前の会社にいた時代 某上司から「お前はまた作業してるな。仕事をしろ。」とよくこごとを言われた。その「仕事と作業」が今日の話題。
それほど怖い上司だったから、ついつい指示された資料作りに没頭して、その結果を報告した時、必ずこごとを言われた。
上司が言うのは報告の時お前の所見をつけろ、出来上がった資料から何を読み、どう対応するかまで考えながら資料を作れ。それが「仕事」、お前の所見のない資料作りは「作業」だ と言うのです。
ごもっともです。今それを実感しながらいます。
今日の仕事の段取りをつけ、それが順調に進み始めると、そこに没頭して作業をする。それで明日はどうするの?
僕は今日の作業にはなるべく入らないようにして、明日のための作業を自分で決め、そこに邁進する。こっちをやってといわれれば、いやと言わずにそれをこなしながらも、他人にうまく引継ぐ。そしてまた明日のための作業をやる。
作業員が今日の作業が終わった時には明日の準備ができてる。流れの中で作業員は明日に予定してた作業にとりかかる。こうして行程が順調に進む。
先を見て前に動き、作業員が動ける環境を作り、行程の短縮を生み、しいては原価の低減につなげる まさにこれが仕事。作業員ばかりじゃだめなんです。仕事人が必要なのです。
ぼくは仕事人でありたいと思うのです。
それほど怖い上司だったから、ついつい指示された資料作りに没頭して、その結果を報告した時、必ずこごとを言われた。
上司が言うのは報告の時お前の所見をつけろ、出来上がった資料から何を読み、どう対応するかまで考えながら資料を作れ。それが「仕事」、お前の所見のない資料作りは「作業」だ と言うのです。
ごもっともです。今それを実感しながらいます。
今日の仕事の段取りをつけ、それが順調に進み始めると、そこに没頭して作業をする。それで明日はどうするの?
僕は今日の作業にはなるべく入らないようにして、明日のための作業を自分で決め、そこに邁進する。こっちをやってといわれれば、いやと言わずにそれをこなしながらも、他人にうまく引継ぐ。そしてまた明日のための作業をやる。
作業員が今日の作業が終わった時には明日の準備ができてる。流れの中で作業員は明日に予定してた作業にとりかかる。こうして行程が順調に進む。
先を見て前に動き、作業員が動ける環境を作り、行程の短縮を生み、しいては原価の低減につなげる まさにこれが仕事。作業員ばかりじゃだめなんです。仕事人が必要なのです。
ぼくは仕事人でありたいと思うのです。
困っているのは行程管理の無さであり、その意味では先手管理です。しかしあらゆる面で管理がおこなわれていない(PDCAがない。Pがないから無理だけど。)ことにいらだってるのです。
全員で作業してる結果になるのね。だれも仕事してないことにいらだつんです。
この日記を読んで、いけないなあと思った次第。
どうしても作業が必要なら、その分をやりくりする工夫が必要ですね。
ちょっと反省しました。
振り返るきっかけになればさいわいです。
今日は仕事休み。暖かいうちに小屋の周りを整理しておこうと(実は焚き火がしたいんだけど)3時間ほど表にいました。懸案事項がまた片付いたようです。
年内の仕事もあと1週間ほどでしょう。明日のために今日の仕事をしてください。
作業無しには形を成す仕事はなりたたないとおもいますがね。
作業 人が決めたことを自分の作業で右から左に流すこと。それなりに付加価値はあるんだけど、それ以上にならない。
仕事 目的に向かって何をどうすれば最善かを考えること。手というより頭を使うこと。だれかがここをきちんとやらないと、作業員は路頭にまよい、やる気をなくす。(PDCAのPとCとAにあたるかな)
そういう定義で「作業と仕事」と言ってます。
作業員にはなるな。仕事人になれよ。
昨日社長に「変えようよ」と意見具申しました。
定義がちがっているから、この言葉に関する意見は
いつまでいっても平行線にしかならないかも。
私は、頭を使うだけじゃ仕事は終わらないとおもってますので。
最後は作業をこなさない限り、仕事は形をなさないのではないのでしょうか?
そして作業があったからこそ、たとえばピラミッドはできあがり、今でも残っているのではないのでしょうか。
このあたりは見解の相違でしょうね。
君のように経験を積んできた人は「よき管理者」になってほしいんですね。若い今作業員を未来のよき仕事人に育てるためにだよ。
いい後輩を育てるためには君は作業員になってるだけじゃだめだよ。仕事人になってください。それは君の使命だと思うけど。