友人から指摘されて、使う単語の間違いに気づきました。一部修正します。(1/16)
「人間性を取り込む」 ⇒ 「人間性を回復する」 の意に。
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まず 「命題」を。
「東京・大阪間は1時間で移動できなきゃいけない? それは幸せ?」
さっ どうでしょう。 「短時間でいろんな所に移動可能になるんだから嬉しいことだ。」かな。うん、そうとも言える。そう考える人がいてもいいし、否定はしない。でも「もっとゆっくりさ、景色を見ながら、駅弁食べながら行くのもいいんじゃない。オレはそっちが幸せに思うな」という人もいらっしゃるでしょうね。でも後者の意見は聞き入れられることなく、一方的にリニア新幹線が作られようとしてます。いやいや、リニアができても、各駅停車で大阪までのんびりが出来なくなるわけじゃないのは解ってますよ。でも「速さはいらないんじゃ」という考えは全く無視されて世の中は進んでいきます。
「より速い、大きい、小さい、精密、高い・・・」を実現して、「他に勝つ」ことが社会活動の原動力であって、今の世の中の絶対是なのです。「そこが資本主義の本質で・・・」と論ずる学者もいらっしゃいますが、僕自身はそこまで結論するほど勉強してないので、そうは言わない。 が、「他に勝つ」をエネルギーにして世の中を発展させてきた事実は認めます。かつ「それってちょっと変」「今では勝つことが目的化してるのでは?」とも思ってます。
「他者に勝つ」とは「文明」世界でのこと。「技術の進歩」「科学」といえば解り易いかも。
他方「文化」の世界には勝ち負けは無いですからね。
こういう見方もできます。「人間的なもの=文化性」を活かしながら(残しながら)社会を進歩させていくのでは「遅れる」んです。他者に負けるんです。負けると明日がないのです。
要するに、今のシステムを維持していく限り、社会システムの中から人間性はどんどん排除されていくと考えてます。ただ、そういう社会システムを維持していきたいという人達もいるわけで、そちら側からすると、「大きな反発」が表面化しないように「人間性らしき所を適当に回復させたり、作り込む」そういう行動はするでしょうね。「騙し」と言えば「だまし」です。
しかし、騙しきれないものだと思います。将来「こんなのいやや」という声が大きくなって、それまでの(=今の)社会システムが崩れる時が来るんだろうと僕は考えてます。そうじゃないと人間は悲し過ぎる。
次に書きたいなと思ってるのは 今変革の兆候ってあるんだろうか ってことかな。
「人間性を取り込む」 ⇒ 「人間性を回復する」 の意に。
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まず 「命題」を。
「東京・大阪間は1時間で移動できなきゃいけない? それは幸せ?」
さっ どうでしょう。 「短時間でいろんな所に移動可能になるんだから嬉しいことだ。」かな。うん、そうとも言える。そう考える人がいてもいいし、否定はしない。でも「もっとゆっくりさ、景色を見ながら、駅弁食べながら行くのもいいんじゃない。オレはそっちが幸せに思うな」という人もいらっしゃるでしょうね。でも後者の意見は聞き入れられることなく、一方的にリニア新幹線が作られようとしてます。いやいや、リニアができても、各駅停車で大阪までのんびりが出来なくなるわけじゃないのは解ってますよ。でも「速さはいらないんじゃ」という考えは全く無視されて世の中は進んでいきます。
「より速い、大きい、小さい、精密、高い・・・」を実現して、「他に勝つ」ことが社会活動の原動力であって、今の世の中の絶対是なのです。「そこが資本主義の本質で・・・」と論ずる学者もいらっしゃいますが、僕自身はそこまで結論するほど勉強してないので、そうは言わない。 が、「他に勝つ」をエネルギーにして世の中を発展させてきた事実は認めます。かつ「それってちょっと変」「今では勝つことが目的化してるのでは?」とも思ってます。
「他者に勝つ」とは「文明」世界でのこと。「技術の進歩」「科学」といえば解り易いかも。
他方「文化」の世界には勝ち負けは無いですからね。
こういう見方もできます。「人間的なもの=文化性」を活かしながら(残しながら)社会を進歩させていくのでは「遅れる」んです。他者に負けるんです。負けると明日がないのです。
要するに、今のシステムを維持していく限り、社会システムの中から人間性はどんどん排除されていくと考えてます。ただ、そういう社会システムを維持していきたいという人達もいるわけで、そちら側からすると、「大きな反発」が表面化しないように「人間性らしき所を適当に回復させたり、作り込む」そういう行動はするでしょうね。「騙し」と言えば「だまし」です。
しかし、騙しきれないものだと思います。将来「こんなのいやや」という声が大きくなって、それまでの(=今の)社会システムが崩れる時が来るんだろうと僕は考えてます。そうじゃないと人間は悲し過ぎる。
次に書きたいなと思ってるのは 今変革の兆候ってあるんだろうか ってことかな。
極端に言うと、今は何を取り込んでもよいし、この世のあらんかぎりの思いつき、習わし、流行、その他一切を取り込まない選択もできる時代だ。と、僕は思っています。
こういう風潮に、かつてなかった風向きに、途方に暮れ、これ迄もそしてこれからも、自分の立ち位置がわからぬまま生きている若者は多かろう。いやいや、若者に限らず、われら高齢者も同じだ。
ふり返ってみれば、ある程度は確信をもって継続してきた日常も、何とも形容しがたい、頼りない過去になってしまっている。これまで、日々送る中で、取り込んできたものor取り入れてきたもの…それらのあてどなさ、と言ったら、ない。
but、何をいまさらなのである。
いま、この今、心にあること、それは何だろう⁇
それをいつも考えている。それらはすでに、取り込んできたものか、あるいはとっくに諦めて、手の届かぬ夢世界へと、放り込んだものか。
…今からでも間に合うと、ひそかに心奥深くに宿らせているものか…
取り込むもの、取り込みたいものひとつでも、人それぞれ、そして日々、変遷する。
話を膨らませ過ぎたが、後悔なき物を取り込みたい。限りある寿命である。洗濯物以外、僕が取り込みたいもの…それはあいまいだが、それほどはっきりしないものでもあるのです。なんちって。
だから僕も読み直しだった。 「あっ、そういう意味でか」 そして「う~ん、選んだ単語 良くなかったかな」です。反省してます。
「そりゃないぜ」と言われるかもですが、「大事な部分」なので訂正解説をさせてもらって、本文も修正するかも。
絶対にそうは取らないで欲しいのが 「何か新しい人間的なもの(文化)を入れる」ということではないです。
「人間的なもの」というのは最初っからあったわけで、最初は全てあった。だって、石器でもいい、道具を使うようになる前から人として生存し、社会システムはあったわけです。
「勝つ」とか「効率」が重要視される中で少しづつ排除されてきて、今ではだいぶ人間性が薄い社会システムになってしまった というのが僕の考えです。
「人間性を取り込んだ社会システム」は「人間性を取り戻した・・・・」「人間性豊かな・・・・」というのが僕の想いに合ってるようです。