カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

日本語は亡びない

2010-04-14 | 読書
日本語は亡びない/金谷武洋著(ちくま新書)

 小林秀雄賞を取った水村美苗著「日本語が亡びるとき」を発端にして、その論を論破するとともに、日本語とともに日本の将来までも感動的に考察した本である。日本語話者に限らず、おそらく日本語を勉強しようとするもの、または英語を中心とする自己中心主義にうんざりしている人も巻き込んで溜飲を下げることになるに違いない。
 とまあ、見事な本なんでぜひ内容は読んでもらわなければならないが(自分で体験しないともったいないから)、僕自身も著者と同じく「日本語が滅びるとき」は(雑誌「考える人」で抄本を読んで)駄目だと思ったクチである。それはたぶん、僕が中国語を勉強していた過去の経験があるためだと思う。実感として日本語が将来的になくならないことは、外国語を勉強したことのある多くの人が感じることなんじゃなかろうかと思う。何故か英語関係者には勘違いする人もいるようだが、普通の外国語や外国を知ると、日本という巨大な国と巨大な言語圏を自然に知ることになるので、そのような間違いは犯しようがないことなんじゃなかろうかと思うのである。
 日本人の英語に対する畏敬の念というのは、はっきり言って異常すぎるのである。グローバル社会(実は米国化というローカル化なんだけど)において英語が席巻するという幻想を抱き続け、英語ができるだけで語学ができるということを平気で思ったりする。残念だが英語が話せることと語学ができることはほとんど関係が無い。いや、出来ることにこしたことはないが、今勉強している人にも悪いとは思うが、人間の脳の機能として、母語以外の言語を習得することの方が、非常に困難というばかりではなく(たとえ一部の人が非常に出来るとしても、科学的に実証されている事実だ)、不必要な状態なら他の言語を習得する必要すら、これからも今現在もまったくないということが分かっていないだけの話である。アメリカとこれだけ親密にお付き合いをしている現在であっても、一部の人ができるだけでほとんど間に合うばかりでなく、将来的にもっと英語が必要になる可能性は今よりはるかに低いだろう。アメリカの覇権が続くのかどうかはよく分からないが、多くの人はその可能性が低いと思っていることは間違いのないことだ。別に嫌米思想でそう言っているわけではなく、それが日本人以外の人たちの、ごく一般的な認識にすぎないことだと思う。
 また、日本語という言語に注目していくと、必要だから習得する道具としての言語ではなく、多くの外国の人があこがれる国の教養として、勉強している人は増え続けているのである。英語ととって代わって世界に広がる(広がれば広がるほどむしろ不完全な英語が増えるだけである)ということはないだろうにせよ、大虐殺が起こって日本語の話者が根絶されるというようなことが起きない限り、日本語が将来的に亡びたり、ましてや廃れたりすることはあり得ないことなのである。
 まあ、しかしそういう有害なことを信じたい人は信じ続けてもどうでもいいことかもしれない。事実認識を間違っているのだから、ちょっとの間国内の憂国の民にはウケるのかもしれないだけの話で、将来的には笑い話にしかなるまい。
 この本の日本語の文法的な話が、日本人や世界の人を救うのかどうかは僕にはわからない。日本語に主語がいらないことは、多くの文章が証明していることだし、学校で文法を習う受験生の拷問のためにある理屈はすでに実生活では通用しない。そういう部分だけは、将来的に改善されていくことを望むばかりだ。
 別段この本は日本語礼賛というだけの内容ではない。実は滅びかけて形を変えさせられて現在に至る英語の悲しい姿や、他の言語と比べて日本語がタフである理由や、何故か二人の日本を代表する「みゆき」さんを持ち出して、日本の庶民思想までも暴きだして見せるのである。
 薄い本だが内容は鋭く盛りだくさん。別に英語を勉強するなという本ではないので安心して楽しんでください。むしろいろんな国の言葉を、僕らは楽しく勉強していくことに興味を抱くかもしれない。それが本来的な意味での将来的なグローバル社会を生きていく正しい姿なのかもしれない。もちろん、母語に日本語をもっている子孫の皆さんと同じく、僕らの現在の正しい立ち位置なのである。
コメント
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