機動隊が出、DJポリスまで出動する事態をみれば誰しも何か考えるんじゃないの。
僕の第一感は「商業主義に乗せられたバカ騒ぎ」だった。ついでに「おまわりさんも大変だな。先日は国会前で高齢者の指揮、今度は若者のバカ騒ぎ規制」「渋谷のは税金の無駄使いだ」まで思った。
でもこの現象表から裏から、上から下から、いろんな角度で冷静に観察すると今の日本社会が見えてくるんじゃないかな。
「ストレスの発散」
あのエネルギーの原点はやはり今の日本人1億総ストレス人間ということかな。ああいう形で発散できる(と考える)人がああして集まるんじゃないの。
よく言われる「希薄な存在感」っていうのが蔓延してんるんだろうな。社会的には非正規扱いだし、「オレ1人くらいいなくたって」会社困るわけじゃなし、「んで、オレって何者?」。大半がそんな不安というか、宙ぶらりんな存在として生きてる。何となく感じてるんだよ。そこで皆んでつるんで騒ぐ(祭やる)ことで発散しようとする。
「化けて '皆んで渡れば怖くない'」
祭やるにしても素顔じゃできないんじゃないかな。自分がばれるのはどこか怖い。自分を明かさずに騒ぎたい。ハロインはそれに恰好の場。化ける祭だ。化けていいなら徹底してばけてやる。化ける道具がその一夜のものだとしても、ここぞとばかりに金かけて化ける。化けた自分が今の自分と錯覚できる。われを忘れる。
「油に火」
そういう社会心情を商業側は見逃さない。あの手この手で金につなげようと努力する。買った化け道具で即変装できるように臨時の「変装室」まで作ってお待ちする。警察、自治体との交渉も案外あのあたりの商店街自治会みたいなのがやってたんじゃないか。あとの街掃除も商店街側がやってるよ、たぶん。
「やれるならやりたい」油に「準備するから買って、やって」と火が投げ込まれてああなった。
「新しい若者の祭」
第一感で「バカな」と表現したけど、訂正だ。いつの時代も新しい文化ってこういうバカ騒ぎから生まれることだってあるだろう。ほんとに文化になるものは残っていくだろうし、なりきれないものは消えて行く。それだけのこと。頭っから規制する必要もないし、規制してはいかんのだろうな。
逆から見て、あれで迷惑を受けてる人がいるかってことだけど、まっいないんじゃないか。道路が閉鎖状態だったかもしれないが、そんなこと祭にはつきもの。「京都の葵祭り」はよくて、「渋谷のハロイン」は駄目では変。
「やはり節度がある」
そこでだ、新しい祭、文化として残れるかどうかの境目はやる側がどれだけ規律をもって、節度を守れるかだろう。「ゴミするな。持ち帰れ。」とだけは言いたい。「あの祭は終わった後でも街が汚れないんだ」となればそれだけでりっぱな文化だと思うのだ。
僕の第一感は「商業主義に乗せられたバカ騒ぎ」だった。ついでに「おまわりさんも大変だな。先日は国会前で高齢者の指揮、今度は若者のバカ騒ぎ規制」「渋谷のは税金の無駄使いだ」まで思った。
でもこの現象表から裏から、上から下から、いろんな角度で冷静に観察すると今の日本社会が見えてくるんじゃないかな。
「ストレスの発散」
あのエネルギーの原点はやはり今の日本人1億総ストレス人間ということかな。ああいう形で発散できる(と考える)人がああして集まるんじゃないの。
よく言われる「希薄な存在感」っていうのが蔓延してんるんだろうな。社会的には非正規扱いだし、「オレ1人くらいいなくたって」会社困るわけじゃなし、「んで、オレって何者?」。大半がそんな不安というか、宙ぶらりんな存在として生きてる。何となく感じてるんだよ。そこで皆んでつるんで騒ぐ(祭やる)ことで発散しようとする。
「化けて '皆んで渡れば怖くない'」
祭やるにしても素顔じゃできないんじゃないかな。自分がばれるのはどこか怖い。自分を明かさずに騒ぎたい。ハロインはそれに恰好の場。化ける祭だ。化けていいなら徹底してばけてやる。化ける道具がその一夜のものだとしても、ここぞとばかりに金かけて化ける。化けた自分が今の自分と錯覚できる。われを忘れる。
「油に火」
そういう社会心情を商業側は見逃さない。あの手この手で金につなげようと努力する。買った化け道具で即変装できるように臨時の「変装室」まで作ってお待ちする。警察、自治体との交渉も案外あのあたりの商店街自治会みたいなのがやってたんじゃないか。あとの街掃除も商店街側がやってるよ、たぶん。
「やれるならやりたい」油に「準備するから買って、やって」と火が投げ込まれてああなった。
「新しい若者の祭」
第一感で「バカな」と表現したけど、訂正だ。いつの時代も新しい文化ってこういうバカ騒ぎから生まれることだってあるだろう。ほんとに文化になるものは残っていくだろうし、なりきれないものは消えて行く。それだけのこと。頭っから規制する必要もないし、規制してはいかんのだろうな。
逆から見て、あれで迷惑を受けてる人がいるかってことだけど、まっいないんじゃないか。道路が閉鎖状態だったかもしれないが、そんなこと祭にはつきもの。「京都の葵祭り」はよくて、「渋谷のハロイン」は駄目では変。
「やはり節度がある」
そこでだ、新しい祭、文化として残れるかどうかの境目はやる側がどれだけ規律をもって、節度を守れるかだろう。「ゴミするな。持ち帰れ。」とだけは言いたい。「あの祭は終わった後でも街が汚れないんだ」となればそれだけでりっぱな文化だと思うのだ。
変換して希薄と、出そうとしたら、気迫と出た。
気迫が希薄化しつつある。
なんだかわかんないことを書き始めた。
庭師、庭に出るもしゃがめず、頭は希薄し夕暮れに沈みぬ
文法デタラメです。
どうにも物悲しい雰囲気ですね。
気迫かまして行こうぜ。
そんなに心配してないけどな。明日は快調にもどってるでしょう。
気を取り直し、こちらのコメントが、まだでしたので、
昨夜neswでしたか、渋谷のその最中に女性が1万円入りの財布を盗まれた事件を報道していました。やはり警察沙汰になってしまったか。昨日の桜木町のMET後、遅い昼食(ランドマーク5FのMangia Mangia、ドッゲヤードガーデンを真下に見て前方は、観覧車とか、眺めがよい。夜景がきれいだろうが、夜来たことない。かみさんといかがか。)を経て、駅の前は人だかりが増えつつある。或る党の長老が、来夏に向けての全国遊説のための出陣式みたい。ここでも、官服私服のポリスの方々冷えてきた夕刻の中、お働きご苦労さまでした。それで、私が置き去りにしたおっととさん、テロにあうことなく、無事にご帰館でした。
本題に戻ります。この「SPICE」立ち食いステーキに振り掛けたソースや塩コショウなどの意味の外、「痛快」の意味あり。人生に、それは必要。明日への糧。明日、またがんばろう。何か、前が開けていくような。
その感覚を人は求めているのですね。脱日常のお祭り、心のときめき、血の騒ぎ、などなくては、焼いただけのステーキ、クリープを入れないコーヒー(古い例え)みたいですよね。トゥーの答えだって、①希望②血潮、なんでここに、OPAが出てくるの?OPAのワクワク気分、あれも、一時自分を忘れ、中に入り込むお祭り。人生は日常とお祭りを繰り返して、進んでゆきます。先日の校歌祭、神奈川の物産品が売れていましたね。私も○○市のお茶を買いました。お祭りを資本主義社会が商売にしない手はなく、バレンタインデーだって、根付いてしまいましたものね。ハロウィンも、一時静かな時がありました。米国で日本人青年が射殺された事件があった時でした。商魂なんてゲンキンなものです。ハロウィンも、お菓子やカボチャばかりでなく、柿もお化けシールを張って売り出されています。ハロウィン祭りも永遠でしょう。団地の中でもパープルの魔女ドレスを着た少女たちが楽しそうに歩いていました。
私の子供時代にはなかった楽しみ。「およその人に迷惑をかけてはいけませんよ。大人になって忘れないでね。」来年も出会ったら、そう言ってあげましょう。METの感動ボケの頭で、何を書くか解りませんので、このくらいにしときまひょ。
お母さん 通いの理学療法士さんに診てもらってるのか?PTさんにも「通い」があるんだ。上の娘が病院つきっきりのPTなんだ。
わての絵が恥ずかしがったんですよ。「やめて、見ないで」とね。まっあの絵は潰さないから葬式のときにでも見て頂戴。飾れと書き置きしとくわ。
ハロウィンでもOPAにつなげられたか。これは楽しみになったぞ、こっちから新しい話題を提供する。それをどういう知識でOPAにつなげてくるか。伝道師君重い荷をしゃったぜよ。これは僕の楽しみだからついてこいよ。
祭もなんだかんだ終わっちゃうと、「あれっ、そんなことあった」で淋しいね。熱し易く冷め易い現代人の悲しさ。リオみたいに、「さっ来年のために稼ぐぞ」とならんもんね。「毒されてる、振り回されてる」自主性に欠けてるってことかな。続かないのかもな。
そうです、老後の安泰 それは人並以上かも。上の娘はPT、息子の嫁が看護師、下の娘は看護師夫婦。私とかみさんが同時によぼよぼになっても診る手は多いぜよ。診てくれるとはかぎらんがね。
お母さんもマッサージしてくれる喜びよりも、その後のお茶飲み話がたのしいんだよな。娘は来てくれんし、来ても文句しか言わんし、こっちもしゃべりたいことの半分も言えんしじゃ、PTお姉さんとの週1会話に優るものはないんでしょうね。
娘も老人相手が多いと言ってた。怪我、病気等で落ちた機能回復が仕事、おのずと老人がおおいわな。
この娘に医者の旦那でもつけば鬼に金棒だが。
のため、あっさり姓をゆずったから凄い。彼女の実家とスープの冷めない距離に家を建てて、住んでいるので、ご近所情報でも、母と話が弾むのです。
なになに、娘は来んし、来ても文句ばかり、これ、どこぞのお嬢はんのことどす?うちはな、心優しか、とうはんでっせ。母は、父の他界後、私の隣棟の妹の家に住んでます。私は、祖母同様コーヒー好きの母のため、毎日、10時または3時に、豆挽いてバリスタを務めています。文句を言うのは、母の方で、殆ど、おっととサンへの不満です。確かにおっととさんは、父と違うので、彼女に気に入られないタイプです。岳さんはかみさんのお母上には、自慢の婿さんだったのでしょうね。私は、「私の救済事業だから」と、いつも、母をなだめています。今日も、お弁当つくり、留守の間に自分のPCを触るなと妹が言うので、隣棟でも何回も往復して、忙しい一日でした。
妹も、医療関係者でしたか、定年リタイアしたので、家族が恩恵を浴せる所から、遠ざかりました。病歴室と図書室が兼務になっていたので、病気と治療に詳しく
Dr.の希望する本の発注をしていたので、Dr.間の多様なことが情報に入って、彼らに対する考えも、私と違っていました。私も義弟がDr.だと便利と思い、あれこれ画策しましたが、乗ってきませんでした。家族の想いと本人の想い、ずれることあるみたいです。
今住んでる庭付きの戸建はもともと両親が昭和40年前に福井を引き払って移住したときに先の蓄えを投げ打って買った家。僕が家を持とうと思った時、いすれは面倒見る時が来る。なら近い所で、とこの家の前のマンションを中古で買って20年いたかな。いつも7階の廊下から庭を這い回ってる両親を見て無事を確認してました。
母は晩年病院でしたが、父はこの家で面倒見ながら最後を迎えさせられました。
親とは「スープが冷めない距離」にいるのが一番だと思ってます。四六時中一緒も相手がうざくおもうだろうし。
君は感心です。前便の揶揄は取り消しです。ついでに、してあげられることは全部やっておきなさい。その時が来た時涙を見せないために。
岳さんも、親御さんを思う気持ち、偉いなあと思いました。お家も立派に引き継いで、お庭のお手入れもなさっているよし。なかなかできないことですよ。
私の実家は、事業に失敗した父が、昭和33年に磯子を引き払って二俣川に小さい家を買いましてね、あっち出しこっち出しの増築を重ねたが、いよいよあかんと、壊して、立て直したのが昭和56年のこと、今、空家になっています。母に早く売却しろとせっつかれて、そろそろ重い腰をあげて、3人で山分けすべく査定しましたら、上物は0円、土地も猫の額みたいだし、二俣川駅周辺の再開発に乗じて、少しは高く売れるかな、そううまくいくかな、でも、母が生きている間に片づけてやりたいと、行動を起こす時期にいます。秋の夜長に考えること多いですね。明日は7時に起きて、YCVの校歌祭を見るため、このへんで。
本日、新聞の記事に11月8日(日)白州町の名水まつり、とありました。そろそろ、あちらにお帰りが近づいてきましたね。我が団地内も落葉で、庭師さんが掃除に追われています。きっと、白州のお庭も落葉で大変でしょうね。 good night
白州の名水まつりね。 やるやる、この時季、収穫祭が原点じゃないかな。農作物の即売がメイン、農機具(トラクタークラスの大きいのまで)の販売もやってる。催しものもあって、10年ほど前かな、園まりが歌いにきてたよ。毎年だれかしら昔のタレントが来てるんじゃないか。隣に武川という村があるけど、ここの「米米まつり」の方が内容はいい。お米が安いかというとそうじゃないからカチーンなんだけど。
来週白州だけど、町内のうっとうしい木を切ろうという話が来た。人様の敷地にある木。家は建ってないけど
同じ町内なので所有者との連絡はできる。土地を買った御主人は2年前に亡くなって、奥さまが相続。家を建てる気全くなし。ふたつ返事で「どうぞ切ってください」だった。これがひと仕事。それと会社早期退社で文筆業始めた年齢後輩の独身男君が20日頃から東欧諸国に旅立つというので早~い忘年会もやることに。彼は毎年正月をはさんで寒い間は白州にいないのです。暖かい国に行って暖をとってる生活スタイル。2年前東南アジア、昨年地中海主にアフリカ大陸で過ごしてきた。プラハだブタペストだと言ってきた。送別会と忘年会だ。もうひとり定住男がいるから彼と3人。3ヶ月に1回くらい飲み会やってるのよ。男料理の持ち寄りでね。
楽しみがある白州行きだな。