カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

僕が野球を見なくなった訳(その2)

2018-12-15 | なんでもランキング

 前回は、贔屓の球団が無いと言いながら結構あるじゃないかと自分ながら驚いた。まあ、実のところそれくらい野球は好きなんだろうと思う。野茂がアメリカで活躍するのは感動したし、その後イチローがヒットを量産するのも胸がときめいた。正直凄いことですよね。でもまあ、日本人が外国で活躍するのを日本人として喜ぶという図式は、正直言ってそんなに自分の気持ちとして気分の良い感じでは無い。僕はそういうところは自意識過剰なのだろうと思うが、愛国心のようなもので自尊心がみたされる感じに、後ろめたさや嫌悪がある。そんなの理屈じゃないよ、と思われる人もいるかもしれないが、むしろそういう他力に依存する自尊心がアイディンティティに占めることは、人間として悲しいのではないかと思うのだ。
 という事で、日本人の活躍にはほどほどの距離感を持つようになり、メジャーも特に見なくなった。もっともメジャー選手の活躍は正直言って日本のそれよりはやはり上らしいとは思う。あちらのスピード感は、はっきり言って素晴らしい。
 それというのも、これも日本のプロ野球の嫌なところなのだが、投手の間合いが長すぎるのである。間合いをちゃんと開けるという意味があるのかもしれないが、ちょっと鬱陶しい投手が多いのは確かである。その上にツーストライクと追い込んで、三球で勝負しない場面が多すぎる。審判も三球目のきわどい球を、なかなかストライクと判定しない。投げ急いだと批判する評論家もいる。実にくだらない。そういう野球的な常識感は、もっとも日本的にどうでもいいところである。
 ワンポイントで投手を変えるのは悪くないが、その替える時間でモタモタ時間が経過すると、やはり気分的にダレてくる。これは多少アメリカも同じだけれど、後半になってダラダラする試合は、やはり全体的に大味になってしまう。
 日本の投手は、平均してしっかり投げるタイプが多いとは思う。メジャーだとどうしてまたこの人が起用されてしまったのだろうと愕然とするくらい調子の波が激しい人が結構いる。もちろん日本でも荒れてしまう人はいるが、プロの人にはさすがに少ない。そうでありながら意識的にボールを多く投げて浪費しているようにも思える訳で、せっかくストライクを取れるんなら、早めにどんどんやってくれないものだろうか。
 さて、野球を見なくなって良かったことがいくつかある。当初の目的通り、いくぶん時間を別のことに確保できることだ。ビデオに撮ったドキュメンタリーみたり、動物や科学番組をたっぷり楽しめる。また、そもそも野球中継というのが、だいぶ減ったように思う。楽しみにしていた試合が放送されないのは残念なことだったが、もう放送自体が有る無いというがまったく気にならなくなった。僕には関係のない問題である。そうしてペナントの行方が気にならないので、精神衛生上非常に健全になる。平穏でなおかつ人に乱される恐れが減る。野球に精神をかき乱されるというのがこんなにも不健全だったとは、野球を見ている時には全然気づかないことだった。これはかなりの収穫である。
 そうして一番利点として思うことは、やはり飲んでいて野球談議に一定の距離が持てることだ。誰がどこのチームの話をしようと、まったく問題ない。フムフムそうですか。それは大変ですね。いやはや、それはお気の毒に。まあ、それは良かったですね。本心でそういう言葉が出るようになる。ただでさえ持論を曲げたくない性格なのだから、飲んでトラブルをつくるのが上手な方である。これまで何度も野球では失敗してきた。もうそういう事が無くなってしまったのである。世の中というのは、これほど美しく平穏なものだったのか。野球を見ていた頃にまったく知らなかった。禁煙して健康に留意するようなことを考えるよりも、野球から距離を置くことの方が、ずっと安全に暮らせるようになるはずである。僕の老後が平穏なものかどうかはともかく、今はずいぶん平和な暮らしができているのである。
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