昨日男女平等に関する司法判断が2つ同時にあった。
・「結婚した夫婦は男女どちらかの氏を称する」
・「離婚後女性は6か月を経ないと再婚してはいけない」
結論は前者は合憲、後者は違憲とされた。但し後者も6カ月が長過ぎるという点で違憲であり、100日が妥当とみなし、再婚までの制約は合憲としたものだった。
僕の考えを最初に書いてしまえば、両方ともに「違憲だ」との考えに立つな。ただ、この夏燃えた「安保法制」の違憲性を主張するほどの強さではないのだ。男としてその不都合性、不利益性が実感できないことが大きいかもしれない。
しかしこういう法律の必要性は感じない。もっと個人を尊重し、個人や当事者にまかせてもいいのではないかとは思う。逆にそれぞれの個人はそこで発生するかもしれない不都合は謙虚に受け入れる姿勢は要求されるんだろうな。
だいたい社会的な不都合なんてないと思うのだが。
ましてや今個人に番号つけて管理しやすくしようなんて政策が進んでる時代だ。姓をひとつにしないと管理できませんなんて時代じゃないでしょう。
今回の最高裁の判断を見ると、「世の中が変わって行くというのは時間がかかること。せいてもだめなんだな」と思うし、「変える力は民意なんだ」とも思う。最高裁だって「世の中がまだそこまできていない」という判断をするんだから。
・「結婚した夫婦は男女どちらかの氏を称する」
・「離婚後女性は6か月を経ないと再婚してはいけない」
結論は前者は合憲、後者は違憲とされた。但し後者も6カ月が長過ぎるという点で違憲であり、100日が妥当とみなし、再婚までの制約は合憲としたものだった。
僕の考えを最初に書いてしまえば、両方ともに「違憲だ」との考えに立つな。ただ、この夏燃えた「安保法制」の違憲性を主張するほどの強さではないのだ。男としてその不都合性、不利益性が実感できないことが大きいかもしれない。
しかしこういう法律の必要性は感じない。もっと個人を尊重し、個人や当事者にまかせてもいいのではないかとは思う。逆にそれぞれの個人はそこで発生するかもしれない不都合は謙虚に受け入れる姿勢は要求されるんだろうな。
だいたい社会的な不都合なんてないと思うのだが。
ましてや今個人に番号つけて管理しやすくしようなんて政策が進んでる時代だ。姓をひとつにしないと管理できませんなんて時代じゃないでしょう。
今回の最高裁の判断を見ると、「世の中が変わって行くというのは時間がかかること。せいてもだめなんだな」と思うし、「変える力は民意なんだ」とも思う。最高裁だって「世の中がまだそこまできていない」という判断をするんだから。
今は男女の結びつきは短期集中で決まるし、いやなら切り上げというか、潮時というか、それがとてもイージーである。僕等くらいの年代だと、別れにはためらいがある。こいつに助けられてきた、若い頃はいやだったけど、この人、味が出てきたとか、しょうがないか、とか、比較的広いレンジで、暮らしを共にすることが出来る、その最後の世代かも知れない。それでも我々の頃から離婚が増えてきたようにも思うが、統計的にはちと、わからない‥
今は女性がつきまとわれたり、殺されたりすることが、多すぎる。僕らの若い頃は、こんな血まみれの男女関係はこれほどはなかった。さんざんもめても、そこまではやらない。男女はくっつくのも別れるのも、けっきょくは両方の責任である。時代がいくら変わろうとも、相手も人であることを忘れてはいけない。相手も今後も生きていく、自分も今後も生きていかなければ、と考えられるなら、こんなに毎日のように殺されたり、殺したりも、ないだろう。
別姓だろうが、100日だろうが、くっつくときだけではなく、別れるときも、基本的には思いやりだ。相手にだけではなく、自分に対してもだ。
若い頃は好きだと、食い下がったことはあった。迷惑かけた女性もいた。しかし、最後は「あっ、そぉー‥」と、退き、辛いから他をあたった。こっちに向いてくれないから、ナイフじゃ、どうしょうもない。恋愛に血まみれは不要であり、それは恋愛と呼べるものではない。
‥なあんちって‥いやな時代だ
今朝TV 故井上ひさしさんの娘さんが「ひょっこりひょうたん島」を舞台化する話を紹介してた。その中で父ひさしさんが娘にこんなことを言ったと伝えてました。
「文明がどれだけ進んでも、人間関係の難しさは永遠に変わらない」 納得しちゃうね。
だから法律作って、難しさ→紛争にけりをつける線引きが必要なんだろうね。文明が進んでも永遠に必要なんですよ。条文は変わっていくんだろうけどね。
先輩世代、我々世代、そして子供など後輩世代 どこの男女関係がいいの悪いのって無いだろうけど、われわれ世代の関係性がわれわれ世代で終了するのはしょうがないね。どんどんパターンが増えていくんだから。後輩世代なんかはたいへんかも。パターンが多くて「おれ どのタイプでいこうかな」と悩んでるちに歳とっちゃう。「選択肢がたくさんあり、選ぶ自由もある」 これっていいことなのか辛いことなのか。
「思いやり」に頼る(を大事にする)世と法律で規定する世と どっち取る? とみんなが考えないといかんのだろうね。
25歳で姓がかわったとして、25年生まれた姓、40年夫姓だったわけだ。そんな状況で旧姓での呼びかけが「私を呼んでる」と直結するものですか。もうとっくに忘れてて、他人事、無視なんて状況もあるんじゃないかと想像するのですが。こればっかしは未経験だからな。
直結するとすれば「慣れ」からくるものじゃなく、どこかに「愛着」(=アイデンティティーに近いもの)があるんだろうと想像します。だとすると生まれた時の姓ってルーツ感があってその個人の中ではその人そのものというか、まさにアイデンティティーなのかもしれませんね。
マイナンバー制が社会の隅々まで行きとどいた時代には人はどんなことを考えているのかな。より以上に「自分のルーツ」として大事に思うのか、国際結婚なんかも増えてるだろうから固執しない状況になっているのか。どっちもそれぞれに強くなっていって混沌としてて、それはそれでひとつの社会ということになってるような気がするな。
井上ひさしさんが言う「人間関係は永遠に難しい」実感するね。
これが人間そのもの、それでよしと認めていくしかないんだよ。こうした「認め」を始めると、安倍ちゃんも今の政治も「そんなに強く否定しなくってもいいか」になっちゃうのね。
一時期いた、あるセクションでは、男女を問わず、ファーストネームにさんか、ちゃんをつけて呼び合っていました。同じ部屋にデスクがあった、国際感覚あふれるある上司の趣味です。
今後の社会を想像すると、岳さんのご意見のように、混沌たる社会になるでしょう。となると、私は姓の問題は、ある力学で進展していくと思います。
これについて書くは、長くなりそう。母にコーヒーを入れる時刻なので、少々お休みをください。
戸籍事務に4年間携わって現場を知っている者の意見として書かせてもらいますね。政権にとって、マイナンバー制度には、金をかけてやる意味、メリットは大でも、戸籍事務に金をかけても、政権として得するものはない上、家族制度の崩壊などが増長されては、国民統治の妨げとなるだけです。戸籍事務の進展と言ったら、2006年に電算化をしようと決めて、暫時全国の市町村に展開させて来たことぐらい。そのような環境なので、別姓OKとなると、システムとプログラムに費やすエネルギーをいかにして捻出するか、金をかけてやる気があるのか、問題です。提訴した女性の皆さんには、まだ酷な時代なのです。
婚姻届を提出する際、男性方の姓を名乗る統計が多い、社会通念上の賛同も多い、には、一つお手本があると考えます。それは、象徴のお家の典範です。「男系の男子、これを継承す。」このあたりが動けば、女帝や別姓の道が開けるかもしれません。
私の個人的には、人生の折り返し点もすぎ、社会的にもリタイアした身です。今さらどうでもよいレベルです。
昔、おっととサンと、どちらかにするか話し合いました。「次男だけど変えたくない、母がとられると心配している」それでおっととサンの姓を名乗るとして届け出た次第です。
あと、私の周辺には、一人っ子の女性のために彼女の姓を選択した男性がいまして、しばらくは両方の姓で仕事をしていましたが、面倒になって、戸籍上の彼女の姓で統一、最近では慣れてきたようです。本当の当事者任せの事例ですね。考えながら書いている途中、睡魔に襲われて変なことを書いたかもしれませんが、これも私ですね。good night
skyさんの戸籍事務からとらえた論は説得力ありです。携わった人たちが、本当の姿を知りながら、なかなか出そうとしない。出しても得にならないのは事実だけど。
過去に何度か書いてるけど、「住民の自治意識」低下してて問題多いよな。少しの努力でみんなが住み易い社会を目指す心がけが必要だよな。自分さえよければが多過ぎる。地域の自治会(年会費3600円)すら入らない人が多いんだぜ。そのくせ自治会のサービスはりようするは、文句つけるわ。なんじゃこいつら。この話は本論とずれるからここまで。
世の中一般に「同姓であるべき」と積極的支持をされてる方は少なそうだ。メディアも「改定した」派が多そう。一方裁判所が言うように「世の中で大きな風とはなっていない」のも事実。
こんな現状の中で今どういう考えに立っておくのが妥当かと考えるわけね。
今回の判決よりもう少し前に進めた判断がいいのではと思うのです。「国会に対して5年以内に今としての結論を出せ」というような。この程度も「三権分立」上司法が国会に命令してはいけないのかもしれないが。命令ができないなら、それだけ力がある国会が自主的にとりあげて、「10年後には選択制に移行する」とか「5年後にもう一度議論する」とか、こういう具体性のある、光が見える答えを作るべきなんじゃないかね。
すくなくとも今回のもこのままだと「そんな裁判所の指導があったっけ?」となって忘れ去られるだろうね。
国会側が「見て見ぬふりでいいや」と思う低度の民意ならば、そこから上げていかんと「変化」しないな。それが社会みたいだ。不利益を思わない人、考えて無い人が多いんだな。
skyさんの個人番号制の考えについて。確かに今はまだ納税面での利用が言われてる。でもいずれ住民、国民の管理に使われていくのは見え見え。ぼくもシステム設計をやってきた経験からして、この先にどれだけ効率化の世界が待ってるか、市役所住民課の仕事してこなかった身でも見えて来る。必ず行くね。「私は山下和夫です。○○してください」が今。将来は「私の番号はこれこれです。○○してください」とお願いするのです。そのサービス結果の中に名前欄があって、姓は山下、名は和夫と記載されてるんですよ。個人も自分の名前忘れて番号を覚えてたりして。これに近い話。30数年使ってきた会社での8桁の従業員番号いまでもそらんじて言えますからね。辞めて10年ですよ。
うん、言いたいのは「戸籍事務」もいずれは個人番号キ―になるんですよ。これは止められない。
あ~あ、また朝からこんなに書いちゃった。今日は午後市主催のクラシックコンサート、夕方からは今年最後の歌練だ。午前中はかみさんが味噌作りだとやりだしたので手伝わされるわな。今日明日で作って、月曜日に白州にぼくが運ぶ。あっちの寒さの中で醸成させる。そういう段取りだな。
今後も組み立てよろしくお願いします。どこの町にも、貴方のようなボランティア精神あふれる善意のかたがいらっしゃるものです。我が団地は、ごみ置場は常設のコンテナなのですが、戸建ての場合はそないなことがあるのですね。高齢者福祉に携わっている時のスローガンとして、「高齢者は福祉の受け手から担い手へ」とあり、一見老人をうまく使う言い訳みたいですが、実は奥の深いものがありまして、人生に余裕ができた高齢者(kanou37さんの場合は察するところご苦労がおありでしょうが)は、小さいことでも社会の役に立つことをして、いきがいに繋がる意義を見出そうとね。
ところで、クールにお見かけするkanou37さん、お若いころは、情熱的に女性を追っていらしたのですね。なかなか、やったものでしたね。興味深いコメントでした。