恒例の大型設営日。朝5時半から起きて個人的な心の準備。前の晩にも酒を飲んだのでシャワーを浴びたりなど体調を整えなければならない。なにより朝からトイレを済ませておかないと、一日戦士としてはたらくことができないのである。僕の体の都合なので仕方がない。
そうしてまずは地清祭の清払い。
写真の記録がないので分かりにくいという話があったけれど、実は昨年も一昨年も写真を撮った覚えがある。僕自身も初めて担当した時は、事務局の資料を引っ張りまわして写真で確認した覚えがある。記録は毎年残っているのだけれど、探すのが手間なんだと思う。これだけのそれなりの歴史があるので、資料として残っていないものなど厳密にはないと思う。ほとんどの場合、読み取れるかどうかという問題に過ぎないのである。そして誰がやるという覚悟の問題。これがむつかしいが、核心であろう。
ご神木を神社に(当然のように)準備してもらった年もあるし、お供え物の内容も例年と違うわけではない。はっきりいえることは毎年同じじゃないということ。僕は権威主義が嫌いなので、こういうさじ加減でどうにでもなることは真剣にはならない。
お祭は神事が核だ、などと夏越の場合はよく言われることである。意味としては分からないではない部分もあるけれど、そういうことをいうこと自体が既に神事が核でない証拠であり自己矛盾であると僕は思う。はっきりとした一部の神事関係者の批判になるが、自分達がいいかげんだからそんなことを言われるまでに成り下がったのだろう。大切なら態度にあらわれる。担当の神官でさえ遅れ気味であらわれる程度の態度で、何が大切なものかといいたい。もちろん面と向かってはいいません。僕はそうやってこの祭りをバカにしているだけである。
さて、本当は文章ほどは怒っていない。僕が怒るのはどうにかなると期待している問題だけで、どうにもならない問題は考えるのも時間のムダである。現状としてこれはこれでいいのだ。一部引退おめでとう。
さて無事終了したので大やぐらの設営へと移動する。沿道の提灯設営なども同時進行となる。僕はどういうわけか設営部会に配属されたことが一度もなくて、以前まではドンのいた大やぐらに張り付いた経験もない。まさに最後の初体験。何をやるのかというと、作業の進行を見守るのである。
結果からいうと、やはりこういう役割も必要ではあると理解はできた。誰かがここにいなければならないということであろう。実状では僕はそこにいた一人に過ぎない存在であってドンの代わりをしたわけではないが、そういう時代もあってよかったのではないかと遠い目をして思うことはできた。
Kま副理事長が、それはそれで楽しかったのだという話をしていた。僕はよく喧嘩をしたほうだと思うが、面白くはなかったが、いい思い出になった。思い出だから面白いのかもしれないな、とも思う。既にノスタルジーとして寂しい気分に浸って炎天下の作業を見守った。
それにしても本当に暑い。うだるような暑さの中で時々は作業のお手伝いもして、頭の中まで完全にうだってしまった。汗でべとべとどろどろ状態でもある。もう長時間我慢比べなのである。
さて大やぐらの提灯の数は1189で「イイヤグラ」といわれている。だが、実際はそんなにたくさんの提灯の数ではないということも言われているらしい。事務局のY里さんから、この機会に数えてみては、といわれたので数えてみた。いや、小学生じゃないのでとても1000以上数える根気はない。目の前のやぐらをにらんで計算してみた。
天辺に一個少し大きめの(ぼろい)提灯。以下3個から始まって24個までの段がある。それぞれ4面あるので3個の段が12個。4個の段が16個というように4個づつ提灯の数が増えていく。順番に24段の96個まで足して行くと分かるが、こたえは全部で1189個である。そんなにないという説のほうが都市伝説でありました。破損部分も見つけてちゃんと足されていることも確認したので間違いなく1189個ありました。やっぱり「良い櫓」だったんだ。偉い。
ずっと駅前にたむろしているのも疲れたので、夕方からMもっちの手伝いに横断幕張りについていった。Mもっちは「どうせみんな見ないのではないか」と愚痴っていたけれど、あんがい多くの人が見るのではないかと僕は思っている。それにこういうものは気分である。ああ、夏越なんだな、という気分。行ってみようかなという気分。そういうものが風物詩であろう。一部危険な場所などもあったけれど、着々と横断幕をはってまわって、僕ももうすぐという気分を充填していったのであった。
さて、やっと夜になってやっと焼き肉で大型設営の打ち上げとなった。ビールをぐあーっと飲んで延々とホルモンを口に運んで生肉やキムチを食べて面倒なのでビールジョッキで焼酎つくって飲んでうたた寝する人がでるまで飲んで夜がふけた。T永委員長以外の人も、みーんな陽に焼けて真っ赤な蛸星人になっていたのであった。
そうしてまずは地清祭の清払い。
写真の記録がないので分かりにくいという話があったけれど、実は昨年も一昨年も写真を撮った覚えがある。僕自身も初めて担当した時は、事務局の資料を引っ張りまわして写真で確認した覚えがある。記録は毎年残っているのだけれど、探すのが手間なんだと思う。これだけのそれなりの歴史があるので、資料として残っていないものなど厳密にはないと思う。ほとんどの場合、読み取れるかどうかという問題に過ぎないのである。そして誰がやるという覚悟の問題。これがむつかしいが、核心であろう。
ご神木を神社に(当然のように)準備してもらった年もあるし、お供え物の内容も例年と違うわけではない。はっきりいえることは毎年同じじゃないということ。僕は権威主義が嫌いなので、こういうさじ加減でどうにでもなることは真剣にはならない。
お祭は神事が核だ、などと夏越の場合はよく言われることである。意味としては分からないではない部分もあるけれど、そういうことをいうこと自体が既に神事が核でない証拠であり自己矛盾であると僕は思う。はっきりとした一部の神事関係者の批判になるが、自分達がいいかげんだからそんなことを言われるまでに成り下がったのだろう。大切なら態度にあらわれる。担当の神官でさえ遅れ気味であらわれる程度の態度で、何が大切なものかといいたい。もちろん面と向かってはいいません。僕はそうやってこの祭りをバカにしているだけである。
さて、本当は文章ほどは怒っていない。僕が怒るのはどうにかなると期待している問題だけで、どうにもならない問題は考えるのも時間のムダである。現状としてこれはこれでいいのだ。一部引退おめでとう。
さて無事終了したので大やぐらの設営へと移動する。沿道の提灯設営なども同時進行となる。僕はどういうわけか設営部会に配属されたことが一度もなくて、以前まではドンのいた大やぐらに張り付いた経験もない。まさに最後の初体験。何をやるのかというと、作業の進行を見守るのである。
結果からいうと、やはりこういう役割も必要ではあると理解はできた。誰かがここにいなければならないということであろう。実状では僕はそこにいた一人に過ぎない存在であってドンの代わりをしたわけではないが、そういう時代もあってよかったのではないかと遠い目をして思うことはできた。
Kま副理事長が、それはそれで楽しかったのだという話をしていた。僕はよく喧嘩をしたほうだと思うが、面白くはなかったが、いい思い出になった。思い出だから面白いのかもしれないな、とも思う。既にノスタルジーとして寂しい気分に浸って炎天下の作業を見守った。
それにしても本当に暑い。うだるような暑さの中で時々は作業のお手伝いもして、頭の中まで完全にうだってしまった。汗でべとべとどろどろ状態でもある。もう長時間我慢比べなのである。
さて大やぐらの提灯の数は1189で「イイヤグラ」といわれている。だが、実際はそんなにたくさんの提灯の数ではないということも言われているらしい。事務局のY里さんから、この機会に数えてみては、といわれたので数えてみた。いや、小学生じゃないのでとても1000以上数える根気はない。目の前のやぐらをにらんで計算してみた。
天辺に一個少し大きめの(ぼろい)提灯。以下3個から始まって24個までの段がある。それぞれ4面あるので3個の段が12個。4個の段が16個というように4個づつ提灯の数が増えていく。順番に24段の96個まで足して行くと分かるが、こたえは全部で1189個である。そんなにないという説のほうが都市伝説でありました。破損部分も見つけてちゃんと足されていることも確認したので間違いなく1189個ありました。やっぱり「良い櫓」だったんだ。偉い。
ずっと駅前にたむろしているのも疲れたので、夕方からMもっちの手伝いに横断幕張りについていった。Mもっちは「どうせみんな見ないのではないか」と愚痴っていたけれど、あんがい多くの人が見るのではないかと僕は思っている。それにこういうものは気分である。ああ、夏越なんだな、という気分。行ってみようかなという気分。そういうものが風物詩であろう。一部危険な場所などもあったけれど、着々と横断幕をはってまわって、僕ももうすぐという気分を充填していったのであった。
さて、やっと夜になってやっと焼き肉で大型設営の打ち上げとなった。ビールをぐあーっと飲んで延々とホルモンを口に運んで生肉やキムチを食べて面倒なのでビールジョッキで焼酎つくって飲んでうたた寝する人がでるまで飲んで夜がふけた。T永委員長以外の人も、みーんな陽に焼けて真っ赤な蛸星人になっていたのであった。