カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

後悔した未来の僕に向けて

2010-03-21 | 雑記
 僕は比較的ものを捨てるほうだとは思うが、それでもいろんなものが溜まっていく傾向が残っていることは認める。それが無くなったら飛び上がるくらい困るというものでない限りいらないもの(捨てていい)である、という話を聞いて、そんなものなんてもちろんそんなにたくさんは無いから、目の前に溜まりそうなものは普段なら躊躇無くどんどん捨てる。
 しかしそうではあっても割り切れないものはあり、たとえば本などはなかなか捨てられない。自宅にも溜まるし職場にも溜まる。職員がこっそり定期的に捨てているようだが、捨てられる予定のものはできるだけ見ぬふりをしてほっとしている。僕が手を出すと拾ってしまう可能性がある。必要なら買えばいいし、どの道そういうものを改めて読んだりすることなどほとんど無いのだ。買うべきか躊躇している本を全部買ってもおそらくは手にも取らないのに、こういうものはどうにも割り切れるものではない。
 この間階段下の倉庫の奥から、十年以上前の懐かしい資料が見つかった。手書きで下書きしたりした企画書などもあったりして、思わず懐かしさに見入ってしまった。写真などもけっこうあって、そのころ一緒に活動していた人たちなどを懐かしく思い出されたのであった。少しかび臭くなったそれらのものをテーブルの上に広げて楽しかったのだが、ふと思い立って、やはり全部捨てることにした。十数年無くても特に困らなかったこれらのものは、そのまま見つからなくてもいいものだったのかもしれない。下手に今愛着をつけてしまうと、結局それらのものは溜まり続けていくのではあるまいか。
 ひょっとすると僕がもう少し年を取って、これらのものをもう一度見たくなることもあるのかもしれない。それはそれで大切なものには違いないが、もう捨ててしまったのならあきらめるより仕方なかろう。今の僕としては将来の僕に、そのような仕打ちをすることを許してもらうより無いだろう。どの道後悔は先にたたない。未来の僕よごめんなさい。
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