろ言われたが、突き押しだけで大関まで昇りつめた力士というのはそういるものではなく、また、大関在位も史上一位(これは、ついぞ横綱になれなかったという意味でもあり、通算の金星や三賞獲得が史上一位の力士が大関になれなかったのもその類)というのも大相撲史上に名を残すことである。少々、大関の地位や晩節を汚した面は感じられるが、ともあれ、お疲れ様でしたというところ。

Dscn6730・・・・さて、山陰夜行折り返し旅行記録の続き。10日の未明に松江駅に降り立ち、もうそのまま東に向かうことにした。まずは松江5時58分発の「やくも4号」に乗車。駅前のコンビニに「出雲の割子そば」があったので、出雲に来た印として朝食とする。

Dscn6727松江駅の看板に、「フリーゲージトレインの導入で山陰と大阪・東京が直通」という内容の島根県の広告があった。フル規格新幹線、ミニ新幹線のいずれとも異なる方式であるが、果たして実現するのはいつのことやら・・・・。

Dscn6734まだ暗い中を走り、米子に到着。最初は、鬼太郎列車の走る境線に20年ぶりくらいに訪れようかとも考えたが、境港まで行ったら鬼太郎やら日本海の鮮魚やらにも触れたくなるし、ここは松江・出雲と合わせて次の楽しみとしておこう。

冬の山陰の日の出は遅く、暗い中を坦々と走る。線路際には白いものも見え、雪は降っていないが寒々とした感じがする。ボックス席に陣取った客たちも厚着のまま小さくなっている。そろそろ空が明けてきたが、どんよりとした曇り空で、この天候では伯耆富士(大山)の姿を見ることはできない。

7時52分に倉吉に到着。いくら「東へ戻る旅」といっても途中下車しないのは面白くないので、ここで下車することにする。鳥取県の中央部に位置する町で、赤瓦や白壁で彩られた伝統的な町並みが残されているスポットがある。ただ駅が町の中心部から外れたところにあるため、現在建て替え工事中の駅前からバスで15分ほど移動する。

Dscn6746やってきたのが倉吉の町並み。朝早いこともあり観光客の姿を見ることはないが、その分静かな感じのところを歩く。ちょっと散歩するには適したところだ。

Dscn6744実はこの町並み、2003年の5月に出火し、古い建物も全焼するということがあった。倉吉にはその後で一度訪れたことがあるが、当時は復興工事中で周囲を覆われていたのを覚えている。その建物も今は復元されており、逆に「往年の白壁はこのように鮮やかに見えたのだな」ということをうかがわせることになった。

Dscn6750商家の店頭には懐かしいコレクションということでいろいろなものが展示されている。その中の一軒でこのようなものを見つけた。大関・琴光喜に琴欧洲のサイン色紙。はて、両大関であるのはわかるのだが、なぜこんなところに飾られているのか・・・。

Dscn6759その答えは、この町並みの一角に立つ銅像にある。両手を広げた恰幅のいい姿は、第53代横綱の琴桜。琴桜といえば横綱だったということ以上に、佐渡ヶ嶽親方として数多くの関取を育てたり、審判部長として土俵の充実に寄与したということで評価されている。四股名に「琴」とつく力士はたいていこの親方の弟子で、現親方の琴の若にはじまり、琴風、琴千歳、琴錦、琴富士、琴稲妻、琴光喜、琴欧洲、琴奨菊・・・など猛げいこで鍛え上げられた力士が並ぶ。

この琴桜は倉吉の出身で、その顕彰で建てられた像である。大相撲の興行というのが「この力士はどこの国の者か」という、昔の大名お抱え時分の頃から番付に出身地名(国名)を記したり、今でも場内アナウンスで「○○県××群△△町出身、□□部屋」というように、郷土の代表が土俵で争うようなところがある(それが最近は「モンゴル○○市」とか「グルジア」やら「エストニア」に代わったのはさびしい感じがする)。

こういう、郷土に銅像が建つというのも、郷土を代表して土俵にあがる力士冥利につきるというものだろう。先に808勝を挙げた魁皇に独特の雰囲気と魅力があるのも、こういう「郷土色」を今に残す数少ない力士ということがあるように思う。私も子どもの頃からそういう力士を通して、「青森県はどんなところなんや」とか「北海道に強い力士が多いのは何でかな」と思ったクチなのだが・・・。

Dscn6763さて、そんなことを思いながらやってきたのは、倉吉線鉄道記念館。ここは、1985年まで走っていた旧国鉄倉吉線の打吹駅の跡地に建つ。元々はここが倉吉駅を名乗っていたそうだ。

Dscn6764記念館は無料で、自分で勝手にドアを開けて照明もつけるというセルフサービス。往年の機関車の展示をはじめ、倉吉線の往年の賑わいと、廃止間近の姿をとらえた写真パネルが展示されている。現役で走っていた時には乗る機会がなかった路線であるが、こうやってみると、地元の人たちが鉄道を本当に必要としていた時代がうかがえる。おそらくこの頃は大相撲も国民的な娯楽として人気だったよな・・・・と、先の琴桜の像とダブって感慨にふける。

Dscn6761ただ、倉吉の町並みも伝統的な町並みを大切にしたり、昔懐かしいものを「世間遺産」として大切に展示する一方で、「さわやかなトイレで町おこししよう」と清潔な公衆トイレの整備を行ったりと、魅力のアピールに懸命である。もう少し多くの観光客に認知されてもいいな、と思うのである。

Dscn6770しばし歩き回った後に再びバスで倉吉駅に戻り、次の鳥取行きの客となる。伯耆から山越えをして因幡の国に入る。それにしてもこの列車、行き違いやら通過待ちなどでやたらと多くの駅に数分から20分近い停車を行う。寒い中、ドアを開けて外に出て写真を撮ったりして時間を過ごす。途中から乗ってきた親子連れの小さな子どもが、「スーパーまつかぜ」や「スーパーはくと」になぞらえてか「この列車、スーパー鈍行や!」と喜ぶ。「スーパー鈍行」ね・・・。なるほと、駅ごとに長時間停車したりというのもなかなか見られない光景で、言い得て妙かな。

その「スーパー鈍行」もいつかは終点に着くのであって、11時08分、鳥取に到着。この駅に降り立つのも久しぶりのことだ。ここは昼食も兼ねてある程度時間を見込んでいる。寒く、雪ではなく雨の降る中、高架の駅舎を出る・・・。(続く)

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魁皇が幕内通算808勝

2010年01月13日 | ブログ

連休明けの12日は何だか疲れたような感じで出社。とはいうものの、そろそろ正月気分を抜き去って本格始動しなければならないのだが・・・。

また12日は定例ということで、夕方からDMの専門医を訪ねる。連休明けということからか、夕方の部であるにもかかわらず病院には多くの待ち客が発生しており、いつも以上に診察までに時間がかかった。どれだけ、需要があるんだか・・・・?

今回の血液測定の結果は、HbA1c(ヘモグロビン・エーワンシー)は、一般の健康な方と同じレベルの5.0%を維持(前月が4.9%)。日ごろの通勤手段を変えたことが少しは貢献しているのかなと思う。医師からは「最初に比べれば糖毒性も弱まっており、よくコントロールされている」ということで、これまで朝・夕方に服用していた飲み薬のうち、朝の分について1回あたりの量を減らすことになった。これだけでも精神的にずいぶんと楽になるものである。

そんな待ち時間の間、待合室のテレビでは大相撲の中継をやっていた。ちょうど大関・魁皇が幕内通算の勝ち星記録の更新がかかるということで、その話題を中心に放送。そして、千代大海(長年大関を張り続けていたライバルが対戦相手だったのも何かの縁かな)を破って808勝を達成。待合室でテレビを見ていた人たちからも歓声があがった。

最近は優勝争いに絡むこともなく、昨年は確か6場所続けて「8勝7敗」という成績に終わった「大関」であるが、それでも37歳でまだまだ現役を続けていることだし、「郷土」の期待を背負って土俵に上がる姿というのは、モンゴルやヨーロッパなど外国人力士が番付の上位を占める中で貴重な存在である。それだけ体のケアを欠かしていないということだし、丈夫で長持ちというのは健康に留意してのことだろう。私も、身体は大切にしないとね・・・・。

さて、少し脱線した山陰旅行記の続きだが、松江を後に向かったのは、これまた相撲とつながりのある町ということで・・・・。

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