カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

興味はすでに5月以降だ

2010-04-24 | 時事
 報道を見ている限り、普天間問題の5月末解決はあり得ないように見える(もちろん5月末は楽しみだ)。僕はノンポリなので、そのことで政局がどうなるというような視点には興味が無い。言った言わないも、まあ、どうでもいいような気がする。
 徳之島をはじめ、移転候補地といわれるところは会話無き反対の合唱状態。そんな事は当たり前なんだろうが、しかし賛成の声がまったく聞こえないのも戦争状態と同じで興味深い現象ではある。米国海兵隊がこんなに嫌われる存在だったということが明らかになってしまった。実際に駐留中の沖縄だって猛反対の機運が更に高まっている。米国はおそらく、安いお金で守られていたに過ぎない国が、ちっともその恩恵に感謝してなさそうに見えることに違和感を覚えていることだろう。ただの属国が何をやろうとしているのか。不審を向けているのは政府に対してだけではなかろう。時間切れを本当に望んでいるのは間違いなく彼らだろう。
 今はその程度の議論で止まっていることの方が実は最も大きな問題だ。思考停止がこのまま続くんだろうけど、いらないものはいらないといっていいのは当たり前のことだ。それは本当に要らないのならば。
 まともな意味での5月末解決は無いだろうが、しかし、この議論の始まりはあんがい大きいことなんじゃなかろうかと思う。パンドラの箱は開けられてしまった。後は根気よく議論を止めないことだ。本当に必要なんだということになれば、いくら犠牲が大きくとも、根気強く駐留させるための処置は取られなければならない。もちろん軍備の別の選択だってある訳だ。安全はタダではない。それが宙に浮いたままでの反対論というのは、本来ならばまったく意味はない。ゴミ処理場が自分の庭につくられるのは、誰だって嫌だ。嫌だから反対というのは、心情的に理解はできるものの、通る話ではそもそも別のことだろう。
 今はやんわりと圧力をかけつつも傍観を気取っている米国は、つまるところ自分の財布が痛む問題ではないから知らんふりを続けられるだけのことなのだろう。彼らの予算に影響を与える事態になれば、また違う形で正式に圧力をかけてくるだろう。彼らは国内問題にならない限り、興味さえ示さないはずだ。
 これは日米問題の本当の新たな一歩になりえる。
 彼らの世論は知らないが、もし僕が米国民だったならば、なんで日本はいらないものを僕らにいらないといえないのだろうと率直に疑問に持つだろうと思う。これだけの国民世論がありながら、外交に対してなんら意見が無いように見える。しかし、そのままで済むわけの無い問題であることは明からであり、これからは何らかの回答が聞こえてくるはずである。別に喧嘩をするわけではないが、初めて対話ということが生まれていくことになるかもしれない。子供なんだと思っていたのに、意見が言えるのだと素直にびっくりしてしまうかもしれない。
 という訳で、面白くなるのは5月末以降のことになってほしい。繰り返すがとりあえず政局には興味が無い。そっちにばかり話が飛ぶのは、つまるところこの問題の先送りに加担するだけのことになってしまうだろう。ああ、日本人、である。
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コーチ・カーター

2010-04-24 | 映画
coach carter trailer


コーチ・カーター/トーマス・カーター監督

 カーターという名前の高校のバスケット部の監督の物語。よく知らんが、たぶん実話が元なんだろうと思う。
 カーター監督は学校の先生ではなく、スポーツ用品店を経営するかたわら、請われて地元高校のバスケットボール部の指導を受け持つことになった。今は荒れているがカーター監督もこの高校の出身であるらしく、以前はバスケットでは名門高校であったらしい。昔の栄光を知っている人に、その復権をゆだねられたわけだ。
 選手たちは、そこそこ実力が無いわけではなさそうだが、試合には勝てないし、チーム状態はバラバラ。いきなり鳴るもの入りでコーチがやって来たからといって、そう簡単にいうことを聞くような連中ではない。しかしこの監督はこのやんちゃなチンピラもどきの生徒達を相手に、さらにやんちゃぶりを発揮して圧倒してしまう。単なる暴君なんだが、筋論だけで曲げることをしない頑固さがあり、それなりの単純さが分かりやすいために、やる本人さえ頑固なルールを受け入れれば実力を伸ばすのが上手いという指導方法。日本人には向くかもしれないなあと思いながら観た。
 サクセスするのは面白い。さまざまな困難が持ち上がっても、その頑固さだけで乗り越えて行ったりする。はっきり言ってむちゃなんだが、なかなか心地いい物語である。
 一種のバカ映画には違いないのだが、サミュエル・L・ジャクソンが怒っているのを観るのは楽しい。アメリカの映画館だったら、彼が怒るたびに大喝采となったに違いない。ただ彼は大魔神とは違い、我慢をため込まないでどんどん爆発する。辛抱しないカタルシスは、考えてみるとかなりアメリカ的ではある。暴走列車を誰も止めることができないように、ぐんぐん行くところまで行くしかないのである。実にうまく行っているにもかかわらず、そうなると水を差すことも平気でやる。バスケットだけでなく子供たちの行く末を本当に考えているという展開もなかなか泣ける。お節介すぎる厄介な人間なのに、それを強要してはばからない。まさに洗脳のプロである。
 しかしながらある意味で、人間の情熱ということの見本の先生なのかもしれない。大変害のある人間だとは正直言って思うけれど、害の無い教育なんてありえない。先生の影響力によって子供は害を受けることこそが本当の教育なのだ。そのことを実にストレートに迷いなく語られていて、大変に楽しかった。特に教育関係者は、楽しみながら観るべし、である。
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