餃子のなんちゃら
非常に合理的な教育(洗脳とは教育の別名だから)のやり方だと思う。いいとか悪いとかは別の話だ。いい人材を選ぶのではなく教育しなくてはならないという日本という社会で、生き延びる企業の当然の対策なのである。これをやれない企業は苦しい訳で、多かれ少なかれ似たようなことをやらざるを得ない。日本の風土が強制的に企業に求めることの防衛策として、やらざるを得なかったということなのだと思う。会社が悪いのではない。
しかしながら、こういうことをやりたくないから、人は努力できるという側面はある。道は一つではないし、むしろこの道に入る前に本人の選択があるわけだ。教訓として知っておくと、備えとして勉強する子供が増える可能性はある。それができなければ、日本という特殊な社会で生きていくことを選択するとして、このような世界を体験しなければ、人間の復活は無いのかもしれない。それは多かれ少なかれ自分で教育を拒否した結果受ける儀礼のようなものかもしれないのだ。
もちろんこれすらも拒否することの方が簡単なのだ。結果として王将が勝つのならば、このやり方が生き残る可能性の方が高い。本当に嫌悪するのなら、これに勝つやり方で勝てばいいだけの話だろう。
以前プロ野球の選手の雑談で、広島に対しては意地になって選手が戦うという話があった。広島の練習は地獄のような特訓が有名で、選手としてはあれをやられるとたまらない。結果として広島流が強いのならば、他の球団もその方針を取り入れる可能性がある。他球団の選手はそれだけは困るので、広島に勝たせてはならないということらしい。もちろん現在の広島の低迷はそれだけの理由では無いだろうけれど、なんだか説得力があって面白かった。
繰り返すが選択肢は一つではない。気づかなければならないのは、本来的に自分個人の問題だ。なにをやるかを与えられるのではなく、自分で決めて選択すればいいだけの話なのだろうと思うのである。
でもやっぱり、この世界に入らなければならないことになってしまったら、恐ろしいですね。はい、という訳で、頑張ろう。