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早川尾根縦走

2007年08月16日 21時48分17秒 | 山紀行
13,14日 1泊2日で家の南に連なる早川尾根を栗沢山から地蔵岳まで縦走してきました。7月に行こうとしたのですが、台風4号で中止、延期した山行です。いいこと、悪いこと、残念だったこと いろいろあった山行でした。
同行はY夫婦、M夫婦、Cさん、それにうちの夫婦 計7人です。僕が一番若いんですよ。最高齢はMだんなさんで72,3かな。
縦走となると足(車移動)が問題になります。我々は前日にワゴン車を1台下山予定の御座石鉱泉近くに停めておき、当日は別の1台で芦安へ。そこからはバスで広河原、北沢峠と入りました。芦安に停めた車は下山翌日取りに行くという作戦です。
行程は北沢峠から栗沢山(2714m)に登り、アサヨ峰(2799m)を通過して早川尾根小屋に1泊。2日目は小屋から広河原峠、白鳳峠、高峰を通って地蔵岳(2764m)へ。ここから鳳凰小屋を通り御座石鉱泉方向に下山、西ノ平で左折し、車へ。

・快晴の下での登山
  2日間とも晴天でした。いけないこととは知りながらも、僕は雨具とスパッツを持っていかなかったほどです。こんな晴天の登山はいつ以来だろうか。解からないくらい昔のようだ。それとCさんといっしょに山に行くようになって以来、仲間うちで僕とCさんのセットは悪天候仲間となってるんです。燕岳(雨)、空木岳(暴風雨)、昨年の甲斐駒(急な冷え込み、頂上滞在8分、凍った岩場の下山)どれもCさんがいっしょでした。そんな悪いジンクスも今回で消滅したようです。
  圧倒的甲斐駒がすぐ横にあって、それに比較して女性的な千丈ガ岳、国内2位の高さを誇る北岳、富士山、八ガ岳、遠く北アルプスは白馬まで見えました。これだから山行やめられないんですよね。
  ただ残念だったのは下界が雲海の下で、尾根道から自分宅を見つけたかったのですが、それが全くできなかったことですね。
・Y夫婦のリタイヤ
  アクシデントもありました。Y夫婦が途中(栗沢山頂上手前)でリタイヤしたんです。旦那さんは2200mを超えると高山病が出てくる体質なんです。これは周知の事実。今回もそれが出たようです。それとサラリーマンゆえの過労もあったのではないでしょうか。だいぶがんばったんですが、これから行く尾根道の長さ、アップダウンの多さを奥さんが見て、これはダメと判断したようです。二人で下山しました。北沢峠(2000m)まで降りた頃には体調も戻ったようでした。バスで芦安に戻り、車で自宅にその日のうちに帰れたようです。
・圧倒的甲斐駒
  昨年10月Cさんと2人で甲斐駒に登ったのですが、悪天候で頂上に8分しかいませんでした。歩いた黒戸尾根、泊まった7丈小屋も確認できました。僕の今回の登山はこの甲斐駒以来10ヶ月ぶりなんですよ。いろんな意味で感慨深く甲斐駒を眺めました。7丈から上ってほんとに急勾配なんですね。Cさんと「あんな道を登ったんだね」と握手し直したり。ほんとに男性的な山ですね。
・厳しいアップダウン
  毎日眺めてる早川尾根 見慣れてるせいかそんなに厳しい尾根歩きとは考えてませんでした。アップダウンもたかだか3,400mのもの 楽な尾根歩きと決めつけていたことは反省点です。長時間の歩行の後で400mを登るのってきついですね。下山後Y夫婦に「リタイヤの判断は正しかったね」と話せました。  
・早川尾根小屋
  アサヨの頂上から遥か先に小屋を確認できました。その時もこう下って、こう登り、こう歩けば3時間くらいで着くななんて軽く考えてたんです。いやいや長い長い。行けども行けどもつかない小屋でした。栗沢山の頂上でY夫婦を待ったため時間も過ぎてました。結局小屋に着いたのが4時半。他の客はもう晩飯が終わってました。小屋の方に「お泊りの方は4時には入っていただきたいのです」なんて苦言を言われました。ごめんなさい。夕食はだしてくれましたよ。
  南アルプスの小屋は北や八ヶ岳に比べて綺麗じゃないと思ってたのですが、そんなでもなかったです。お盆休みだというのに泊まり客は20人ほど。余裕をもって1人1枚の布団で寝れました。
  暗くなっても電気、ランプ等は点きません。「自然消灯」というのだそうです。5時半頃飯終わって、布団に横になるとそのまま寝込んじゃいました。持ってったアルコールを飲むこともなくです。疲れたんでしょうね。夜中に1度起きましたが、何時かもわからず、トイレにいくこともなく、また寝ちゃいました。
  朝4時小屋の人が「起きてくださ~い」と声をかけます。こんな経験は始めてです。それでも10時間ほど寝てるのですからスッキリ目がさめました。空はやっと白み始めた頃です。各自寝具を始末してると、朝食のテーブルが用意されます。それぞれ朝食をいただき、5時には出発する人もいました。僕達は最後で5時半発でした。目の前に朝日を受けた北岳が輝いてました。水は豊富にありましたよ。
・ペルセウス座流星群
  13日の夜は流星群の最高潮の夜だったんですね。2300mの高みからこれを見てやろうと期待してたんです。でもバタン・キュー状態でしたから何もみてません。
  朝だれかが「綺麗だったわよ」とか「何個見た」なんて話したら、大きな後悔になるところだったのですが、「天の川が綺麗だった」とトイレに行ったCさんが言っただけ。だれ1人流星群の話をしなかったところをみると見えなかったんだなと納得したしだい。
・オベリスク下での昼食
  2日目は100m下って200m登り、100m下って400m登るコースです。最後は1300mを一気に下るのですが。
  1日目同様長く、厳しいアップダウンです。疲れると立ち止まり周りの山を眺めます。また元気が回復して歩く これの繰り返しでだんだん最後の高みに近づいていくのです。今思えば楽しい山歩きだったかな。
  予定通り11時に地蔵岳オベリスクの下に到着。カンカン照りの下、かろうじて見つけた木陰でゆっくり昼食。今回の山歩き ここでだけお湯を沸かし、インスタント麺を食べ、コーヒーを飲みました。もう下るだけ。余裕でハイキング気分です。
・鳳凰小屋の主人
  地蔵岳から40分ほど下ったところに鳳凰小屋があります。高齢のM夫婦はここにもう1泊という腹案もあったのですが、いっしょに降りました。
  鳳凰小屋は10数年前に泊まってるんです。5月の連休に奥さんと2人一泊二日で地蔵岳を目ざしたんです。まだアイゼンなんて持ってませんでした。ところが上は残雪が深く、小屋から下山も考えました。小屋のおじさんがアイゼンを3つ貸してくれました。奥さんが両足、僕は片足のアイゼンで小屋から頂上と隣の観音岳を往復してきました。そのおじさんが今も小屋をやってました。昔話をしても、「そんな古いこと覚えてないよ」とそっけない。小屋も当時より綺麗になってるし、別棟もありました。
・山野草
  早川尾根は山野草があまりありません。全体を通して咲いていたのがゴゼンタチバナ、マイズルソウ、トウヤクリンドウあたり。他にも2,3ありますが、僕が名前を知らないだけ。
  ところが地蔵岳周辺はいろんな花が咲いてましたね。まさにお花畑という所もありました。
  初めてみたのがキンリョウソウ。ギンリョウソウはよく見かけるのですが、こんな花があることすら知りませんでした。
  他には有名なホウオウシャジン、タカネビランジ、ヤマハハコ、(セリバ)シオガマ等など。もうひとつ感激したのはレンゲショウマの群生を見れたこと。
  僕達山仲間ではY奥さんが花の先生。その彼女がリタイヤしたもんだから、花の名前を覚えられませんでした。
・道を間違えSOS
  最後に事件が待ってました。西ノ平で左折して、停めておいた車の所に出る予定でしたが、「おかしいな。変だな。」と言ってるうちに御座石鉱泉まで降りてしまったのです。だいたいそんな所に車を置いて山に入る人なんて地元の人しかいないわけで、道も獣道みたいなものだし、標識もしっかりしていないんです。この分岐を確実に認識できるのはY夫婦だけなんですが、リタイヤしてていなかったのが不運でしたね。
  突然鉱泉の屋根を見た時は各自唖然。でも引返すには降り過ぎてる。解決策はただ1つ。1日早く帰宅し、我々の帰りを待ってるY夫婦にSOSの電話を入れること。30分ほどでだんなさんが向かえに来てくれました。その車で10分ほど林道をさかのぼり、車の所へ。ここを歩いて登ったら2時間はかかったでしょうね。
  これでどうにか安全圏に戻れたのですが、もう体力も精神力も限界を超えてたようです。

この日夕方武川町は夏祭りで花火大会があったのです。Y夫婦から「そこで打ち上げ」と言われてたのですが、M夫婦とうちは行く元気もなく、お断り。
我々2人はそのまま温泉に行き、晩飯も軽く食べるだけで寝たしだい。

それでも今月末2泊か3泊で槍ヶ岳に行こうと決めてきたのはすごいでしょう。
今回不完全燃焼のY奥さんを完全燃焼させる目的をもって、僕と3奥さんの4人でいくのかな・・・。

[ 写真 ]

早朝の北沢峠 標高2000m バスでしか入れません。千丈、甲斐駒への登山基地です。
北沢峠から栗沢岳への登り
栗沢岳手前 2700mあたり。このあたりが森林限界です。気分の晴れます。
栗沢岳頂上 2714m。 後ろは甲斐駒です。間に仙水峠(2264m)があるだけ。水平距離にして2km。
栗沢岳頂上での昼食 ここでY夫婦を待ったのです。登って来る人から情報をもらったりして。後ろはこれから登るアサヨ峰。
アサヨ峰への急登 今回の最高地点にむけて必死のがんばり。
アサヨ峰の頂上 今回の最高点2799mです。下界は雲海の下。
2日目の朝 小屋からの北岳 3192m 富士山に次ぐ国内2位の高峰です。
北岳の雄姿
千丈ヶ岳 3032mです。カールが見えます。甲斐駒と北岳にはさまれて実に女性的。
八ヶ岳 最高峰は右端の赤岳2899mです。この方向の下界に小屋があるんですが。
甲斐駒ヶ岳 2967mです。写真中央の肩に7丈小屋が見えます。そこから右に下って、台形の山が黒戸山。左側の鞍部が5丈です。昨年の甲斐駒登山も参照ください。
歩いてきた尾根道を振り返る。 左一番奥がアサヨ峰です。右が甲斐駒。
大休憩 最後の400mの登りを前に一休み。
地蔵岳(オベリスク)を遠望 オベリスグで後小一時間という所。
オベリスク 山の名前は地蔵岳です。この岩の塊をオベリスクと呼ぶのです。高さ20mくらいのモニュメント。危険おかしてがんばれば一番上まで行けるようです。

[ 山野草 ]
名前不詳
キンリョウソウ
トウヤクリンドウ
ヒメシャジン
タカネビランジ
キキョウ
ウスユキソウ  その他いろいろありましたが、撮らなかったか撮ってもピンボケでした。
コメント (8)
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甲斐駒登山 (2006.10.07-08)

2006年10月09日 21時10分01秒 | 山紀行
待望の甲斐駒にとうとう行ってきた。10年来の夢だった。
白州のこの地に小屋をもったのは八ヶ岳が好きで、この山を毎日見ていたいが原点だった。でも西にそびえ、日本で一番男性的な山だと思ってた甲斐駒も憧れの山だった。いつか家から歩き出し、家に歩いて戻ってくる登山を実現したいと考えていた。
この地に小屋を持った年「甲斐駒に行こう」との話が進んだ。わけあって、僕がリーダーをおおせつかった。ところが2週間前の足慣らし登山後十二指腸潰瘍を悪化させ、緊急入院、手術となり、リーダーどころか山に行くことさえできなかった。それ以来、毎年のように計画するも、天候不順などにはばまれ、近寄ることもなく、年齢も9つ多くなってしまった。今年も9月の連休に計画したが、天候不順で延期。
そんなこんなを経た、今回の登山でした。
同行は山仲間のCさん(57歳、川崎でサラリーマン、武川に小屋を持ってる)。2人の山行でした。

ここからは時間をおって、写真をおりまぜて、まとめてみます。
7日3:30 起床
  4:30 家を登山靴はいて出発(標高700m)。いざ待望の山へ。まだ真っ暗。
  5:00 横手駒ケ岳神社でCさんと落ち合う。入山届けを出し、出発。
     20分歩いて5分休み、30分歩いて5分休み、歩きを10分づつ延ばして
     いって、1時間歩いて休憩ペースを作る。
  7:00 大休止(10分)で朝食。
  7:30 笹の平 横手・白須分岐着。地図時間通り。
     白須(竹宇)からのルートがメインなので、ここまでは我々2人だけ。
     ここからは山仲間に会う。といっても"追い越される"わけですが。
  9:20 刃渡り(前屏風の頭)に到着。左右から切り立った岩の上を30mほど渡る。
     想像してたほど怖くない。スイスイ渡る。
     振り返れば、眼下に武川、横手、竹宇の集落が見える。
     残念ながら我が家は木の陰で見えない。でも「あそこ」は確認できる。
     紅葉1 紅葉2
  9:40 刃利天狗 通過。 朽ちた歩道  鉄梯子
     黒戸山(2150m)の北側をまいたところから、降り。もったいない。
     降りきるちょっと前に五丈小屋。
 10:30 五丈小屋 着。 大々休憩。この小屋は廃屋。  ここからの紅葉
     ここから宿泊予定の七丈小屋までは1時間とのこと。そんなに早く
     小屋にはいってもやることがない。ここでのんびり。
     風は北西から強烈にふいてる。東北の太平洋側を台風から変わった
     低気圧が通過してるからしょうがない。雲が切れると暖かい日射し。
     日射しがきれると寒い。小屋を風避けに昼飯。
     ぞくぞくと登山者が上がってくる。皆さんここで休憩。
     勤める店のお客さんにばったり、びっくり。より親密に。
 11:40 五丈小屋 発。  五丈から降りきった所の橋。木製の上に鉄製。
     ここから七丈小屋までの1時間が黒戸尾根コースのきわめつけ。
     鎖、梯子の連続。一番怖かったのは垂直10段の梯子。右下は深い谷底。
     強風にさらされての、この梯子はこわかった。
     鎖場でしたが、岩がオーバーハングしてて、どう上がればいいのという場所
     もあったな。
 12:45 七丈小屋 着。 予定では2時か3時と考えてたけど、地図時間通りで
     ここまでこれた。風が強い。寒い。展望はほとんどない。
     小屋内で仲間と雑談。酒。夕食は6時過ぎ。1泊+夕食で6000円。
     宿泊客は30人位。想像以上に多い。
     就寝前 相変わらず風強く、寒いが、満月と韮崎、甲府の夜景が美しい。
 20:00 就寝。明朝は4時起き、5時発を予定。

8日4:00 起床。ほとんど全員が動きだす。この時間では小屋の朝食が間に
     合わないので、みんなが自炊。持ってこなかった人はラーメンを買う。
     お湯はくれる。終日ついてる石油ストーブの上でお湯を作ってる。
  5:30 出発。東の空が赤くなってくる。風は強いが、御来光は見れそう。
     歩きだしてすぐ御来光。右奥のシルエットが富士山。その手前は地蔵岳。寒い。
     でも2時間半がんばれば頂上だ。強風に抵抗、寒さに抵抗しながら登る。
     木々は霧氷で真っ白はいまつの霧氷
     九丈から上は道も凍ってる。雪は降ってないが、冬状態。
  8:00 登頂。周りは氷で真っ白。眺望なし。寒い。
     記念写真だけとって、そうそうに下山。岩肌が凍ってて怖い。
     最難所で滑る。めがねを壊し、その後はめがね無しで下山。
     九丈からの下界九丈下から見た富士山、地蔵岳(オベリスク)。
      八丈から九丈を振り返る
      八丈下から九丈を振り返る
  9:30 七丈小屋に帰りつく。ここまで降りてくると道が凍ってることもない。
     30分ほど陽だまりでヌクヌク。暖かいコーヒー。
 10:05 小屋出発。快調に下山。登りで怖かった梯子、鎖場もなんなくクリア。
 10:50 五丈小屋着。また一服。下山の中のきつい登り返し。快晴。
     振り返れば霧氷と紅葉の山景色。行ってきた、夢が半分実現した
     満足感も沸いてくる。
 11:25 刃利天狗 通過。
 11:45 刃渡り 通過。  見晴らし台からの八ヶ岳、竹宇集落
 12:40 笹の平 通過。
     ここからのだらだらとした降り2時間弱がきつかった。足の全ての
     筋肉が破裂寸前。足の指先はジンジン痛む。靴擦れもできてるよう。
 14:20 駒ケ岳神社に降りる。思わずCさんと握手。感激。
     後15分 だらだら下れば家の玄関。奥さんに電話する。
 15:00 家の玄関前に立つ。「やった~」
     簡単に後始末。車で"尾白の湯"へ行く。ゆっくり湯につかる。
     至福の時。
 18:00 Yさん宅で祝宴。Yさん夫婦、Cさんの奥さん、JOEさんが祝ってくれる。
 21:00 終宴。酔っ払い運転(但し、時速40km以下で帰る)で家に帰る。

< トピック > 

・国内三大急登
   三大急登と呼ばれる山(尾根)があって、今回の黒戸尾根もその1つに挙げられてます。
   700から3000まで標高差2300ですからね。富士山でも五合目(2400)からだと1400です。
   他の2箇所はわかってません。だれか教えて。
・カラス天狗
   この山は宗教色の強い山です。こんな石物をよく持ち上げたなと感心させられるものが
   多くあります。だからでしょうか、"カラス天狗"に遭遇しました。
   まだ四丈あたりを登ってる時(9時頃)上から上下黄色いヤッケを着、両手にストック、背中に
   何も積んでないフレームの背負子といういでたちで駆け下りてくる"天狗"に会いました。
   僕達の後から登ってくる人に「カラス天狗に会った?」と聞くと、皆が「会った、あった」
   との返事。皆さんにも天狗に見えたくらい恐ろしいスピードで降りていくのです。
   実は七丈の小屋番のお兄さんで、今日の食料を下界に求めに行く途中だったのです。
   3時過ぎには3日分、100食分の食材をかついで小屋に戻ってきました。
   夕食の写真はこの裏話を考慮して見てくださいね。
   僕には絶対できない"小屋番職"です。
・北アルプスで遭難
   同じ日に北アルプス白馬、穂高で遭難事故があったようですね。天候の急変、吹雪が原因
   で遭難、死亡事故になったようです。
   妻は「こんな事故も起きてるよ」とメールをくれ、気をつけるよう連絡くれました。
   友人は不安にさせまいと、あえて教えてくれなかったようです。
   こんな皆さんの援助もあったのですね。
   でもあの頂上の寒さ 北で遭難するのも理解できますよ。
・足が痙攣
   今年の夏から僕の足がおかしいのです。登り降りの酷使のあと、30分ほど休憩すると、
   肉がつって、動かなくなるのです。動かない前に痛くてたまらなくなるのです。
   今年夏八ヶ岳に行った時、2日目下山途中の昼休憩で突然発症しました。
   始めての経験です。その時は降りでだましだまし、徐々に慣れさせて、いつのまにか
   忘れて下山しました。
   今回は1日目五丈で昼休憩後鉄梯子を上り始めて発症。痛い痛い。特に左太ももの前の
   筋肉がつってます。どうやってもなおりません。パートナーがサロメチールを所持してたので、
   道の真ん中でパンツ姿になり、やたら塗りまくりました。
   効きましたね。どうにか痛みもなくなり、つることもなくなりました。何か変な感じは
   ありましたよ。恐々登山を続けたんです。サロメチールさまさまです。今後は必需品ですね。
   原因を考えるに、今年体重が7kg減ったのですが、太ももが細くなったようです。
   それが原因ではないかと思います。造園屋に必要な肉は残ったけど、登山に必要な肉は
   減ったかな。

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夢実現1

2006年10月08日 21時47分52秒 | 山紀行
とうとう行けました。
7,8日 一泊二日で甲斐駒岳に登ってきました。
10年来の夢だったことは"山紀行"にいくつか書いてます。
家から登山靴で出て、登山靴で家の玄関に戻ってくる これを実現しました。
今日は疲れてるし、明日仕事です。行けたという事だけ報告しておきます。
写真付きで明日UPします。
上は冬でした。紅葉と霧氷が重なったすばらしい景色でしたよ。
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久しぶりの山行

2006年08月01日 20時48分53秒 | 山紀行
「岳ちゃん 白州で生活するようになって、山行かなくなったね」と山友人から言われて「ドキッ」。「うん、なんか仕事に埋没してないか」と自問自答。誘われたんだから行こうとなって、M奥さん、Y奥さんをエスコートして八ヶ岳に行ってきました。
M奥さんのだんなは体調不良で不参加、Y奥さんのだんなは仕事(サラリーマンin東京)で不参加、僕の奥さんは神奈川で多忙により不参加。3家族ですが、それぞれ相棒のいない3人の山行でした。
今年初めての山行です。美濃戸山荘まで車で行き(駐車料 1000円/泊)、そこから赤岳鉱泉-硫黄岳-横岳-展望荘(泊)-赤岳-阿弥陀岳-行者小屋-美濃戸山荘の行程です。
7/31 5:30 白州出発
   7:20 美濃戸山荘 出発
   9:20 赤岳鉱泉 休憩
   12:00 硫黄岳  昼食
   14:00 横岳 奥の院
   16:00 赤岳展望荘 泊
8/01 7:00 赤岳展望荘 発
   8:00 赤岳頂上
   9:40 阿弥陀岳 頂上
   11:40 行者小屋 昼飯(僕は生ビールとおでん3品)
   15:00 美濃戸山荘 着

驚き1:硫黄から赤岳のルートは初めてです。逆は2度歩いた記憶ですが。
    横岳前後の厳しさはすごかったです。切れ立った尾根を甲州側、信濃側をあっち行ったりこっち行ったりで(昔もそうだったのだろうが)。昔よりクサリの設置が多くなってたようです。安全対策は進んでたようですが、想像以上の厳しさでした。
驚き2:泊まった展望荘 お風呂がありました。当然洗うなんてできないですよ。五右衛門風呂で汗は流せます。2800mの山の上で風呂、僕の経験で最高地点での風呂でしたね。
驚き3:八ヶ岳の小屋も急速に良くなってること。トイレもよくなってました。食事はバイキング。食べたいだけ取って食べる。これは従業員の省力化から始まった方法だと思うが、実に合理的な方法だと思います。
驚き4:中高年強し。女強し。 ウィークデイだと言うのに小屋には多く泊まってます。ほとんどが60以上の中高年。北九州から5泊6日とか下関から4泊5日、関西からはツアーでドーっときてる。こういう高年者の強さ、どう理解すればいいか今分析中です。自分はもうちょっと「かわいい」高年になりたいと考えてることだけは事実。

ここから先は写真です。
北沢の流れ 赤岳鉱泉に向かう沢の流れです。大雨の後で水量が多く、とても美しいものでした。
大洞心です。八ヶ岳の1風景ですよね。
横岳頂上 僕です。
横岳付近の険しい岩場。こっち側は信州ですが、向こうは甲州川です。
1日目の終わり 展望荘を前にして撮りました。後ろは赤岳(2899m)です。
泊まった展望荘 5人部屋に3人で寝ました。僕が上のベットで寝たですよ。
朝 赤岳と頂上小屋 この小屋には過去2回泊まってます。
朝 硫黄岳方面 昨日歩いてきた稜線です。
朝 今日行く中岳と阿弥陀岳です。
御来光です。
阿弥陀岳へのルートです。中岳の中腹から撮りました。直立してるかと思うほどの斜面です。
阿弥陀の頂上
山野草
名前わかりません
チシマキキョウ  八ヶ岳に「イワキキョウ」はないのだそうです。
これも名前わかりません
ゴゼンタチバナ
ミヤマダイコンソウ
イブキジャコウソウ
ヨツバシオガマ
ハクサンシャクナゲ
グンナイフウロ
わからん草とウスユキソウ 真ん中の黄色いのは名前わかりません。
ホタルブクロ 色が濃いなと思います。下界だともっと白っぽいんですよ。
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雪の八ヶ岳

2006年01月15日 06時22分52秒 | 山紀行
1月8日山仲間恒例の「雪の八ヶ岳散策」に行ってきました。
今年は美濃戸口→行者小屋→中山展望台(2390m)→赤岳鉱泉→美濃戸口 のコース。
参加者はMママ、Yママ、私達夫婦の4人。Mパパは11月にポリープ手術をされ、Yパパはお仕事多忙で不参加。男1人、女3人の山行でした。
  6:30 私の車で出発。
  7:30 美濃戸口着。駐車場に車を入れる。
  8:00 歩きだす。登山道は雪。車が踏み固めてるので、アイゼンは着けない。
  9:00 美濃戸山荘着。ここでアイゼンを着ける
 12:00 行者小屋着。地図時間より1時間遅れる。
     -10℃の世界で昼食。30分で体が冷え切る。小屋に入って、暖をとることに。
 14:00 予定から2時間遅れで、出発。
 14:20 中山展望台着。今回の山行の最高点。
     南八ヶ岳の壁(阿弥陀から硫黄まで)が一望。大迫力。
 15:10 赤岳鉱泉着。人造氷壁でクライミングの練習をしてる。しばし見学。
 17:00 美濃戸山荘に戻ってくる。もう日没。夕日に赤く染まる阿弥陀岳が美しい。
     ここから1時間の帰りは月あかりで歩くことに。Yママ 膝がだいぶ痛むらしい。
     一足先に下山。車で迎えに戻る。
 18:30 やっと、美濃戸口に出てきた。あたりは真っ暗。
 20:00 レストラン「じんぐう」で夕食をとり、家に帰り着く。

工程は予定時間を大きく遅れたものとなりましたが、天気もよく、すばらしい雪山山行でした。
      
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甘利山と千頭星山

2005年11月13日 14時47分57秒 | 山紀行
11月10日天気のよさに誘われ、秋を満喫するために、表題の2山に登ってきました。韮崎の西にある山で、甘利山1,700m、千頭星山2,100mです。とは行っても、駐車場が甘利山のほぼ頂上1,600mですから、30分も歩くと頂上です。
朝7時、いつものY奥さんを迎えに行き、8時過ぎには駐車場です。広い駐車場には1台も車がいません。ロッジも開いてません。だれもいない2人だけの山状態です。当たり前ですね。寒くなった秋の木曜日ですからね。
甘利山は「レンゲツツジ」で有名な山で、6月中旬から7月中旬には真っ赤になるのだそうです。確かに冬枯れしたツツジの木はたくさんありました。美しさはさぞかしだろうと想像するだけで、通り過ぎました。
甘利山からはこれから行く千頭星山の頂が見え、そこまでの道程が左曲がりに見通せます。まっすぐ登っていって、左右に走る稜線にたどり着くと、左に90度曲がって、稜線を登りつめる道程です。僕は北アルプスの笠新道から見た笠ヶ岳を思い出しました。当然スケールは小さいですが。頂上の左には遠く聖岳が雪を付けて光ってました。3,000mを感じさせない低さに見えたのが不思議です。左に富士山、左後ろに奥秩父、甲斐の山並み、右後ろに八ヶ岳・浅間山、稜線に出ると正面に鳳凰三山を見ながらの登山。眺めのいい山です。2回休んで、10時過ぎには頂上につきました。のんびり2時間ほど秋を満喫して、おなかも満たして下山。2時前には駐車場に下りてきました。会ったのは40歳代の男性1人、登りで追い越され、頂上で追いつき、駐車場に下りてきた時はもうその人の車は在りませんでした。
下山途中、真北の方向に白州の町並みを確認。双眼鏡で我が家を探すのですが、小さ過ぎて見つけられませんでした。でも家から見えてる山をまたひとつ歩いたことになりました。
当然ですが、紅葉もきれいでしたよ。山の上もいいのですが、駐車場までの車道の両側が実によかったです。遠く上高地だの日光までいかなくても、それに匹敵する秋を満喫できるところです。お勧めです。あと1週間くらいしかもたないでしょうが。
写真は千頭星頂上からの富士山と甲府の町並みです。
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源次郎岳と嵯峨塩温泉

2005年10月13日 18時23分03秒 | 山紀行
10月10日の3連休が雨にたたられ、なんか消化不良でした。11日天気が回復しそうなので、小屋に帰りました。11,12日は小屋で野良仕事。13日は秋晴れが期待でき、神奈川に帰る予定にもなってる。なら低山に登ってから帰ろうと決め、源次郎岳を選びました。
1477m 山梨百名山のひとつ。笹子トンネルの北10kmあたりにある。
登山口に「嵯峨塩館」温泉旅館があり、下山後お風呂に入れてもらうことを約束して、駐車させてもらう。
頂上まで80分とのこと。低山らしく、60分休みなしでピークに。「頂上まで15分」の案内あり。これがひどい。50m位の急降下。最後10mほど登ったところに三角点。しかも視界がきかない。なんじゃこれは。写真だけ撮って、先のピークに上りかえす。この山 きついのはこの登りだけです。(これから行かれる方に このピークを頂上として、先には行かない方がいいですよ。)
ピークで1時間のんびり昼食。正面に富士山がドーンです。これを見たくてこの山を選んだのです。
茸採りの人2,3人にあっただけで、登山者は僕1人。静かな秋の山でした。秋を満喫するにはちょっと早かったようです。くだりは40分で降りました。
さて温泉ですが、これが実にいい温泉です。料金は500円。新しい檜のお風呂。当然露天ありです。ウィークデイの昼1時に入浴ですから、ここも僕1人のお風呂です。お風呂もいいのですが、この旅館の雰囲気がたいへん気にいりました。落ち着くのです。40歳代の御夫婦で営業してるようですが、奥様の趣で構成されてますね。古材を利用したどっしりした造り、そこここに置かれた秋の風情。BGMはアルビノーニのオーボエ協奏曲でした。しばらくくつろがせていただきましたが、干渉することもなく、ほっとかれました。奥様は紺のかすりの作業着を着てらっしゃいましたが、たいへん美しい方でしたね。
秋のいい1日でした。嵯峨塩館はお勧めです。
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蛾ヶ岳(ひるがたけ) 1279m 2005.09.23

2005年09月25日 15時28分55秒 | 山紀行
山梨百名山のひとつ蛾ヶ岳に行ってきた。市川大門のすぐ南、白州から車で1時間15分。
今年は母のこともあり、山には行けないなと思っていたけど、山友達のY夫婦から軽い感じで「来週土曜日行かない?」と誘われて、「はい、行きましょう」と即決。
ところが、台風17号が接近していて、予定の24日は雨らしい。23日の朝8時「今日行かないか」と変更希望の電話。「よし行こう。9時出発。登り4時間コースをやめて、1.5時間コースで」と決定。バタバタで準備。Y夫婦、Tさんと僕の4人、9時に出発。コンビにで昼食を購入、道に迷うことなく、四尾連湖駐車場に到着。10時半に登山開始。甲府盆地のすぐ南なのに、まわりは深山の雰囲気。満足気分で歩きだす。急登でもなく、歩きやすい道、ガイドブックに「らくらく登山の見本のような山」とあったが、その通り。頂上下の10分程度の急登だけがちょっときつい。
山は初秋。やまぼうし、つりばな、山葡萄、あけび、つくばねが実をつけてる。下界では2万、3万円するやまぼうしがごろごろある。僕の中でやまぼうしが値下がりしてしまった。春この山はやまぼうしで真っ白になるのではないかと思わせる。やまぼうし、つりばなの実をたくさん持ち帰った。植えて、発芽を期待する。山葡萄、あけびは手の届くところにはなく、口にすることができなかった。残念。つくばねは初めてお目にかかった。山野草ではバアソブ、トリカブト、レイジンソウ、ギンリョウソウ、サラシナショウマ、秋の花が満開。Y奥さんは僕の草木の先生ですが、彼女がバアソブの群生を見て「こんなの初めて」と言ってたから、よっぽどすごいんだ。可憐な花なのにバアソブ(「おばあさんのシミ」という意味らしい。ちなみにジイソブという花もあるらしい)の名はかわいそう。
もうひとつこの山のすごいところ。それは茸。いろんな種類の茸が出てる。ちょうどタマゴタケの時季で、下山してくる人がみなレジ袋に何本か入れて降りてくる。我々も期待して、左右の斜面を茸目になって、探しながら登る。中腹で僕が右斜面30m位下に赤い円盤状の点を発見。Y奥さんに確認を依頼。「間違いない」の返事。さっ、それからがたいへん。登山道にリュックをほうりだし、斜面を降りる。あるは、あるは。中年の4人が我を忘れて、タマゴタケをとりまくる。ここだけでレジ袋3つがいっぱいになる。夜の宴会の話にまで発展してる。そんなこんなで予定時間を1時間も超過して頂上に。楽しいお昼タイム。僕は人目のない場所におしっこをしにいった。すっきりしたところで、ちょっと前に目をやったら、また赤いものを見つけた。3つ並んでる。幼年期、青年期、中年期と世代別に1本づつ。これを手に戻ると、歓迎の笑い。
頂上からの眺望もいい山です。残念ながら、我々は雲間に見え隠れする山しか見れませんでしたが、富士山、南アルプス、八ヶ岳、瑞がき、金峰山、これだけ見えたら十分でしょう。
下りでまた茸を探しながら、遊びながらのんびり下山。収穫はさほどなし。だらだと降りて、4時に駐車場に。
この山は収穫目的で秋の定山になりそうな予感。今回同行しなかったM奥さんに話せば、必ず「行こう」というにきまってる。民宿のきのこ汁も食べてこなかったし・・・。
さて、夜はTさん宅で宴会。タマゴタケのバター炒めはVery-Goodでした。
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山登り

2005年06月21日 13時44分35秒 | 山紀行
山登り                 2005.02.08

 山登りが趣味だ。趣味と言えるレベルがわからないが、山から下りてきた後の温泉で「来月はどこに行こうかな」なんて考えるのだから、趣味といってもいいのだろう。
 山に登り始めたのが大学生の頃。丹沢の表尾根にちょくちょく行くようになったのが始まりだろう。その頃は自分の体力を測りにいくような山行で、いつも同じコースを歩いてた。「前より楽に塔が岳まで行けた」とか「今日はバカ尾根の下りでまいった」とかの感想しかもてなかった。バリエーションルートを探すわけでもなく、趣味とは言えないレベルだったろう。
 この頃、ひまにまかせて登山の本を読むようになったことは今に繋がる出来事だったかもしれない。ヒマラヤ8000m峰が登られていく紀行文を読み漁って、自分がその主人公であるような興奮を覚えてた。世界の山名や世界的登山家の名前も覚えた。しかし、自分の山行は別段進化することなく学生時代を終了し、社会人になった。
 確か入社した年の初秋だと思うが、周りの先輩が穂高に行く計画を始めた。なんで自分がそこに参加するようになったかはさだかでない。おそらく僕のことだから、山の事で知ったかぶりした会話を日頃してたのだろう。「あいつも山に興味ありそうだから、入れてやれ」くらいでメンバーになったのだろう。この山行は僕にとって初めての本格的登山で、泣きたい位辛かったのを覚えている。河童橋から岳沢小屋までの登り。小雨の中、30kg(確かではないが、おそらくそれ位)ほどのリュックをしょって、プロについて行かねばならん登山は苦しいだけだった。先輩が短パンで傘をさして、先頭を漂々と登る姿が憎かった。岳沢小屋に着いたときは達成感より、ほんとに泣きたかった。テントで寝て、翌日前穂、奥穂と登って、下山。岳沢からはまた思い荷物をしょっての下山だった。
 次に訪れた山行の機会は入社3年目。穂高を短パンで登った先輩とネパールへヒマラヤをみに行こうと計画を始めた事だった。1年後の5月の連休に有休をくっつけてヒマラヤトレッキング。仲間を募り、我々で団体を組んで行こうと始めた。計画を練ってる段階で私の結婚が決まり、この山行が我々の新婚旅行を兼ねる結果になるのだが。ポカラからゴラパ二峠までをトレッキングしてきた。マチャプチャリ、アンナプルナ、ダウラギリがすごかった。
 1977年にこんな体験をしたことは驚異的なことだったはずだが、僕としては山にのめり込んでいくきっかけにはならなかった。これからしばらくは子育てとクラブ活動としての野球にはまってて、山どころではなかった。
 40歳で野球の現役を引退すると、体を動かす機会が少なくなったこと、子供も手がかからなくなり、自由になる時間が増えたことで、空いた時間の消化手段が必要になった。なんとなく奥さんと2人で山に行くようになったのはこの頃からではないだろうか。丹沢もいろんなルートから歩いた。
車にテント道具を積んで登山道入り口の駐車場に行き、その日は車の後ろにテントを張って寝、翌朝早く山に入る山行を繰り返していた。この頃八ヶ岳を歩き回った。鳥海山、月山はこの頃の思い出の山だ。白馬、杓子、白馬鑓へは長女を連れていった。アイゼンを買おうと決めた山だ。北岳には次女を連れていった。これでわが国の1,2,3位の山に登ったことになる。
家族で白山にもいった。雨にたたられ、全員ずぶ濡れで逃げ帰った。雨具の重要性を思い知らされ、ゴアの雨具を買うことにした。飯豊に行ったのもこの頃だ。あそこも雨だったな。ログのペンションを見学がてら、唐松五竜も歩いた。新宿から夜行で行った燕岳・大天井・蝶が岳、北アルプスの稜線がきれいだったな。
 この当たりから「趣味の山」になったようだ。一方でゴルフに対して興味をなくし、やらなくなった。もうひとつ、里山での小屋暮らしを夢見始めたのは必然だったようだ。
 1998年に待望の小屋を白州にもった。M夫婦、Y夫婦という山友達ができ、小屋を基点にますます山に行くようになった。Yさんから催促されるように毎月山行予定を作るようになる。毎年1月の雪山も恒例になった。白州を基点にすると、北アルプス、八ヶ岳、中央アルプスがグランドになった。八ヶ岳は北の蓼科から南の清里まで繋がってしまった。5月の立山、日本にもこんなスケールの山があるんだと感激。夏の空木、嵐で小屋が飛ぶかと心配した。爺が岳・鹿島槍、雨飾山、火打・妙高、燧ヶ岳・尾瀬、会社の登山クラブでも那須、安達太良、谷川等も行った。
 日本狭しとよく行ったもんだ。日本百名山も40数山登ってきたことになる。
 今どうしても行きたい山が2つある。
 ひとつは甲斐駒ケ岳。僕の友人的山だ。白州の小屋の裏に聳えてる。なぜ友人かというと、これまで4度計画するも登らせてくれない山なのです。1回目は1998年、小屋を持った年です。記念登山とばかりにM夫婦、Y夫婦と計画したのですが、実行2週間前に突然の大病。緊急手術、入院。これでは行けない。その後毎年のように計画するのですが、天候に恵まれず登ってません。
 あとひとつは槍ヶ岳。山を趣味にしてる日本人なら登って見たい山ですよね。
 まだまだ生きたい山はある。剣岳、利尻岳、上州から関越の山もいい。
山は逃げていかないし、なくならない。心配は自分の体力がなくなることだ。人が2日で行くところを3日でいけばいのです。これからは時間があるのだから。まだまだマイペースで山を楽しみたいもんだ。
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