カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

罪悪感からは何も生まれない

2007-09-08 | 
 味噌作りの打ち上げにバーベキュー。肉屋から差し入れもあったらしく分量は十分。なんとなく食うのをごまかそうと思ってひたすら焼き係に徹しようとするが、やはり少しは食ってしまう。いや、食うのは我慢する必要はないのだが、食い止める努力は必要なのだ。しかし、焼き係というのは、当然かなりの誘惑を受けることが判明。ジューシーにベストタイミングのロースやブタバラの姿は、めまいがするほど魅惑的なのであった。特に食いたくない葱間をひっくり返すなどごまかしにかかるが、視界からこれらが消え去ることはない。さっさとつまんで皿に移して遠くに追いやる必要があるようだ。
 しばらく焼いていてふと思ったのだが、いっそのこと焦がしてしまうのは効果的であるということに気づいた。僕は焼きすぎた肉が不快である。一気に食欲が減退する。肉汁したたる肉だからこそ美味いのであって、干からびてカリカリになるとそれはほとんど炭のいとこである。せっかく焼いているのにもったいない話なのではあるが、ある程度焼きすぎた肉をそのまま見せしめにおいておくと、ジューシーな肉と対比して威力を発揮するのであった。つまり抑止力となる。他人に食わせるのは肉汁で、僕が食うのは炭だと思うと、心の平安は守られた。夜ならアルコールが抑止力の枠をはずしてしまうが、昼には抑止力を破壊する物質が大量に供給されることもない。
 何とか難を乗り切ったはずであるが、片付ける時にちょうど手羽先のこんがりと色つきがいい姿に騙されて手にとってしまった。手に取ると軟骨まで食べてしまう習性がむくむくと芽生え、まあ、美味であった。
 しかしながら罪悪感や反省からは何も生み出されることはない。これは僕の言葉ではなく、50キロ減量に成功した岡田斗司夫の言葉である。まだまだ僕には達観される道に達していない。いないが、共感している。そういう自分を真正面から目をそらさないということが、一番大切な心掛けなのであろう。

 そういうわけで目をそらしたくなかったのだが、夜には長崎で記念式典に参加して懇親会でなんとなく魂の伝承のようなことをしてしまって、二次会にも行ってN島理事長のありがたくも大変に美味しすぎるピザの差し入れが残っていてもったいないと思ってつまみすぎて、そんでもって解散と思っていたのにフィニッシュラーメンにまでつき合わされて、替玉煮卵など注文してないのにサービスを受け、あと一歩で汁まで完食という事態まで滑り落ちる自分の姿を見ることは辛かった。ああ、しかしこれは記録します、夜だけで1500キロカロリー。来週は毎日200キロカロリーぐらいは減らしたいところだけれど、無理をするほうが危険なので100ぐらいづつ夜の分を返済することにしよう。そうすると二週間のスパンが遅れる計算になるので、僕のダイエット期間は11月までづれこむ予定となりました。
 言い遅れたが、僕がこの団体で培ってきた脂肪分を卒業までに返済する計画を立てているのである。何年かにわたって試行錯誤はあったが、既に13キロは返済した。残り7キロあまり。僕の楽しみはこの返済の毎日に変わった。卒業までみなさんどうぞよろしく。
コメント
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