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「おくりびと」を観る

2008年12月08日 21時12分14秒 | 映画・演劇鑑賞
昨日神奈川に帰ってきた。金曜日にまた山梨に戻らねばならない。
今日は奥さんの希望で映画を観に行った。「おくりびと」。
前半笑って、後半しっかり涙させられました。しっかり作られてる1本でしたね。
2年前母を送り、今93歳の父のその時が近い。
人は知人を送るその時無垢な人になれる。その儀式の最初に登場するのが「納棺士」。彼らの仕事が関係者を無垢な人間に変え、亡くなった人を生前幸せだった人に変える。納棺士にめざめる主人公を通して、生と死と愛を考えさせられる。
重そうだけど、楽しい1本でした。
本木君の納棺士演技がすばらしく、十分納棺士できそう。役者って大変な仕事ですね。
みなさんもチャンスがあったら観てください。

「武士の一分」を見た。

2006年12月06日 09時27分05秒 | 映画・演劇鑑賞
奥さんが見ようというので近くのシネコンのレイトショーで見た。
藤沢周平、山田洋次の組み合わせは「清兵衛」「鬼の爪」に続く3作目、ストーリーは同じらしいが、前2作を見てる手前、見ないわけにもいかんだろう位の動機で見てきました。
キムタクに演技の期待はしなかったのですが、なかなか彼も熱演してたように思います。

別の話ですが、最近仕事場のことで悩む後輩に「自分の尊厳だけは譲るな」と激励したのですが、「武士の一分」も同じことですよね。先輩が君をどう扱おうと、自分の尊厳の世界まで踏み込んできたら、立ち上がる覚悟しておけよ。そう考えられれば、今のいやな先輩もかわいそうに見えないか などとも話したようです。
「長い物にはまかれろ」も必要なTPOがあるでしょう。全面的に否定はしません。でも最後の一線(一分、尊厳)は守る意志と行動が必要ですよね。相手が絶対に勝てない相手でも。
ここの1っ線が不明になってる、不明にしていく風潮が今の世の中に蔓延してるじゃないですか。山田監督も周平氏の作品をつかって、今の世の中に激励を贈ってるものと解釈しました。

「私の一分」「譲れない尊厳」 についてちょっと考えてみるのも無駄ではないでしょうね。

映画「三丁目の夕日」を見ました。

2006年01月17日 18時29分48秒 | 映画・演劇鑑賞
内容も何も知らないで、奥さんが行こうというから付いて行って、見てきました。
いっぱい笑って、いっぱい涙できた映画でした。
今から4,50年前は貧乏だった、汚かった、冬は寒く夏は暑かった、そして不便だったよな。でも人間は暖かかったよ。可笑しい時は心から笑い、悲しい時は隠すことなく、堂々と涙流したじゃないか。人間愛が満ちていたし、人どうしがくっついて、助けあって生きてたじゃないか。
それと比較して今はどうだ。便利になった、清潔になった、裕福になって、1年中一定温度の室内で生活できるようにもなった。それで生きてる人間はどうだ。あの頃の満足感、幸福感、安心感を持って生きてるか?
この映画を作った人たちはここのところを今の僕たちにぶつけるために作った映画だね。その意図があっさり解かるところがこの映画の唯一の欠点かもしれない。
でも、「あっさり解かる」ように作らないと、今のひとには問題提起にならないとの計算があるのかもしれない。
東京タワーの建設がバックで進んでいく、家庭に「三種の神器」が入り始める。そういう文明化の進歩の中で失くしたくなかった、失くしてはいけなかったものを失くしてきたよな と言いたいんだね。
この映画を見て、大いに笑い、声を隠さず泣いてきましょう。そうできる自分がいるかどうかを確認しに・・・・・。