カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

帯の無い本がいい

2010-04-23 | 雑記
 古本を買うときに何となくうれしいのは帯がついてないことである。
 比較的新しいもので帯がついたままのものがあるが、新古書というか、中古品として不満だ。状態がいいという意味だとか、中には古くても帯がついているだけで高かったりするので、付加価値を越えて意味のあるものということがいいたい場合もあるのかもしれない。しかし、本当に帯というのはほとんど不要なものという気がする。
 最近の新書の一部には帯の広いものがあって、持っていても気にならないものもありはするが(ほとんどカバーという感じだし)、帯がついたままの状態の本は、読んでいるときに帯がずれるのが気になってイライラすることがある。
 じゃあ、捨てれば。という回答こそ憧れのものだ。いや、多くの場合僕だって捨てる。そういう勢いのある気分の時は断固捨てる。
 だけど勢いの無い時は捨てられないのである。何故なのか僕自身に聞いてみてもよく分からない。もったいないということなんだろうか。買った状態が崩れるのが嫌なんだろうか。
カバーの内っ側に折って引っかけておくこともよくする。注釈のある本にはその場所の栞として使う場合もある。ちょっと嵩張るので不都合も感じるが、無いよりマシ、という感じかもしれない。利用できて嬉しいという気もしないではない。
 本とは関係ないが、以前はLPレコードにはタスキがかけてあった。僕はあれを捨てきれなかった。付けたままだと破れたりして不都合なので、別に取って保管していた。中学生の頃に「趣味とコレクション」というものを学級で見せ合う行事のようなものがあって、僕は迷わずレコードのタスキの束を持って学校で見せびらかせたものだ。新聞少年だったから同世代のみんなより格段にお金を持っていたので、おそらくその狭い社会の中で、段違いにレコードを買える余力を持っていた。楽器以外はレコードしか買わなかったから、当然たくさん持っていたわけだ。だからタスキをたくさん持っているというのはちょっとしたステータスだったのかもしれない。もちろん羨ましがられたが、そのタスキを乱雑に扱う奴がいたので、思わず喧嘩になってひどく先生に怒られたので、むやみやたらに自慢することはそれからは止めることにした。
 いや、本の帯はレコードのタスキとはずいぶん違うような気もする。コレクションしたことすらない。レコードからCDになってちょっと残念だったのは、端にちょこっとだけ型紙のような帯の代わりの紹介文がついているアレに代わってしまったことかもしれない。もちろん今は躊躇なくゴミ箱行きだ。
 帯はおそらくその本の宣伝のためについているのだろうとは思われる。しかしながら僕は帯を読んで本を選んだという意識はほとんど感じない。最近はほぼ8割以上ネットだから、送られてきた(つまり既に買った後)本に結果的に帯がついている状態というだけにすぎない。新品である証明のような意味しかないような気がする。
 ところで古本だが、そういう煩わしさを開放するがごとく帯が無いというのが潔い。帯のついてない古本が送られてくると、やあ、いい本だ、と思わず愛おしく感じられるほどだ。おそらく前の持ち主が躊躇なく捨ててくれたものだろう。そういう彼(彼女)に尊敬と感謝を感じつつページをパラパラめくるというのが、僕にとってはしあわせなことなのだ。
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