司法に委ねる案件か

2023年12月27日 19時38分06秒 | 国を憂う
師走というのに今日は自由時間が多くあった。ならばで読み溜まってる新聞を消化しようと、いつもの公共施設に出かけた。一番昔のは12月19日でした。読み溜める新聞 ぼくはこの記事は読むと赤ペンでマークして溜めてるんです。15、6枚溜まってるんですが、古いのから10枚を持ってでかけました。 なんでわざわざ公共施設に行くんだ? ですが、家は寒い、暖を作るのはもったいない、周りが勉強してる環境だと自分もその気になって真面目に新聞読めそう  そんなのが動機。

今日読んだ記事で強く脳みそを打ったのが表題の批評記事。辺野古埋立工事裁判を政治学の先生が評論した解説記事でした。ちょっと目から鱗かな。 そういう見方は全くしたことないし、その角度から考えるか ですね。
本来政治(行政)の世界で解決しなければいけない案件を司法の世界に持ち込み、(行政よりの司法で)決着つけてやろうという禁手を使った所業だ と批評してました。
そうなんや、右と左 どっちが正しいとなった時 その決着は司法で が当たり前のように考えてた。 そうやないんだ。行政が自らに世界で解決すべき社会問題もあるんだ。
普天間の移転、辺野古の埋立 はまさにそういう案件であり、これまでの行政の所業は根本で間違ってると言い切ってました。
こう言われて、僕もそうだと納得しました。 民主主義の行政ってそういうものですよ。国の考え、県(住民)の考え その良し悪しを司法にゆだねてはいかんのです。両者がただただ議論し、譲り、その時の最善解決案を作っていく それでないと民主主義が壊れるんです。 現に 辺野古の案件ではもう壊れてるんです。壊されたんです。
明日「大執行」でしょう。 斎藤国交大臣はあの未曾有の埋立工事の着手が国のため、国民のためと確信してるのだろうか。今の内閣がその線で行ってるから、やむなく執行に着手なんだろうか。 本心を聞いてみたい。
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