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集団的自衛権

2014年05月19日 10時35分50秒 | 国を憂う
日本人にとって大事な局面に来てると思う。だから自分の考え方をまとめておきたくて3日かけた。
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現状の問題

 内容の面
  「武力を制するには武力しかない」と力説するが
    国の柱たる「憲法」に「日本国は武力で解決しない」と謳ってる。 これが全てであり、絶対だ。
   「銃を撃つ」「人を殺す」とするなら憲法を変えよう。

  「助けてもらうんだから助けてあげなくちゃ」と対等性を説くが
   「武力で助けて」とお願いするんだから助ける時も「武力を使う」は「対等でいたい」というメンツ
    のレベル、もしくは「律義な日本人」を実践したいだけ。
   「私たちにも憲法があり、憲法が禁止してるのですみません」を堂々と通していけばよい。「金銭
    的支援、後方支援しかしない国」と言われて不遜なのか。
    この思想を通すことこそが「真の積極的平和主義」と考えるのだが。

   いくつかの状況を挙げて「こういう場合でも助けに行けないのだ」と説明するが
    どの事例も国民が関係し、国民の安全が脅かされてる場合である。集団的に範囲を広げなくて
    も「救出目的の武力行使」は「個別自衛権」として認めている。
   「邦人を救出にいく」行為と「国際紛争事案を解決する」行為とは全く次元の異なる行為だ。

 手続き面

   法案化できる手続きに変えてきた事実
    当初は正面から「憲法改正」と言ってた。
    これが難しいとなって、そのハードルである発議要件=議員の2/3を1/2に下げようとした。
    これも難しいとなって、「戦後一貫して守ってきた憲法解釈を変えれば」となった。

    つまり「武力を使えるようにすること」が真の目的で、「国民を守るため」は枕詞でしかない。

   安保法制懇
    お友達を寄せ集めた会議体。最初から出てくる答申内容は阿部さんが書いたも同じ。
    ここから出た答申を「私はここまでは考えてない」と一部否定して和らげ、自論とする。
    それでいて、前進できれば答申書に書かれてるからと否定した内容までも実施していくのは
    常套手段。
    非難を受けた場合は「法制懇の答申が」と言い逃れるバッファにもできる。

    姑息な としか言いようがない。

   解釈改憲
    自衛権を集団的まで拡張することは国の心を変えること。「内向き」自衛から「出て行く」
    自衛に変わること。「銃を向けても撃たず、威嚇射撃にとどめたい」自衛から「殺して進む」
    攻撃に変わること。
    しかもその「内向き」が故にこの70年1人も殺傷してこなかった誇りをも捨てることになる。
    こんな重大な変革を「憲法解釈の変更」で扱おうとするのは独裁だ。 

   堂々と憲法改正を
   「立憲主義に立ってる」と阿部さんは言うが、「最高の責任者は私だ」と国会答弁したように
   「阿部独裁主義」だ。
    今がいいチャンスでもある。急ぐことなく、国内に議論を起こして、国の安全、国の将来像を
    討論してみたらいい。
    その火付け役にはなったと前向きにとらえ、少し落ち着いてもらいたいものだ。
    その上で憲法を変えようという意見が多くなってきたら堂々と国民投票を実施すればよい。
    その姿も世界に誇れるものだと思う。

 説得の面

   世界に向かって「日本は集団的自衛権を行使できる国になります。武力協力もできるようになり
   ますのでよろしく」と宣伝しまくってしまった以上、もうひっこめるわけにはいかないのが現状。
   国民が理解しようが、できなかろうがそんなことはどうでもいい。国会で法案を通すんだ。
   これが唯一の目的になってる。
   会見での阿部さんの態度がそれを語ってるし、説明の随所に矛盾を感じる。
   国民をだます、手玉に取るのではなく、1人でも賛同者を増やそうと正面から汗してもらいたい。

将来の問題

 近燐との摩擦が増大
  「僕はこれから殴るからね」と宣言されて「いいよ」という友人がいるだろうか。
  「武力を使う国になります」と宣言すれば近隣諸国は気持ち悪く思うのがあたりまえ。「武力」で
   あるが故に周りも武力の増大で対抗してくるだろう。交渉で案件を解決しようとする機運はます
   ます減少する。ギスギスした関係になり、一触即発な案件が増えてくる。

   外務大臣の力は不要になり、防衛大臣の力が増大する。

 限定的というが
   阿部さんは「集団的自衛権の行使も限定的に」という。これはだましの常套句。僕は信じない。
   できるはずがない。(する気もないだろうが)
   限定的を担保するために客観的な基準を設けるだろう。(安保理の要請とか)
   我国から聞けば客観的に聞こえる内容でもその実は某大国の主観的ということはよくある話だ。
   そもそも行使自体が公認されればあとはどんな理屈をつけてでも出たい所へは出ていくようにな
   るでしょう。それが今の日本の政治文化だから。

 徴兵制に発展する
   これは今の若い人によ~く考えてもらいたい。
   戦場に出て行くのはだれか? まずは自衛隊員でしょう。しかし今の自衛隊員の中で「戦争に行
   って銃を撃つなら」と辞める人が出てくるでしょう。自衛隊員の待遇は大いに上がるでしょう。
   それでも成り手は減少します。
   そうなると徴兵制が出てきます。必ずでてきます。
   今の若い人達よ 「戦場に出て人を撃て」と命令される日が来ます。逃げられませんよ。

歴史は繰り返すのか
   僕の両親は先の大戦時北朝鮮で鉄道施設の仕事をしてました。当然引揚者となり命だけになっ
   て帰国しました。逃げる途中で生まれたばかりの長男を亡くし、北朝鮮の山の中に埋めてきまし
   た。部下を守るために止む無く暴徒を撃ったこともあったようです。
   僕達の世代は親からこんな話を何度も聞かされた。体の中に「戦争はいけないこと。銃を持って
   撃つなんていやだ。」が植えつけられてきた。
   僕の子供世代はこんな生々しい話を聞く機会がなかった。「武力」への嫌悪感はないのかもしれ
   ない。最近若い人の中に「武力には武力で」と考える人が増えてるようだ。
   何世代か毎に歴史は繰り返されるのが人間社会の宿命なのかもしれない。

   そんな日本になる頃には「さよなら」してたい。

僕の「積極的平和主義」
   日本が保持していたい武力の質と量は? 何を目的にどういう結果を求めて保持するのか? 
   核兵器を持つのか? 他国と友達付き合いするのに武力は必要なのか? どれだけ持ったら抑
   止力になるのか? そもそも抑止力ってあるのか? 中途半端な武力では抑止力にまならんの
   では? 武力をもつというのは仮想敵国があってなのか?

  「武力を背景にして他国と対峙する道」に一端踏み出すと先は無限地獄ではないのか。今の米国、
   これまでは「世界の警察」を自認し、武力介入、武力による威嚇を続けてきた。しかし増大する
   国防費が国の経済を圧迫するようになってきた。
   経済的問題だけではない。外交力で危機を未然に防ぐ力、技術は衰えていくだろう。こういう力は
   一度衰退すると取り戻すのが難しい。外交努力の過程が減る分、武力衝突が増えるだろう。

  「武力で対峙」が世界平和の増進につながるとは絶対に考えられない。一時他国より優位になれた
   という自己満足に過ぎない。それ以上の平和に発展しない。

  「何するか解らん国、組織がある」それは事実だ。確かに不安ではある。だからと言って安易に
  「武力」を選択することは上に書いた無限地獄、自己満足の始まりだ。
  「武力」ではなく、あくまでも「外交で」を貫く姿勢が必要なのだ。

   さて究極な話「撃たれたらどうする?」という想定だが。「あくまでも自衛」の範囲で防戦する。
  「攻めて出て行くことはしない」。「やられ損」な状況も出現するだろう。それでも攻めない。自衛
   に徹する。
   勝てない防衛力しか保持してないことを不満に思う国民もいるだろう。彼らには「我慢」を説く。
   一方で外交力での衝突回避努力は全知全能を使ってやる。地球上を飛び回ってやればいい。

   こういう国の姿勢を支持する人は世界中で必ず増えて行く。増やすためにも日本が徹底して実践
   すればいいのだ。一時の恐怖心で道をあやまってはいけない。

   これが僕の考える「積極的平和主義」だ。だから現憲法、特に9条は素晴らしい。かつこれまで
   自衛権を個別の範囲と定義してきた人達に敬意を感じる。

  「あいつを殺せ。やらないなら殺すぞ」と言われた時、「どうぞ」と言える自分でいられますように。
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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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集団的自衛権 (numata)
2014-05-21 20:51:37
岳さん、こんにちは
数日前の記事に関するコメントでごめんなさい。
標記に関する内閣~いやアベさん個人の思い入れ~とも云うべき最近の政府の動きに関する岳さんの論評です。
私は何度か読み返しまして、岳さんの論評に深く共鳴いたしました。全く同感です。
ただ最近では残念なことに、軍事力には軍事力で対抗すべし! やられたら倍返しといった考え方の国民が増えてきたようです。危険ですね。
個人的なブログでこのような意見を公表することに敬意を表し、投稿いたしました。
通常の記事もいつも楽しく拝見しております。
返信する
御賛同ありがとう ()
2014-05-21 21:14:36
numata君 この記事のコメントですのでこちらに移させていただきました。昔の記事でもその記事のコメントに書けますよ。

支持いただきありがとう。また公表することも評価いただいてるようで嬉しいです。
金曜日に国会周辺デモに行くのと同じです。僕なりの意思表示だと思ってます。安倍君が殿様気分でいられるのは国民がおとなしいからです。昔のように「刺されるかも」くらいの不安があればもっとおとなしくするはず。政治的なことは口にしないのがマナーのように振舞う日本人は自己喪失だとも思います。
言ってもいいんだ、僕も言うぞ という人が1人でもふえればいいんです。
自分の問題として考えること、その結果を語ること、そして議論すること みんながこれをやらないと日本沈没じゃないですか。
返信する
僕は (kanou37)
2014-05-22 08:25:19
個人的には沈没しかけている。今、つかまる木を探している。広く、じっくり政経ともに見ているゆとりがない、と、すぐ言ってしまうが、それがいけないのかもしれない。
返信する
それがいけないと思います ()
2014-05-22 09:03:44
kanou37君 おはよう。
沈没しちゃだめです。沈没は無限地獄より悪い。命無いから。
語れば支えが見つかることも。語らないと見つからないのでは。大いに声をあげましょう。
返信する

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