カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

火に油を注ぐ

2008-08-20 | ことば

 ひとのブログを見ていて楽しいのは、その考え方の視点の意外さかもしれない。トピックとしてどういう話題を取り上げるのかということも面白いが、同じものを見てどのように違うのかということが何より不思議だ。まさに羅生門である。会話の中でそのような異質なものやちょっとした違いというのは、その場ということもあって、よっぽどの変人同士でない限りお互い上手く修正されるものだけれど、文章というのは他人に見られるという配慮はある程度あるにせよ、自分の考えの暴走があるので、意外な方向に進んでいるという意識も少なく、意外な視点を自然に提供してしまうこともあるのだろう。
 というのも、やはり最近はオリンピックということもある。オリンピックはつい見てしまうので、お互いの話題として共通である場合が多くなる。これを見ないという人もそれなりに共感するが(それを押し通せる精神力は立派だ)、フリーチベットの人たちだってつい見てしまうというような魅惑の祭典であることは間違いあるまい。国別メダル数なんてどうでもいいと僕の頭の中では思っているくせに、やはり日本のメダルが増えるのは快感のあるのは正直なところ事実である。イチローが嫌いなのに彼のヒットが増えるとうれしいように(ちょっと違うかも)。
普段見向きもしない円盤投げなどを見て、諸外国の野人のような風貌の選手を眺めているだけでも楽しい。しかしなんで投げた後にあのように叫ぶのだろうか。力を出した後なんだから、落ち着いたほうがいいのではないか。
 走り高跳びもやっていて、これは毎回外国の基準でありながら不公平極まりないルールだと思って見ているが、一向に改正されないこころよさがある。単純に高さを競うのなら背の高い方が有利だけれど、重力もあるので、でかくなりすぎてもいけないということなんだろうか、俺には分からん。しかし単純なのは結構で、ジャンプ力が一番である人は結局負けた。どれだけの高さという基準の方にこだわっているのは、もともと高い人たちの理屈なんだろうとは思う。ウェイトにこだわるのは格闘技系(重さ系もあるけど)だし、陸上競技の場合は、人の違いに考慮しない方針なのかもしれない。
 ああそう、野球の話題だった。僕は国際試合の団体競技は嫌い(ワールドカップを除いて)なのだが、何故か息子が見てもいいとチャンネルを変えるので見た。こういう格下相手だと火がついて容赦ないのは情けないが、まあそれはいいとしよう。通りがかりのブログで思ったのは、野球用語のことだった。考えてみたこともなかったが、ダブルプレーだとか盗塁だとか、確かに日常では使わない専門用語には違いない。僕は日本に生まれた男なので野球にはそれなりになじみがあってかえって気付かなかったが、普段野球を見ない人がこういう機会に野球を見て、野球用語に初めて接するということもあるのだろう。身近なシュールな出来事だ。
 しかし確かにダブルプレー(併殺)をゲッツー(get two outだろうか)と言ったり、ゴロを打つとかポテンヒットだったり盗塁だったり、投手とキャッチャー関係だけをバッテリー(電池ではない)と言ったり、変わっていると言えばその通りだ。サヨナラ安打(ホームランとか)なんかも考えてみるとなんか変だ。野球用語って面白いもんだなあとも思う。国際試合だけストライクカウントより先にボールカウントからいうなど、いくら表示がそうだからと言って改めてしまうアナウンサーのまじめさは、名字より先に名前を言ってしまう英語教育のようでなんだか可笑しい。
 まあ野球は本当のところどうでもいいので、他の競技でも用語を聞きながら観戦を楽しむという手があるな、とも思った。
 ちなみに中国人が応援の時にいう「加油(ジャーヨウ)」というのは日本語では「がんばれ」の意であるのは間違いないが、火に油を注ぐとさらに燃え上がるように、燃えろというか、行け、というような掛声に近い感じがする。結果的に頑張れということで、日本語のがんばれの方がなんだか訳がわかんない気がするし、そういうわけのわからない言葉で応援する日本人ってやっぱり面白いのではないかと改めて思ったのだった。
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