カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

今の思いが永遠である   ある天文学者の恋文

2018-12-24 | 映画

ある天文学者の恋文/ジョゼッペ・トルナトーレ監督

 大学教授と女学生が付き合っている。かなり親密だが、不倫らしい。遠距離で、メールやラインなどを頻繁にやり取りしている。ちょっと不真面目なくらい。教授の代行で他の先生が講義を受け持つ授業に出ると、この教授が亡くなったと聞かされる。それでもメールや手紙は届いてくる。すぐに何か仕掛けがあるとは分かるが、どうして教授はこんなことをやっているのだろう。もしや物理の考え方の一つとして、別の教授がいるとでもいうのだろうか。
 教授の自宅のあるエディンバラや、教授との思い出のイタリアの島などを旅するが、その都度教授からのメッセージが届けられ、メールも送られてくる。亡くなっているにもかかわらず、彼女の行動を予想して、または巧みに誘導して、そのような仕掛けを施しているらしいのだ。ところが彼女の秘密である部分に言及され、このゲームを終わらせる方法を彼女は怒りのあまり選択してしまうことになる。彼女のために書かれた手紙やCDはまだまだあるらしいことは突き止めてあるが、何かのプログラムのせいで、これらが彼女に届く道は永遠に閉ざされてしまったかに思えたのだが…。
 女子大生と老教授(何しろ自分の娘を同じ年の女と付き合っている)というバランスが危ういわけだが、確かに激しい恋に二人は落ちている。教授は著名な天文学者で、さらに大変な資産家のようだ。家族にも不倫関係はバレているようで、のちに娘の苦悩の話も少し出てくる。秘密の恋だとはいえ、公然の秘密だったということだろう。これで周囲に知られないというのもどうかしているけれど。
 相手のことを思うあまり、未来にわたって彼女の行動を予測しつくしている。天文学者が、まるで星の軌道を計算して読めるように、恋の行方も、緻密に計算して手を打とうとしている。しかしあまりに時間が過ぎてしまうと、少しばかりほころびが出てしまうとこがある。最初彼女はその不完全さにイライラする(時間の風化のようなことを感じたのか、間の悪さをおもったのか)が、実はその順番の狂いが、人間らしい博士の愛情を感じさせらえることにもつながったりする。素晴らしい演出である。
 人への強い思いは、瞬間的に永遠である。それは間違ったことではない。しかし人は生きていて、やがて死ぬ。瞬間としての永遠は嘘ではないにせよ、物理的な人間という生物の永遠は失われてしまう。そのようなはかない恋や愛というものは何だろうか。ファンタジーかもしれないが、そういう思いを抱くからこそ人は生きているのであり、今が生きられるのである。いかにもイタリア人らしい監督の人間賛歌の物語ではないか。
コメント
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