鉄砲と日本人/鈴木眞哉著(ちくま学芸文庫)
本を読む醍醐味として、世の中がひっくりかえるような知的興奮というものがある。常識がくつがえるというか、目から鱗というか、とにかく「ええっ」と驚愕するような体験である。これはまさしく快感で、怪しい説でそのようなことになっても何の意味もないが、根拠を持ってくつがえされると、その時間が至福となる。しかしながら当然のこととして、そのような内容の本というものはめったに出会えるものではない。今回の本というのは、そのような実に貴重なびっくり本ということなのである。
昔はよかったというノスタルジーは、現代の失望からくるものが多いのかもしれないのだが、多くの場合はただの妄想である。ましてや自分自身のことだけでなく、日本人はどうだったという話になると、なんで現在と比較してまで昔を褒める必要があるのかということの方が問題視されなくてはならないのではないか。いや、当然昔の日本人には素晴らしい人がいなくては困るわけで、今よりその割合が多かったのかどうかということは厳密に分からないにしろ、偉い日本人を顕彰してたたえることについて非難するつもりは毛頭ない。その上昔の日本人について死人に口なしで悪く言うようなことも、むしろ卑怯な行為と言えるだろう。もちろん著者としても、そのような卑劣なことをしたいがためにこのような日本人論のような話を書いたわけではない。素直に調べていくことにより、何より著者本人の方が、目から鱗の体験をしたということなのだと思う。その体験を読者に語るとき、定説という大きな壁の前に戦いを挑まなければならないという問題が起こる。その戦い方において、如何にその壁をつき壊すかという行為を当然とらなくてはならなくなって、あらかじめ防御を張るということまで考えを巡らせなければならなくなる。十分注意していると素直に読むとよく分かるのだが、一度定説に凝り固まって歴史を見る目を養った人たちにとっては、この行為はある意味で背信に映るものなのかもしれない。その上著者の立場は、何の権威もないただの在野の人である。本来一番弱い立場の人が、実は強力な武器を手にしている。これは比喩でいっているわけだが、まさにそれは鉄砲の話なのである。正直に愉快で、僕はすっかり鈴木眞哉(まさやと読むらしい)のファンになってしまって、アマゾンでさらに数冊クリックしてしまった。
実を言うとこの本の存在を知ったのは十年ほど前だったかもしれない。それなりに話題になっていたようで、読んでみたいと思ったのだろう。それで記憶の片隅には残っていたようで、数年前に本の方は購入していたようだ。しかし積読したまま本棚にあったわけだ。このたびふと手にとってのめり込み、そういえばというようなことをいくつも思い当たった。特に白兵戦ということについては、近年別の著者から否定的なものが出ているようでもある。武士道についても同じように、マスコミ的な流行りとは裏腹に、まともな言説のものもそれなりに存在する。もちろん、普通に歴史を研究している人達にとっては、むしろ世間的な、またはテレビの時代劇的な常識というのは、もとから噴飯ものだったということは当然あっただろうし、あえて表面的に否定せずとも常識として流布しているということはあっただろうことは予想される。しかしながらなかなか世間の常識の方が動かし難かったという諦めもあったのではないか。このような論説が在野の研究者から明らかにされ話題になることで、また、本来の歴史研究がさらに刺激を受けて深まるということも言えるのではないだろうか。そういう意味でも楽しい事件として、この本がさらに読まれることを願うのみである。
まあ、戦国の人気武将に思い入れの深い人は、逆に失望してしまうかもしれないですけどね。
本を読む醍醐味として、世の中がひっくりかえるような知的興奮というものがある。常識がくつがえるというか、目から鱗というか、とにかく「ええっ」と驚愕するような体験である。これはまさしく快感で、怪しい説でそのようなことになっても何の意味もないが、根拠を持ってくつがえされると、その時間が至福となる。しかしながら当然のこととして、そのような内容の本というものはめったに出会えるものではない。今回の本というのは、そのような実に貴重なびっくり本ということなのである。
昔はよかったというノスタルジーは、現代の失望からくるものが多いのかもしれないのだが、多くの場合はただの妄想である。ましてや自分自身のことだけでなく、日本人はどうだったという話になると、なんで現在と比較してまで昔を褒める必要があるのかということの方が問題視されなくてはならないのではないか。いや、当然昔の日本人には素晴らしい人がいなくては困るわけで、今よりその割合が多かったのかどうかということは厳密に分からないにしろ、偉い日本人を顕彰してたたえることについて非難するつもりは毛頭ない。その上昔の日本人について死人に口なしで悪く言うようなことも、むしろ卑怯な行為と言えるだろう。もちろん著者としても、そのような卑劣なことをしたいがためにこのような日本人論のような話を書いたわけではない。素直に調べていくことにより、何より著者本人の方が、目から鱗の体験をしたということなのだと思う。その体験を読者に語るとき、定説という大きな壁の前に戦いを挑まなければならないという問題が起こる。その戦い方において、如何にその壁をつき壊すかという行為を当然とらなくてはならなくなって、あらかじめ防御を張るということまで考えを巡らせなければならなくなる。十分注意していると素直に読むとよく分かるのだが、一度定説に凝り固まって歴史を見る目を養った人たちにとっては、この行為はある意味で背信に映るものなのかもしれない。その上著者の立場は、何の権威もないただの在野の人である。本来一番弱い立場の人が、実は強力な武器を手にしている。これは比喩でいっているわけだが、まさにそれは鉄砲の話なのである。正直に愉快で、僕はすっかり鈴木眞哉(まさやと読むらしい)のファンになってしまって、アマゾンでさらに数冊クリックしてしまった。
実を言うとこの本の存在を知ったのは十年ほど前だったかもしれない。それなりに話題になっていたようで、読んでみたいと思ったのだろう。それで記憶の片隅には残っていたようで、数年前に本の方は購入していたようだ。しかし積読したまま本棚にあったわけだ。このたびふと手にとってのめり込み、そういえばというようなことをいくつも思い当たった。特に白兵戦ということについては、近年別の著者から否定的なものが出ているようでもある。武士道についても同じように、マスコミ的な流行りとは裏腹に、まともな言説のものもそれなりに存在する。もちろん、普通に歴史を研究している人達にとっては、むしろ世間的な、またはテレビの時代劇的な常識というのは、もとから噴飯ものだったということは当然あっただろうし、あえて表面的に否定せずとも常識として流布しているということはあっただろうことは予想される。しかしながらなかなか世間の常識の方が動かし難かったという諦めもあったのではないか。このような論説が在野の研究者から明らかにされ話題になることで、また、本来の歴史研究がさらに刺激を受けて深まるということも言えるのではないだろうか。そういう意味でも楽しい事件として、この本がさらに読まれることを願うのみである。
まあ、戦国の人気武将に思い入れの深い人は、逆に失望してしまうかもしれないですけどね。