まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

先用後利~富山売薬の世界

2010年01月22日 | 旅行記D・東海北陸

富山の新たな顔・セントラムの乗車を楽しんだ後は、旧型車両の路面電車でガタゴトと南へ。やっきてのは「広貫堂前」停留所。

Dscn6923この広貫堂というのは富山の製薬会社。富山といえば「薬売り」である。この広貫堂の本社工場の敷地内に資料館を設け、富山売薬の歴史について紹介しているという。これは会社のPRも兼ねていることもあり入場は無料である。

Dscn6924入口では昔の装束の薬売りの人形が出迎えてくれる。合わせて係の人の出迎えを受け、入場料を取る代わりにアンケートの記入を求められる。何県から来たか、ここを知ったのはどのツールからか、などの質問に答えると、記念にということで栄養ドリンクを1本進呈される。

Dscn6925まずはPR映像の鑑賞。広貫堂の社名の由来とは「広く救療の志を貫通せよ」という言葉から来ているのだとか。そして、その言葉の主というのが、富山藩2代目の藩主である前田正甫というのだそうだ。この正甫というのは富山売薬の祖として尊敬されている。江戸城の集まりの折、別の藩主が急に腹痛をもよおした際、正甫が持参の反魂丹を服用させたところたちどころに治ったというエピソードがある。

それがきっかけで富山の薬というのが評判となり、富山藩でもこれを利用して藩の財政をまかなうことにしたのが富山売薬のルーツという。

Dscn6927この売薬に用いられたのが、先に薬を置いておき、次に回って来た時にはそれまでに使った分だけの代金を収受するという「先用後利」の商法。現在もうけつがれている富山の商法である。

Dscn6928資料館にはこういう売薬の行李やら、薬の袋に使われたさまざまな絵柄、それに薬草のサンプルなどさまざまなものが見られる。富山には民俗村や金岡邸など、売薬の歴史がわかるスポットがいろいろとあるが、ここ広貫堂資料館がコンパクトながらわかりやすい展示のように思う。

Dscn6930ここでは直接触れられていなかったが、江戸期以降の北前船のネットワークの発達には富山の売薬も大いに絡んでいる。ここではくどくどとは書かないが(書けば長くなってしまう)、こういう流通と文化交流のネットワークの役割を受け持ち、さまざまな影響を及ぼした歴史に興味ある者として、北前船ネットワークの影響で富山が「昆布ロード」の中継点となったこと、これら諸々の産業史の舞台となっているところも、私が富山というところに興味を持っているひとつの理由である。

富山売薬の解説の冊子を買い求めた後、再び路面電車で富山駅に戻る。昼食をということだが、夜ならば見当をつけてキトキトの魚が出る店ということで、駅前にあってBCリーグ・富山サンダーバーズファンの集まる店である「やっとるぞー五條」に行くところなのだが、日曜の昼は「やってないぞー」ということで、さてどこに行こうか。ありそうでなかなか店が見当たらないところが地方都市の物足りないといえば物足りないところ。

Dscn6935駅前のビルに料理屋を見つけ、「旅御膳」というセットをいただく。ホタルイカ、白エビの昆布締め、白エビの天丼、氷見うどんというところ。確かに富山名物は揃っているが、うう、やはりなあ・・・。

とりあえず昼食を済ませ、駅構内へ。富山に来ればほぼ毎回、駅待合室内の「魚吉」で魚料理やら寿司やらを買い求めている。ここで寿司でも買ってどこかで広げたほうがよかったかなと、食後になって思ったりもする。まあここは土産物ということで。

さてこれから午後の部ということで・・・・。(続く)

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