子供のころにはあったが、今は無くなってしまったものに銭湯がある。厳密に言って田舎のまちでは、子供のころにも既にほとんど廃れていたものだった。何しろ風呂なしのアパートのようなものが、そもそも田舎には少ない。家に風呂がある人が、わざわざ銭湯にはいかないだろう。また、別府のように温泉が湧くようなところなら、共同浴場的に銭湯に行く場合があるかもしれないが、温泉で無い銭湯にわざわざ行くような人は、そうそういないのではないか。ある程度の人口を擁するまちには銭湯が残る余地もあるかもしれないが、田舎ではちょっと難しそうである。
という訳で、銭湯というのは、どうしても子供頃の思い出である。家に風呂が無かった訳では無いから、何かの事情があって親と一緒に銭湯に行った覚えがあるという事だ。
僕の小さい頃には借家暮らしだったことはあるらしいが、物心ついたときにはたぶん自宅は持ち家だった。ただし、何度も改築した覚えがある。僕のきょうだいは6人いるので、そういうライフスタイルの変化に伴い、改築をしたのではないかと思われる。また、ガスで沸かすタイプの風呂だったのだが、時々これが壊れた。記憶があいまいだけれど、空焚きをしてしまって壊れたこともあったように思う。火事にならなくて幸いだったけれど、そういうときには仕方ないので銭湯に行くという事になった。僕は風呂嫌いのところがあったのだが、この銭湯に行くというのが、とても楽しかったという覚えがある。家族みんなでそれぞれに手ぬぐいというかタオルを持って、どやどやと父の車に乗って銭湯に行く。何かとても興奮するようなイベントだったのである。
田舎の銭湯なので、そんなに広い風呂では無かったが、当然家の風呂より広い。声も響いて面白いし、風呂で泳ぐという事もした。というか、ほとんど銭湯では泳いでいた記憶しかない。泳ぐと言っても顔をつけてバシャバシャする程度だけど。怒られた記憶は不思議になくて、当時の大人たちは寛大だったのではないか。むしろ僕らが入っていくと、泳いでみろと言われたような気もする。バシャバシャと温かい温水ピールで泳いではしゃいで、本当にあっという間の楽しいひと時だった。
ごくたまにだけど知り合いの子が居たりもした。学校で会話をするような子では無かったのに、翌日から話をしたりするようになった。それから親友になるということは無かったが、なんとなく仲間になったというか、風呂の縁で友達になったのだった。
風呂が壊れて父はめんどくさいというようなことを言っていたようだが、僕ら子供にとっては大変に良いことだった。ずっと壊れたままでも良かったのにな、と思っていた。