カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

人質と犯人、協力体となる(かも)   ストックホルム・ケース

2022-05-06 | 映画

ストックホルム・ケース/ロバート・バドロー監督

 1970年代に実際にスウェーデンで起きた銀行強盗人質立てこもり事件を題材に、その人間模様を追った作品。凶悪(と考えられる)な犯人に銃口を向けられ抵抗できない人質の身にありながら、徐々に犯人に共感を抱き協力するような心理になったとされる症候群とは、いったいどのようなものなのか、ということもこれを見ると分かる。実際には様々な要因が重なっており、警察や政府のやり方で犯人たちは追い込まれていき、行動を共にとらざるを得ない人質も、犯人とともに警察などに反感を募らせていったことがよく分かる。そうして犯人といえども人間的なところがあるわけで、何か同情の余地というか、憎めない人物でもあったようだ。馬鹿には違いないが、本当に人質を殺そうというか、あくまで利用しているに過ぎないことも感じられるわけで、そういうことに非協力的な警察や政府はひどいのではないか、とだんだんと思えてくるのだった。それは人質のみならず、おそらくこの映画を観ているものも、同じように感じられたのではなかろうか。
 人質の命の重さの問題があって、その命を盾に取られると、警察側もむやみに手が出せなくなるのは、ある程度は仕方のないことである。また立てこもり事件となると、当時も今も多くのマスコミがこれを取り囲んで監視することになる。それは多かれ少なかれ警察の動きも監視していることと同義であり、一般世論の厳しい目もそこには注がれている。警察は事件解決のために動いてはいるわけだが、当時のスウェーデンでもめったにない事件であり、いわゆる経験が少ない。このような劇場型の立てこもり事件としては世界中でも例のないものだったともされていて、特殊な状況が重なっていたものとも考えられる。
 ストックホルム症候群については、うろ覚えだが、その後他国でも人質と犯人の奇妙な共同感覚が指摘される事件があったと思う。もちろん殺されるかもしれない恐怖から逃れるためにも、犯人の要求にこたえることで、小さい無力な子供が親に頼るような心理に陥るようなこともある、と言われる。人にもよるのかもしれないが、そうした心理は必ずしも異常なものとは言えないということかもしれない。
 この映画では、犯人と人質の愛のようなところまで踏み込んでいるのだが、さてそれは実際にはどうだったのだろうか。面白い映画だが、観るものもそういう意味では試されているのかもしれない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 首が回らなくなった | トップ | やっぱり田舎はそうですか ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。