カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

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かなり痛烈な温暖化キャンペーン批判   太陽の科学が予告する 二〇四〇年寒冷化

2024-08-25 | 読書

太陽の科学が予告する 二〇四〇年寒冷化/深井有著(学術研究出版)

 さらに副題「脱炭素キャンペーンの根拠を問う」。となっている。内容的には表題の通りなのだが、別段胡散臭いものでは無い。そもそも僕が子供のころには、地球は寒冷化に向かっているとテレビでは結構報じられていて、僕らは雑誌などで寒冷化の世界を知り、おびえていた。寒冷化する世界を描く映画なんかも結構あったのではなかったか。まあ原因は、核戦争だったり別のものだったりもしたが。しかしながら実際に寒冷化すると予想する学者というのは一定数いて、地球というのは10万年周期で温暖化寒冷化を繰り返しているのは事実であって、それが人間の実感と(寿命というか)相容れずわかり得ないものがあるのは確かそうなのである。二酸化炭素による温室効果というのは、それはそれで事実ではあるが、それが長期の気候に及ぼす地球規模の影響への見積もりが、現在は大きすぎるのではないかという疑念は、そもそも多くの人(まともな気象学者)が言っていることである。長期の天気予報さえ当てるのは至難の業であり、事実上無理がある。数十年単位の温暖化というのは、誤差の範囲である可能性はぬぐえない。ただし、それが間違いだったらどうなるのか、ということはあるにせよ、そもそも今の温暖化を、人類は止めることなどできはしないのも事実だろう。そもそも無理な問題の上に、科学的でないジャーナリズムとしてのキャンペーンがあって、温暖化問題は人類の必須科目になってしまった。要するにこれは誰かの利益のための政治運動であって、科学の範疇からかけ離れているという事でもあるのだろう。
 寒冷化に備えることの方が大変だというのはありそうだが、今は温暖化騒動である。日本は無理難題を押し付けられ苦しんでいるが、アメリカも中国も温暖化対策には取り組まないことが確定している中にあって(彼らが主原因であるはずなのに)、そういう事実がどうであろうともう関係が無いことは間違いない。ふつうに目の前にある資源を活用して、人間的な営みを取り戻すことの方が重要だろう。まともな経済学者も言っている通り、地球を冷やすよりまず自分の頭から冷やすべきなのだ。
 ともあれ現在の状態を放置したとしても、実際に自分が生きている将来にわたって、人類がとことん困ることにはなりそうにない。二酸化炭素が増えることは、植物にとっては生育を助けることになるので、人口増の地域にとっては、必要なことでさえあるという。いったんは温暖化してもらった方が、人類にも地球にも優しいということなのであろう。

※ しかしながらこのくそ暑い毎日にあって、こんな本を紹介したところで、何か説得力に欠ける感じがするのも確かである。結局人間の実感というのは、判断を誤る原因であるという事なのだろうか。
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