METで5作目になる「マノン・レスコー」を見てきた。いつの間にか5つも見てきたんだ。
「マノン・レスコー」については全く知識を持ってない僕でしたが、前回「トゥーランドット」を見た時に「次回はマノン」のアナウンスがあり、主役のソプラノは「オポライス」ということもあって、見ようと決めてた。
見るからには予習も必要でいろいろ調べた。あのプッチーニの出世作だったらしい。「そうなんだ」。さらに今の僕には「オペラの先生」がいて、いろいろ情報をくれる。しっかり勉強して今日の観賞に臨んだ。
まず驚いたのはオポライスじゃなく、相手役のテノール、「ロベルト・アラーニャ」。この人僕が道化師を勉強した時の教材にした公演の主役カニオをやってた人だ。「こんな凄い人だったんだ」。だからオポライスも聞きたいけど、アラーニャもグッと聞きたくなった。
予習が効いてるからストーリーは解ってる。だからじっくり聴ける。よかったね。2人とも実に上手い。
ソプラノのアリアでいい感じなのが2つあったが、そこはこれからYoutubeで探して聴き直しかな。
演出は現代風になってた。第二次世界大戦中のフランスという設定。男女の愛の表現も生々しくて見せてくれた。METだからやれる公演なのかもしれない。すばらしかった。
「マノン・レスコー」については全く知識を持ってない僕でしたが、前回「トゥーランドット」を見た時に「次回はマノン」のアナウンスがあり、主役のソプラノは「オポライス」ということもあって、見ようと決めてた。
見るからには予習も必要でいろいろ調べた。あのプッチーニの出世作だったらしい。「そうなんだ」。さらに今の僕には「オペラの先生」がいて、いろいろ情報をくれる。しっかり勉強して今日の観賞に臨んだ。
まず驚いたのはオポライスじゃなく、相手役のテノール、「ロベルト・アラーニャ」。この人僕が道化師を勉強した時の教材にした公演の主役カニオをやってた人だ。「こんな凄い人だったんだ」。だからオポライスも聞きたいけど、アラーニャもグッと聞きたくなった。
予習が効いてるからストーリーは解ってる。だからじっくり聴ける。よかったね。2人とも実に上手い。
ソプラノのアリアでいい感じなのが2つあったが、そこはこれからYoutubeで探して聴き直しかな。
演出は現代風になってた。第二次世界大戦中のフランスという設定。男女の愛の表現も生々しくて見せてくれた。METだからやれる公演なのかもしれない。すばらしかった。
蝶々さんは行かないでしょう。僕もかみさんも基本「体の大きい外人さんが和服着てソプラノはりあげるのは遠慮がち」なんです。いくらオポライスでも。ピンカートンはまたアラーニャなんだね。くされ縁か?それと蝶々さんは知ってるから「新しい知識欲」にかからないというのもある。そんなわけで、行かないな。
外国人の着物ですね。朝の連ドラ「まっさん」でも、ヒロイン役ケイト・フォックスさんも振袖姿を披露して、美しかったです。オポライスさんのも興味ありです。METがジャポニズムをどう表現するかも興味あるので、見てきます。
このコメントを呼んでて、昨年海老名で聞いた東欧諸国のソリストさんのコンサート。企画してる日本人が「メジャーなソリストと商業ベースに乗れない人たちとがいる。僕は東欧のひとに惚れてるんです。」と紹介してたな。METは「MET世界」だからな。
蝶々さんを「それでも見なさい」といってこなかったことに「ほっ」です。
ちょっと情報。さわかみ財団の夏の平城京 話は進んでるようですね。世界中にソリストの公募、オーディションをやったようですね。
さわかみの情報が入ってこなかったので、テロ対策とか厳しい何かがあるのかとしぼんでましたが、これは明るいです。サミットにぶつけるかな、選挙にぶつかるかな、気をもまれます。
「さわかみ」さんはアンテナ張っててよ。
時々、このブログの広告に出てくるヨナス・カウフマンなら、容姿にも文句なしで、また違った感動があったかもしれないが、なにせドタキャン男だからしようがない。
ドミンゴとキリ・テカナワで昔に見たときは、原作に忠実なオリジナルな当時の設定だったため、優雅な演出だったが、1940年代に設定した今回の演出もMETらしい解り易い演出に加え、オポライスの美しい容姿をいかした、艶っぽい演出も観客サービスのひとつで、楽しめた殿方も多かったような。女性でも美しい女性を観るのは楽しいようで、休憩時間には「彼女の素顔は美人だね。」とおっしゃるおば様方もいらした。
オポライス女史は、声も力強くて、アスリートの感がある。2幕で舞台の上を裸足でかけずりまわったりする。
これは、意味あることで、西洋、特にフランスでは、男性の前で靴を脱いで足を見せることは「いいわよ」の覚悟を示すもので、このことは、名前は忘れたがある仏文学者から聞いた。それで、この舞台でも脱ぎ捨てられた彼女の靴がかなりの時間映っていたのが気になった。デ・グリューを誘惑するシーンだ。ここで、ちょっと余談であるが、観桜会2次会の「勝竜」の写真でH女史の横に流した足首が写っていて、なるほど美人の生足はなまめかしいものか。 仏文学者説に納得。方向が逸れそうなので、今晩はこれでおしまい。
このコメントを読んで「あれっ、本文であの妖艶さをどう表現したっけ」とよみかえすしたよ。「さらっと」書いてるね。
「女性は」なのか「貴女は」なのか表現が生々しい。「男にはこういう書き方はできん。思っていても恥ずかしくてよう書かん。」ですよ。ともかく、またあの映画全般を思い返してます。「運やはりよかった」。
ところで、自分の日記に書いてないじゃないか。ここに書いた話はまずあっちに書くべきでしょう。そして「書いたから読んで」でいいんじゃないか。自分の日記が「薄く」なるんじゃない?
ところで、「思っていても、恥ずかしくて」なんたこと、岳さんにあるんですかね。(こりゃ、失礼、許されよ)
どれだけみせても半分程度だと思ってるのですが。神秘神秘。