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さて、これはどうすっか

2025年03月03日 09時49分14秒 | つれづれなるままに
断捨離の続き。
アルバム、写真関係はほぼ片付いたかな。但し自分単独のだけです。家族の物はそのままにしてます。かみさんの思い、子供達の思い そんなのがあるからね。 結局バッサリやれたのは結婚までの25、6年分。でもメッチャ軽くなりました。
断捨離成果の評価基準は後輩が始末する時に、サラッと見て、バサっと燃せるかどうか かな。
やり終えた写真分は合格点です。
アルバムのさらに奥にあった段ボールを開いて、また難題発生です。  
動画テープ類です。100本ほどある。40歳の頃と思うが、ビデオカメラを使い出した。小さいカセットは自分で撮った物だから「思い出」だろうな。大きいやつはTV放送を録画した物か人からもらった物だろう。こっちは捨てるに引っかかりはない。
さて小さい方の録画テープをどうするかだ。今家に再生できる機械がない。金掛ければデジタルデータに変換してくれるサービスがあるのは知ってるが、今更金かけるか? そこまでする思い出でもないだろう。でも全く見ないで捨てるのもちょっと寂しい。
1回見るために安い機械を買い、一通り見て、不要物は捨てる 今はこんなふうに考えてるが。再生機の値段を調べてみよう。
こう書いてくると、「何をどう撮ってきたのだろう」そんな昔の自分に興味湧いてきた。
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徒然なるままに(20250302)

2025年03月02日 16時10分42秒 | つれづれなるままに
 ゴスペルも歌い終わって、またちょっと歌ロス状態。でもいろいろあって、ロスに沈んでる暇は無い。
 ゴスペルは「VOJA」の印象、刺激が強くて、Youtubeで聞き直してる。ほんとに上手いグループだと、聞くたびに感心してる。ゴスペル自体が日本人のDNAに合ってるように思う。
 県立高校受験の孫からは合格の動画が届いた。自分のスマホで自宅から確認できちゃうんですね。合格を確認した瞬間の変わりっぷりはまさに「地獄から天国へ」の大変容。内心どれほど苦しんでたかを見た感。もう一人の受験生は7日に発表らしい。私立大学への入学手続きは済んでるらしい。だから合格祝いはやれるんだが、そこは第一志望合格で祝ってやりたい。本人は「受かってるよ」と余裕見せてるようだけど。ここで不合格だと、12日に次の受験らしい。合格祝いも9日にやるか20日にやるかの2本立て。ともかく子供、孫みんな集まって会が開ける 最高。
 墓仕舞いがらみで急に従姉妹家族との付き合いが近くなった。墓仕舞いに参加してくれる、5月京都にその父(ぼくの父の弟、高齢で施設に)を訪ねる、今月末彼女の長男が院を卒業して就職、その段取りでご夫婦が上京、じゃ会おうと話が進んできた。忙しくなるんだが、嬉しい忙しさです。
 ついでに高校同期のランチ会も決めたり、忙しい時にはさらに忙しくなる、社会人現役の頃からそういうものだったな。
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32年間の給与明細も整理

2025年03月01日 08時37分24秒 | つれづれなるままに
先日来 自分のアルバム整理をやってることは紹介した。中からこんなものが出てきて、これも廃棄することにした。
給与明細など会社から出た諸々の資料です。            

かみさんがコツコツ貼ってきたんだね、32年間ほぼ全部ある。今となっては僕の個人的な思い出でしかない。そしてこれを振り返ったところで何か出てくるわけでも無いので捨てることに。

でも、昭和48年4月の辞令、最初の給与明細は記念品だろう。    
初任給 54,000円だったんですね。 それが1回目の給与では62,000円が支給されてる。ベースアップがあったんでしょう。ついでに最初の賞与も。 可哀想、といっても当然だが「気持ちだけね で10,000円」だったんだね。
さらに 一番大きい額の賞与通知、最後の(平成17年4月)給与明細、依願退職辞令は記念品としてとっておくことにした。
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アルバムの整理

2025年02月27日 16時46分49秒 | つれづれなるままに
「いつかやらんと」 とは考えてたんです。 最近アルバムの整理をやってます。
始めたきっかけは4月に予定してる墓仕舞いの時に写真を元に昔話ができたらいいなと考え、アルバムをひっくり返し始めたことなんです。見始めるとアルバムって引きずり込まれるのが常じゃないですか。逆に「何この写真」というのもありますね。
そんな写真に気づいた時、「この際だ、合わせて整理しちゃえ」となった次第。

居間の戸袋に段ボールに詰めて、昔のアルバムで重いやつが      
何冊も収納されてるんです。僕の若かりし頃の写真ってお袋が几帳面に整理してきたんです。だからしっかりあるんです。古いのから順番にめくっていって、まず墓仕舞い用を探しながら、自分のアルバム整理を順番に進めてます。
                    ⇨  

墓仕舞い話題提供用は 自分の印象ではもっとあったように思ってたが、そんなになかったのでちょっとがっかり。でも数枚だってあれば話は一気に昔に帰れるはず。
自分写真の整理は当然大仰な表紙は解体して捨てる。何か物語を思い出させる写真だけにして、時代別(幼稚園まで、小学時代、中高時代など)に封筒詰めで完了としました。ここまでやっておけば、先々これを始末する人はこの封筒のまま火の中に入れれば綺麗さっぱり無くなりますよ。
実際は印刷された写真は1985年頃(社会人10年目くらい)までで、その後は8ミリ動画かデジカメデータのようで、整理対象ではないですね。 家族全体の写真は手をつけてません。かみさんの同意が必要でしょう。
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世界はどこに向かってるのか

2025年02月26日 12時34分58秒 | つれづれなるままに
トランプさんが我が物顔で世界を引っ掻き回してる。そうこうしてるうちに、ドイツでは(勉強不足故メディアの受け売りだが)ナチズムを否定しない政党が躍進したようだ。フランス、イタリアでも右翼的な(移民難民拒否、自国第一)政党が力を増している。古い話だが、英国は数年前にEUを脱退してる。協調、協力して政策を進めようとの思考は消滅しつつあるようだ。
またウクライナとパレスチナでは常識的には到底容認できない戦争終結策が当たり前のように語られ出してる。
地球上全体が協調し、助け合いながら、共にWin-Winで進んでいける世界の構築が理想なんだろうけど、EUですら崩壊しかねない事態が黙々と広がってるのだ。
さてこの事態をどう考えればいいのだろう。「協調路線」をある期間模索してきたその反動、揺り戻しで、「自国主義」が台頭してきた と考えることもできるが、それにしては「過激過ぎる」状況だ。
ぼくは 「人間の業」なんだと考えます。人ってそんなに賢くないんですよ。弱いとも言えるかな。協調したり、譲り合ったり、時には難を引き受けてでも他を助けるって 分かってはいるけど、本質的には他より一歩前にいたい動物なんでしょうね。だとすると、今の現象は「揺り戻し」じゃないでしょうね。
今必要なのは「次の社会システム」の模索、提案なんじゃないだろうか。 産業革命以来我々は生産手法を改善し続け、分業化を進め、資本主義を成熟させ、強大な国をつくってきた。しかしあまりにも個が置き去りにされてきたこと、疎外され、管理され、時には虐げられるようにもなっていること気づいてきたことが「自国(自分)大事」に走らせているのではないか。行き詰まった現社会システムを捨て、代わりに採用される新しい社会システムが必要なんですよ。個が賢くなることは前提ですが。
もう提言されてるとも見てます。が大事なのは地球人一人一人が自分事で考え、「変えないともう持たない」を実感し、行動することなのだと考えてます。
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とうとう来た 後期高齢者

2025年02月19日 08時21分35秒 | つれづれなるままに
今日から晴れて「後期高齢者」の仲間入りです。
そういうふうに「分類」されると、やはり一抹の寂しさは思うわな。「感じる」んじゃないです。精神的ショックは全くありません。自分の中ではこれまでの延長線上にいるだけで、何かが変わるってものじゃないですよ。逆に反抗心が? でも法律で規定されてる分類だからな、若い人から「おい、年寄り」って呼ばれるかもな。
健康保険制度を改定したときに、どういう理由だったかは覚えてないが、75歳以上はそれまでの健康保険制度から外して、別制度にしたものだから対象者の呼称が必要になって、いかにも年寄りらしい「後期高齢者」としたんだね。後期があるんだから使ってはいないけど、「前期」という範囲も概念としてはあるんだろうな。60だろうか、65なんだろうか。
ともかく 医者にかかった時の支払いが1割負担になるんだろう。得だって? そんな事ないのよな、納める保険金が高額になるんだから。 そうか、僕みたいにあまり医者にかからん健康体は「損」の方向で作用するかも。
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徒然なるままに(2025.02.17)

2025年02月17日 08時08分40秒 | つれづれなるままに
 今年は受験生の孫が2人。 県立高校の受験は終わった。もう一人は大学で24、25が試験日らしい。2人とも無事志望校に合格できるように祈るだけだ。高校入試問題量に驚いた。1科目50分らしい。「全く手つけてない問題もあったろう?」と聞いたら、「全然あるある」と実感ある返事が、終わった開放感を乗せて飛んできた。点数差が出るようにしてるんだろうな。
一方の大学の方 学部学科っていうのかな 僕たちの時代とは相当に違ってるんだね。物凄く抽象的な分野表現なんだは。それだけ社会から期待されてる能力が複雑になってるのかな。 理系文系なんて分ける時代じゃないらしい。従兄弟の息子が理系の大学院まで出て(数理系)就職するんだが、保険会社で数理学を使った統計手法なのかな、新保険商品開発を目指すんだって。
大学 こういう分野にいたからこういう職種なんてつながりはないんだね。大学に入ってから
「自分探し」でいいのかもね。
 墓仕舞いは4/14で決まり、その概要もほぼ見えてきた。今年の第一課題はこれで成就できそうだ。この話の進展の中で京都の叔父さんを5月に訪問することも決まった。久しぶりに従兄弟連中に会えるのも楽しみ。女の子の従兄弟さん 旦那さんはイギリス人。結婚式(日本で)の司会 オレやったな。通訳さんがいたけど、自己紹介だけは英語でやった。英国からのお客さん タータンチェック(家の柄)のスカート姿だった。いい思い出。昔を思い出してる。
 こんどの日曜日(23日)初めてのゴスペル演奏会。 昨日別件で楽譜に戻ってみて、覚えた詞が違ってるのに気づき、調整中。癖で変えられない。
  「I bless the rains dawn in Africa」 正しい
  「I bless the rains drop in Africa」 で覚えてた。
意味は通じるし、同じ「d」子音で始まるからよさそうだけど、2つ目の子音が違いすぎるか。
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使ってくれないの?

2025年02月15日 11時12分25秒 | つれづれなるままに
   白州の断捨離で出てきた「衣装ケース」を「お譲りします」と出してるんですが、誰も手を挙げてくれません。
増える子供物の衣装を入れるのにこういうケースを便利に思う人がいらっしゃる、少なくとも10年、20年前だと売り場でもたくさん見たように思ってるんだが、今は人気無いんですね。奥行きが1mほどあり、高さも30cm弱ある。大き過ぎるのかもしれんな。
うちの前の公園には周辺の保育園児が定時に遊びに来る。その先生が気づいて、「園で使おう」と考えてくれることも期待したんですが、さっぱりです。
今週ズーッと出してきたけど、今日で辞めにします。後は「リサイクルショップ」かな。
ここでこんなに不人気じゃ、金になんてならんだろう。それはいい。引き取ってすら貰えないんじゃないかとちょっと心配にもなる。来週また白州から持ち帰る予定の不用品がある。それらと一緒にショップに持って行くつもり。
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徒然なるままに(20250203)

2025年02月03日 18時31分25秒 | つれづれなるままに
 節分が過ぎて、今日は立春ですか。 体感では暖かくなったと思えないけど、心はちょっと暖かい。そうやって和んでるうちに気温も上がってきて、体が春を感じるようになる。
 今年のメインイベント「福井の墓仕舞い」を決めた。日にちが決まれば、あとはお寺さんの段取りにお任せになる。向こうの言われるままに執り行うだけだ。気にかけてるのは親戚、縁者への失礼、これだけはあってはならないと細心の注意。お知らせしなければいけない縁者は4名。昨日案内状を送付した。4月の中旬には終わって、スッキリする。
 今一番気をもんでるのは孫2人の受験。上から2番目の男の子が大学、4番目の女の子が高校。大学の方は高校生男子だし、上のお姉ちゃんが2年前に受験して、見てるから、自分で分かってる。そこへいくと高校受験の方は長女。家族全体で初体験だから全てがピリピリのようだ。
「実力以上は出ないし、実力以下も出ないんだ」と励ましてやったが、こんな言葉も頭の上を漂ってるのかもしれない。3月には2人の合格祝いパーティーを計画してる。
 ゴスペル「Africa」 教わって1週間、自習と睡眠で詞、メロディ、リズムを確たる知識としてきた。今朝は練習音源に8割はついていけるようになってる。8日の次回練習が待ち遠しい。
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安 克昌 「心の傷を癒すということ」

2025年02月01日 13時59分29秒 | つれづれなるままに
安克昌(アン カツマサ) 在日韓国人3世 精神科医 2000年に39歳で病死。

  「傷ついた人にはあらゆる人が遠ざかっていくように見える。」
  「心のケアを最大限に拡張すれば、それは住民が尊重される社会を作ることになるのでは
   ないか。そしてこれは社会の『品格』に関わる問題だ。」

30年前の阪神大震災を経験し、その頃まだ定着してなかった「被災者の心のケア」を研究し、実際に支援活動を行ってきた。その活動の中で「人にとって『心理的な居場所』が重要だ」との考えに至り、物理的な居場所ではなく、周りとのつながりが維持され、心理的な平穏が得られる場所が必要だと唱えた。
晩年それまでの研究成果を著書「心の傷を癒すということ」にまとめ、発表された。阪神大震災以降 大きな災害に幾度か見まわれた我が国だが、その際の被災者ケアの基礎を作ったと評価されてる。 上の2提言はその著書からの引用です。

先月のNHK「100分で名著」はこの本を取り上げてました。拝聴しましたが、3回目までは「そうだよな」程度の関心でした。今では「心のケア」という言葉が常識化されてて、「知ってるよ」があったかもしれない。4回目で「彼の研究が今を作った基」だと知ったこと、単に「心のケア」という視点から「人間社会の在り方」にまで言及した人、著書と知って感激した次第。
実は上の2提言は1/29、30日の朝日新聞「折々のことば」に掲載されてます。 コラム担当の鷲田さんも放送を見られて、取り上げられたんだと思う。

今朝のBLOGでいろいろ愚痴ったが、結局どれもこの「社会の品格」の問題じゃないかと思ったのです。
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