カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

のんびり休日

2011-10-15 | 雑記

 朝から何故だかアンジェラ・アキの津軽海峡冬景色を見て、福田さんの料理番組を見て、イカ釣りを見て、宇宙人の可能性についてホーキングさんが語っているのを見た。マキャベリの君主論もちょっとだけ見た。911のアニタさんも30分だけ見た。見ながらつまみにラスクと韓国海苔を食べた。朝飯は別にジャガイモのスープとヨーグルトを食べていた。スマップも録画しておいたのだが消していいといわれた。僕は見てないんだが、もちろん見る気にはなれない。落語も見ておきたいが、もうあまり時間が無い。昼はところてんだと、確かつれあいが言っていた。なかなか順調ではないか。
 杏月ちゃんはボールを投げてくれとせがんで煩わしいのだった。今朝は50分ほど散歩に行ったじゃないか。ま、ちゃんと遊びましたけど。
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二十四の瞳

2011-10-15 | 映画
二十四の瞳/木下恵介監督

 若い人が「にじゅうよんのひとみ」と読んだのでショックを受けたという話を随分前に聞いたことがあるが、それが戦後教育だったので仕方あるまいと僕などは思ったものだ。
 そういう視点とは逆に、今この作品を見ると別の意味で多少意外な感じがした。それというのもこの若い女の先生が、何だかちっともたいしたことの無い先生なのである。赴任してそう時間も経たないうちに子供の悪戯で怪我をして、すぐに職場を変わってしまう。もっともその出来事で子供の方が心配して遠くまで見舞いに来るエピソードが重要であるという作りなのだが、その後の恩師との邂逅などのことを考えるにつけ、実はたいしたつきあいもしない間柄にもかかわらず、昔の人は長い間先生を辛抱強く慕ったものだと不思議に思ったりした。
 僕自身は個人的に職業として先生に憧れる(なれるなれないということをまったく考慮に入れないということではあるが)というような気持ちになったことが無いのであるが、随分前にある先生と飲んでいたら、二十四の瞳のような環境で先生をやりたくて、素直に目指していたというような話を聞いて、へえ、と思っていた。そういう辺鄙なところで子供たちと一緒になって勉強を教えたりなんかするというようなシチュエーションが、先生を目指すような人の一つの夢のようなものなのだな、と思ったわけだ。特に長崎県は離島が多くて、一般的にはそういうところに赴任するようになると、大変ですね、という話になるわけだが、家庭が出来ると確かに困ることはあるにせよ、多くの先生は、心の中でウキウキ期待していたりするものなのだという話だった。もちろん個人差があるのでぜんぶの人がそうではないにせよ、少なくともそういうことであるというのはなるほどなあ、と思ったのだった。
 ということで、多くの先生方に少なからぬ影響を与えたであろうこの映画であるが、内容をつぶさに見ていくと、実は先生として特にたいしたことの無い姿に逆に驚いてしまうということなのだった。卒業した子供のつらい境遇に立ち会っても、ただ無力に一緒に泣いてしまうだけ。それは共感として仕方のないことには違いないし、そういう時代なのだということなのだけれど、先生として子供に対峙して何かを考えるという姿勢のようには思われないのだった。むしろ何も考えて無かったけれど、子供によって初めていろいろ物事を考えるようになったということなのかもしれなくて、本当に素直な人間の成長物語なのかもしれない。そうではあるが、結果的にそういう体験を経ても、凄い先生というようなことにならないところがまた、この映画の凄いところなのかもしれない。
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