久しぶりの「トスカ」話題。
古川先生がオペラ「トスカ」に対する解釈、想い、夢をBLOGに連日つづってる。これだけでも「トスカ」への熱の入れ具合が解る。これだけ解説してくれてるのに、「読んでません」てなわけにはいかんでしょう。白州でこれをじっくり読んで、勉強させてもらった。
1800年頃のイタリア(当時はまだイタリアじゃない)はいくつかの「皇国」で治められてた。そこへナポレオンが侵攻してきて「共和制」への変革を押しつけてきた。どっちつかずの混沌とした世相に翻弄された民。そんな世相を背景にして、こんな事件もあったであろうと作られた「権力、欲、愛情」が入り乱れて殺し殺される悲劇作品だということがわかった。
今回のトスカを指導する先生、想いをBLOGでつづる先生 ちょっとこれまでと違うなと感じてはいたんです。それが解ったような気がします。
今までこんなに執拗に「発声法」を注意された事はありません。要するに「声色」を一つにしたいんですよ。民衆の「悲痛な想い」を表現し、それをバックに起きる悲惨な事件をより残酷なものに見せるために「荘厳さ、重さ」が必要なんです。それには統一された音色が必要で、「統一された音色」は正しい発声法でしか望めないんでしょう。
もうひとつ、前回の練習時に「詞はやめて。全部ア母音だけで歌って。」との指導がありました。「もっとメロディーを感じて。もっとメロディーを歌って。」「民衆が今どういう想いでいるかを思って。」 合唱にこめられた「精神性」をもっと理解し、内なる力で歌え と言ってるんでしょうね。
覚える量はこれまででもっとも少ない作品なんだけど、もっとも難しい作品のようです。練習時の合唱を聞き返してるのですが、理想になんとほど遠いことか。どこまで登っていけるやら。
こんなことも言えるかな。 「ラ・ボエーム」ではクリスマスイブのパリの雑踏を歌ったんだけど、あれと全く違う世界を歌うってこと。難しいけど、この幅に挑戦できるっていうのは嬉しいことと考えるべきなんだろうな。
古川先生がオペラ「トスカ」に対する解釈、想い、夢をBLOGに連日つづってる。これだけでも「トスカ」への熱の入れ具合が解る。これだけ解説してくれてるのに、「読んでません」てなわけにはいかんでしょう。白州でこれをじっくり読んで、勉強させてもらった。
1800年頃のイタリア(当時はまだイタリアじゃない)はいくつかの「皇国」で治められてた。そこへナポレオンが侵攻してきて「共和制」への変革を押しつけてきた。どっちつかずの混沌とした世相に翻弄された民。そんな世相を背景にして、こんな事件もあったであろうと作られた「権力、欲、愛情」が入り乱れて殺し殺される悲劇作品だということがわかった。
今回のトスカを指導する先生、想いをBLOGでつづる先生 ちょっとこれまでと違うなと感じてはいたんです。それが解ったような気がします。
今までこんなに執拗に「発声法」を注意された事はありません。要するに「声色」を一つにしたいんですよ。民衆の「悲痛な想い」を表現し、それをバックに起きる悲惨な事件をより残酷なものに見せるために「荘厳さ、重さ」が必要なんです。それには統一された音色が必要で、「統一された音色」は正しい発声法でしか望めないんでしょう。
もうひとつ、前回の練習時に「詞はやめて。全部ア母音だけで歌って。」との指導がありました。「もっとメロディーを感じて。もっとメロディーを歌って。」「民衆が今どういう想いでいるかを思って。」 合唱にこめられた「精神性」をもっと理解し、内なる力で歌え と言ってるんでしょうね。
覚える量はこれまででもっとも少ない作品なんだけど、もっとも難しい作品のようです。練習時の合唱を聞き返してるのですが、理想になんとほど遠いことか。どこまで登っていけるやら。
こんなことも言えるかな。 「ラ・ボエーム」ではクリスマスイブのパリの雑踏を歌ったんだけど、あれと全く違う世界を歌うってこと。難しいけど、この幅に挑戦できるっていうのは嬉しいことと考えるべきなんだろうな。