ぱらぱらと本を読んでいたら、「浪費家は金銭を与えたがり、能無しは助言を与えたがる」と書いてあった。なんとなく上手いことをいっているという雰囲気はあるが、どうなのか。要するに為にならない助言はいらないというのはよく分かる。しかし金持ちがため込んで使わないより、ちゃんと浪費してくれた方がいい。金が無いのに配るという人は、本人や肉親は困るだろうが。しかしながら周りにいる人が、それで助かる場合もあるのではないか、という気もする。いや、そんなに義理も無くたくさんもらう必要が無い、というのは分かる。しかし、何か困っているような時にそんな浪費家がいてくれたら、それは良いことでは無いか。いや、単にくれるだけなんてことを本当に信じてはならない、ということなら、理解できるが。
この本は、他にもなかなか妙なことを書いている。例えば「信条を曲げない」という項目がある。内容は「熟慮の末にもう人に本を貸すのはやめようとか、ワインはこれだけの量しか飲まないと決めたなら、たとえ実の父親に説得されても、最初に決断するに至った動機が有効であるうちは撤回してはいけません(抜粋)」とある。そういうのはそもそも信条の問題なのか、という疑問があるのと、人間的に妙に狭量だ。
また「決まり文句は控える」という項目では、光陰矢のごとしということわざは間違いであり、光が基準より早くなるのは不可能と説き、そのように感じられる人は、いつもより睡眠時間が長かったか、ぼんやりしていたからでしょう。という。そして、決まり文句を聞くとうんざりするし、無意味で白々しく感じる、のだそうだ。重傷で床についている人に「お元気そうで安心しました」と言い、どんな子供にも「年のわりに大きいね。それにお父さん(お母さん)にそっくりだ」などと声を掛けるような人を非難している。いったいこの作者の身に何が起こったというのだろう。
これはアドルフ・F・クニッゲという人が書いた「人間交際術(イースト・プレス)」という本で、ヨーロッパで100年も読み継がれた処世訓のようなものだそうだ。当時の人々には役に立ったものかもしれないが、現代では驚くほど当てはまらないことが書いてある。そうであるから、このように的の外し方が暴投過ぎて笑える、というのはある。ほとんどの日本人には馬の耳に念仏のようなお題目だけど、これも日本人に翻訳されて読まれることがあるのだろう。需要としてこんなことに感心する人がいるなんて、僕にとってはとても不思議だ。世の中というのは、やっぱりシュールである。