カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

僕が罪人だったころ

2009-02-15 | 雑記

 一日過ぎたが、昨日は多くの人の恋が成就したらしいことは、いろいろなブログで見て取れる。人はある程度のイベント性に弱いところがあるのだろう。切っ掛けとして絶好の日といえば、確かに昨日はいい日なのかもしれない。
 さて、バレンタインといえばチョコレートが定番というところなんだけど、学生時代には確かにチョコレートが欲しかったような記憶がある。漠然とモテたいという欲求があったことを認める。自分の中の自意識過剰というか、または自信のなさというか。僕は本当に馬鹿なガキだったので、「チョコレート頂戴」といって手当たり次第に廊下を渡り歩くような行動を取ったりしていたようだ。もちろんそんな子供にチョコをくれる人などいない。しかしこれは一種のテレ行動で、どうせもらえないことを意識して馬鹿をやるということだったのだと思う。別に名誉でもないんでも無いが、それでももらったことは確かにあって、それは悲しいかな意中の人ではなくて、やはり冗談めかして受け取るより無いのだった。学校社会のバレンタインというのは、罪な行事だったような気がする。

 高校生ぐらいになるとやはりそういうことに対して少しは考えるようになる。今考えるとおかしいのだが、下手にもらわない配慮というものを考えていたのもこの頃だ。もちろん理由はあって、下手に貰うようなことがあっては却って都合が悪い。圧倒的にモテるのならいざ知らず、中途半端にもてるようなことはものすごく厄介だ。不必要にもてないにはどうしたらいいのか、なんて事をまじめに考えていたりした。まあ、馬鹿には違いないが、そのころはそれなりに真剣にそんなことを考えていたようだ。
 なんとなくというか当然気づいていたことだが、僕はある女の子から好かれていたらしく、ある意味で公然の秘密として周りの人間はみんな知っていた。僕は残念ながらまったくその子は意中の人ではなくて、普通に友達として、というか、別に積極的に嫌いなわけではないが、まったく付き合うには駄目な感じだった。ゆわゆる、まったくタイプじゃない人なのだ。そんなに器量がいいとはいえないにしろ、それなりに友達もいるような明るい子で、悪い人ではないということは分かる。しかしだからといって付き合ってもいいとはどうしても思えないのだ。いや、冷やかされて一緒にさせられたりするのは激しく嫌だったけど、だからといって誰か別に積極的に好きな人というのもいるわけじゃなく(まあ、これがいけないわけですね)、放っておくという感じなのかもしれない。
 バレンタインにはチョコと一緒にマフラーか何かをもらったのだが、僕は「すまないけど」といって返してしまった。ちょっとマジだと困る、と思ったのだろう。そして、この日を境にクラスの女子というのはすべて敵になってしまって、執拗に嫌がらせを受けた。机の上の鉛筆をわざと落とされるとか、まあ、そんなようなことだ。中にはまともに説教してくる子もいて、本当に煩わしかった。僕は本当にモテるという男ではなかったから、男連中からも身分をわきまえていない、などと真剣に注意を受けたりした。これには本当に懲りた。このようないじめのようなものは一時のことではなくて、しばらく続いたように思う。僕に同情的な人間はほんのわずかで、どうしても理解できない奇異な行動を取った人間として、糾弾されるようレッテルを貼られたようなものだった。様々なことがぎこちなく変化し、まったく嫌な体験だった。
 そういうことがあったにせよ、その子は僕に話しかけてくることがあった。まるで天使が光臨してきたように慈悲深く、いたわるような口調で何気ないことを話しかけてくるのだ。僕は罪人だったのだろうと思う。取り返しのつかない罪を犯した前科者なのだった。
 そういうことがあると、バレンタインという日が怖くなるのは当然ではないか。

 しかしながら時は流れ、今は平和にチョコなどもらえない中年親父に成長した。今年はつれあいの母からビールなどと、母親からラミーチョコを貰った。そしてもちろんつれあいもいつに無くやさしい。素晴らしい。なんと罪もなくいいバレンタインだろう。
 そういうわけで今は別にバレンタインが恐怖の日だとは思っていないが、誰にでも告白していい日だというのは、少し考えた方がいいとは思うのであった。告白事は、バレンタインの力を借りずに別に日に、できれば場所を選んで済ませておいた方がいいのではないだろうか。
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