甲子園での高校野球が始まった。昼間は仕事だし、残念ながら多くの試合は見ることが許されない。録画して見るようなものでも無かろうし。しかし今回は直接野球の話では無い。少し気になったのは、高校生のインタビューなのである。
高校野球が始まる前から、期待の表れなのか、壮行会のような場が設定されているらしく、期待の選手や主将などにマイクが向けられる。そうすると彼らが、みんなに勇気を与えられるプレーをしたい、というような発言を頻繁にするのである。 何かの流行りなのかもしれないけども、これがちょっと聞き苦しい。何を血迷ってるんだろうか。別に野球を観たからといって、こちらは勇気を与えられたくない。率直に言ってそういう気分になるのだ。もちろんちょっと前からこういうことを言う人たちが出てきたことは知っているが、何かの冗談だと思っていた。ちょっとかっこ悪い感じがしないのだろうか。でもどういうわけかこういう事を言う人というのは、特にスポーツやってる人たちで増えているように感じられる。誰が言い出したのかわからないが、誰かが言い出して、それがいわゆる好感を持って捉えられ、それでこんな戯言を言う人たちが増えたんだろう。バカの再生産である。高校生もある程度そういうことには敏感になって、その通り真似をしているのかな、という感じがする。
確かにスポーツを見ていて元気になるというのは、少しは分からないではないところはある。頑張って運動している姿というのは、時には人を感動させる力はある。そうであるから、それは個人的に感動したりなどの成果として、観た側が、元気になったと言うのであれば、少しは分かるということだ。一方でこれをやる側が言うと、なんだかおこがましいのである。せっかくの成果を台無しにするようなことを言わないで欲しい。純粋な気持ちでスポーツを見て楽しもうという気分が、廃れる感じがする。元気をもらおうという疚しい気持ちで、スポーツを見たくないのである。そういう風に構えないでいて、しかしいつの間にか引き込まれて、面白かったな、と思いたいのである。
最初から勇気のようなものを期待している人が増えるというのは、はっきり言って不健全だと思う。そもそもスポーツが健全であるというふうに思っていないが、ますます不健全になればいいとも思わない。そうではあるが、少しくらいは夢をみたい、という期待もあるんで、そこらあたりは頑張ってもらいたいところである。少なくともやはりなんとか勝とうとして頑張ってるからこそ、応援のしがいがあるわけであって、勝ち負けにこだわらないような連中がスポーツをやると、面白いわけがない。やる前から闘志をむき出しにして欲しいというのが、本音ではなかろうか。
そうして精神の代理戦争のようなことをしているのが、スポーツ観戦というものである。特に野球というのは、ピッチャーさえ変えたら毎日連戦で試合を行うことができるために、興行としてお金を稼ぐことに有利だからこそ開発された競技である。高校野球はそこのところを地域間代理戦争にしているわけで、特に日本の場合は、特別に国家的に別枠で放映しているわけだ。せめて球児たちは、空々しいことを言うのは大人に任せて、白球を追うべきなのではなかろうか(まあ、言わされているのかもしれないですけどね)。