カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

車の話はちょいタブーである

2021-03-25 | 境界線

 どうも車のことは、固有名詞を出して語りにくいところがある。それというのも、やはり自動車関係の知り合いが、それなりにいるというのがある。良し悪しみたいな話になると、なんとなく差し障りがある、ような気がする。でもまぁ日常的に車には乗ってるわけで、クルマにまつわる良し悪しの話が、ないわけではない。僕の思い込みかもしれないので、実際のところ差し障りなんてないのかもしれないけど、一度そういうふうに考えてしまったりしてしまうと、やっぱり書きにくいのかもしれない。
 さらに車というのは好き好きというのが結構あって、その上になんだか興奮して語り出す人なんかもいる。そういうのにはちょっと付き合いきれないなぁという思いがあるし、実際付き合えるだけの能力もない。子供の頃は車のカタログと言うか雑誌と言うか、そういうのを眺めて、車種みたいなことを覚えていた。昆虫図鑑や動物図鑑を眺めているようなもので(これはいまだにやっているし)、男の子というのはそういうことするものである(ごめんなさい、たぶん女の子だってするんだろうけど、いつの間にかわきまえてしまって、しなくなるのかもしれない)。さらに僕らの世代にはスーパーカーというブームがあって、男の子たちにとって、そういう車種を覚えるというのは、普通に日常的な訓練といってよかった。今でいえばポケモンの種類を覚えることと、変わりない無いものと考えていいと思う(たぶん)。
 中には本当に強者がいて、ちょっと写真を見ただけで、これは何年式の何だ、とかいうようなことをいうのがいる。今の時代の様にネットがあるわけじゃないから、それは本当だったのかよくわかんなかったんだけど(たまに怪しいのもあったけど、まあ、いいか、という感じもなかったわけではない)、とにかくすごい感じはした。別に勝負をしていた訳じゃないけど、負けたなと言うか、かなわないなぁという感じだ。だからと言って、そいつが特別偉かったかというとそうでもなくて、そういうオタクっぽいやつが天下を取ったということは、聞いたことがない。あくまで裏路地の小さな狭い社会で尊敬を集めたかもしれないけど、たったそれだけのために必死に車の名前を覚えたりして、ちょっと悲しいような気がしないではない。
 そのうちやっぱりサッカーだとか何だとか、スポーツのできる子が偉くなって、それは他でもなく、そういう男の子の方が女の子にモテたからである。それは人間界の摂理であって、誰かを恨むような問題でもない。ただしかしそういったスポーツのできる子が将来的にも偉かったかと言うと、現在の僕らの廻りの姿を見ても、必ずしもそう言えることではない。その時代にモテたことはそいつにとって幸福だったかもしれないけど、その後の幸福を保証するものではなかったわけだ。ざまあみろ。
 そういえば車の話だった。車なんて乗れればそれでいいさ、という考えにも一定の同意はしている。車は走ってなんぼである。でもまあ特別いい車に乗りたいというわけじゃなくても(あんまりいい車に乗っているのも、かえって怪しいものだ)、それなりというのはある。それなりの車に乗っている方が、その人にも安心感がある。いきなりボロボロの車で現れると、こちらだって少し引いてしまう。少なくとも何か事情があるんではないかという風に思う。そうしてその事情を聞いたところで、僕にはどうにもしようがない(おそらく)。
 車はしかし、お金がかかる問題があって、すぐに見栄の対象にもなる。結局そういうことがあるから、最終的には車の話はしないのかなと思っている。
コメント
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