阿波DANCE/長江俊和監督
見始めてすぐに嫌な予感がしたのだが、結局ずるずる最後まで見てしまって後悔してしまった。まあ、そんな程度の映画ではあったのだが、そういうことは経済学用語のサンクコストの証明ということでもあって、分かっちゃいるけど人間の生理としてなかなか改善できない問題なのかもしれない。
そのようにつまらない時間を過ごしはしたのだが、つまらない映画を観ているとかえっていろいろ考えたりすることもあるので、すべてが無駄だったと思いたくないという合理化の精神が働いている可能性はあるものの、捨てたものではないという思いをすることがある。
実を言うと阿波踊りというのは不思議な魅力があるのも確かで、踊れそうで簡単には真似して踊れないというもどかしさもあって、やはりあれは結構難しいものなのかもしれないと思う訳だ。盆踊りのようにその場で混ざっても、なかなか格好がつかない。もちろん必ずしもちゃんと踊れなくても総踊りに参加してもいいのかもしれないけれど、やはりある程度の心得を必要としそうなところがあるような気がする。同じアホなら踊らにゃソンソン、と言われたって、ハードルが高いのだから見ているより無いというのが、実際のところなのではなかろうか。
また、映画の中では、ダンスというものについて、やはり本場の東京でなければならないというような主人公の思いがあったようなのだが、東京が本場であればある程、田舎でいる方が目立つことにおいては有利なのではなかろうかとも思った。激戦だから鍛えられるというような面は確かにあるだろうにせよ、例えば高校野球のように、出場校の少ない県の方が、比較的予選は有利である。もちろん徳島には予選すら存在しないということを言いたいのかもしれないが、そういう中にあるからこそハングリー精神がかえって育まれるということは無いのだろうか。それに言っちゃあなんだが、実際にものすごく上手いダンスに見えないところがこの映画の最大の痛さなのかもしれないと思った。最近の高校生ダンス・コンテストのようなもの(実際にちゃんと見たことは無いのだけど)を見ていると、本当にすごい人達がたくさんいるらしいことが分かっているので、映画のようなプロフェッショナルな所で、そのレベルに達してないように見えるというのは、そもそもの問題なのではなかろうか。
お話としてはそれまで。それにしてもなんでこの映画を借りてしまったのか。そのきっかけが何だったのか。自分自信のミステリーは深まるばかりだ。