昨日白州に戻ってきた。暖かい。ストーブ点けてスープ作っての計画が怪しくなるのだが。
今朝まで雨降ってた。薄日だが日が射してきたので早速紅葉写真を。

今年の紅葉もピークを過ぎて後半になった感。落葉の早い木=シラキ、ヤマザクラ、カツラ、ムシカリ、ヤマボウシ 等はもうほぼ丸裸。残ってるのはクヌギ、ナラの類、ツツジ系かな。
その中で写真左から2番目 これヤマザクラ。どうしてこの1本は今紅くなってるのか不思議。隣はすべて葉を落としてるのに。でもいい色だ。昨日ここに入ってくる小道を運転してて美しいこの紅に思わず感激した。
カラマツもまだ葉を残してる。風が吹くと「カラマツのシャワー」が見られる。
一方庭は落ち葉でびっしり。もの悲しい季節だが、これも美のある風情と思えて楽しい。
今朝まで雨降ってた。薄日だが日が射してきたので早速紅葉写真を。




今年の紅葉もピークを過ぎて後半になった感。落葉の早い木=シラキ、ヤマザクラ、カツラ、ムシカリ、ヤマボウシ 等はもうほぼ丸裸。残ってるのはクヌギ、ナラの類、ツツジ系かな。
その中で写真左から2番目 これヤマザクラ。どうしてこの1本は今紅くなってるのか不思議。隣はすべて葉を落としてるのに。でもいい色だ。昨日ここに入ってくる小道を運転してて美しいこの紅に思わず感激した。
カラマツもまだ葉を残してる。風が吹くと「カラマツのシャワー」が見られる。
一方庭は落ち葉でびっしり。もの悲しい季節だが、これも美のある風情と思えて楽しい。
ううむ、葉が落ちて、遠くまで見える季節だ。スープについては別の人に譲ろう。
この天気では少しかわいそうだ。晴れること祈る。前、焼き芋の質問した気がするが、昔は横浜でも出来たものだ。これだけの枯れ葉、もったいないね。おつかれさま。
というのは、理由も目的も明確なものはなく、説明する内容がないんだ。
そうだねこう綺麗に並べてかぶせてあるのは何かありそうに見えるわな。
しいて言えばバケツを地面に置くと汚れる。それを嫌ってるといいうのはある。下の木にも雨が当たらないからいいかな くらい。
切り株を切り株にどう乗せたか? 「まさか持ち上げられないよ。機械使ったよ。」と書くところだけど、機械はない。結局自分でだっこして乗せましたよ。40kgくらいあるかな。日ごろの筋力トレーニングのたまもの。こうやって乾燥させて、いずれは割って薪です。
午前中一時日が射したのにまた降りだした。今晩から快晴、冬型の気圧配置、冷えるらしい。
今日はこれから飲み会だ。一品作らにゃならん。
そうだよな、チェンソー入れるのにこの方がいいものな‥バケツも逆さにして置いた方がいい気がする。ううむ、中途半端な時間帯だ。ダメだ、下に戻るか。
疲れてるときは辞めなさい。失敗してイライラしてるのが見えますよ。
ゆっくり暇なときにのんびり書いてくださいよ。
実家のソメイヨシノの枝払いには、切った枝の付け根に何か塗っていた。バケツは、切りっぱなしの切り株を保護してくれている、と素人考えに思った。左端の写真にもどって、Xの字を感じる構図、狙いましたね。白州の秋、後半でしたね。
中学校の入学祝に母方の祖父がカメラを買ってくれた。
EEカメラ(いわゆる、ばかちょんカメラ)が出始めた時なのに、シャッター速度、絞り、焦点を自分で設定するカメラで、天候や被写体でシャッター速度を決め、その関係で絞りはこれにしてなんて、しちめんどくさい勉強をさせられたカメラを買ってくれた。被写体はもっぱら、父が丹精していた大輪の弦バラだったが、そんなわけで、写真の撮影より、カメラの機械そのものに、興味をもった。フィルムを巻き戻すメカニズムはどうなっているか、蓋をあけてやってみたので、当然フィルムをダメにした。
その後よく撮ったのはクラスメートたち。修学旅行の時は、担任の女教師がライカを持って、私たちを撮ってくれていて、これに刺激されて、私もスナップや記念撮影をかなり撮った。大阪城で友人たちを撮った写真のはるか端に偶然に映っていたO君、その友人を介してほしいと言ってきたので友人を介して1枚あげた。その写真に写った友人たちの中で、結婚したのがいる。披露宴によばれた。女性の方はは高校の同期、男性は、どこの学校に行ったか知らないが、レーシンググループのマネージャーや、テストドライバーを経て、消防局のコンピューターシステムの仕事に就いた。彼女は家庭婦人に収まってしまったが、私の写真が取り持つ縁だったか。O君とは、また、偶然に高校の写真部員であったが、私は大阪城の写真のことは忘れていたし、当然特に付き合いもなく過ぎた。5月の同期会で、我々2組目の写真をH君(彼は2組目に入るため)に代わって撮ったが、話もしなかった。そういう縁の人もいるものだ。
今日は、マチャ叔父の七七忌だった。和尚さんの説教によると、修行を終え、極楽浄土より、下界の人々に光を放つ時期に入ったよし。私にも多く光を添えてほしい。が、少々疲れた、眠い。高校時代に撮った記憶に残る写真については、次回に書かせていただきます。
「写真部のO君」 誰だ? で今アルバム開いた。「彼だな」と推測はついたがだ、そんなことはもうどうでもいい。驚いてじっくり、穴があくほど見返した。
写真部に女性がいたんだね。この話題さ、この驚きをもって(いや知ってたら驚くことはないことだけど)書かないと大変失礼になることに気づいたわけだ。
この記事にもありますが、お若き頃より写真(機)には造詣が深かったんじゃないですが。そんな方をつかまえて「お前の写真歴は?」なんてなんとなまいきな問いをだしたものか。穴があったら入りたいものです。
昔の経験、その造詣の深さ解ったから、今は撮らないの? この話題のきっかけは「百聞は一見にしかず」で「書いて説明より撮って見せるちゃうのがいい」じゃなかったっけ? そうそうお宅の周りの木々を解説してくれた時だな。それこそデジタルの安いバカチョンでも綺麗に撮れる時代だからね。
「その先に何があるのか、行く手に吸い込まれそうに、歩いて行ってみたくなる」なんて実に詩的に表現していただいた空間 あれをkanou37君が「小径」と読んで愛してくれてる空間です。
4枚を通して貴女のように分析していただくと、「オレの写真もまんざらじゃない」なと思っちゃうね。
でも表現された「良さ」があるとすると、それは第一に色がいい。これは人の力じゃなく、自然の力 それ以上でもそれ以下でもない強さでしょうかね。第二にと思うのは、この土地に対する僕の愛着だろうね。角ずみまでどこになにがあるか知ってる、どう撮るとこの愛する土地が美しく撮れるかを知ってることだろうね。X構図とか難しい事考えなくてもそこについつい立って撮っちゃう場所があるみたいだ。
いわれてみればあのひっくり返してかぶせてあるバケツもおもしろいね。遊び感がある。この土地にいると無意識のうちに遊び心がでてくるのかもしれん。
やはり、行き着く所、被写体に対する岳さんの愛着でしたか、それが、写真から我々に伝わり、「いい写真ですね」になること納得しました。ポートレート専門の一年先輩も似たようなこと、言ってましたっけ。通じるものありです。
私の愛する「定点観測」、kanou37さん愛する「小径」、これからもあふれる愛でよろしくお撮りください。よろしくお願いします。
「山燃える」のコメントにあったご進言、あちらが長くなったので、こちらにお答えさせていただきます。
?A型の私、デジカメ写真は、チップに入れっぱなし。これには、妹にもどっつかれています。だから、岳さんみたいに、ライブラリーにしまって、BLOGに載せて、写真メールで送信して、などの整然として行動する能力も、度胸もありません。それ以前に、岳さんのように愛を持って、私は写真を撮っているかどうかをと考えると、はずかしくて、お見せできません。
コメンテーターが関の山です。これだって、まだまだです。