カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

カジノ・ロワイヤル

2007-07-26 | 映画
007・カジノ・ロワイヤル/マーティン・キャンベル監督
 いろいろな意味で斬新な感じがする。もちろんそれは、ジェームス・ボンドなのである。青い目で金髪。バイオレンスも血なまぐさい。翌日になっても顔に傷跡が残っているようなリアル表現もある。強がりだって切羽詰っている。ダンディのようで、まだまだ青く、女にのめりこむ純情さも見られる。しかししかし、実にかっこいい。僕のボンド像は、いっぺんにダニエル・クレイグ一色になってしまった。少なくともこんなに共感の持てるダメ男の似合う二枚目も少ないのではないか。
 賛否あるのはシリーズものの常で、以前との比較でイメージがどうのという意見が分かれるのは仕方のないことだ。もちろんそういう見方をして面白いということがなによりである。僕は水野晴郎のように熱心な007ファンなのではないので、特に思い入れが深いということではないけれど、子供の頃から親しんだ007という思い入れぐらいは持っているようだ。ちなみに水野はゼロゼロナナといっていたような記憶があるが、記憶違いかもしれない。もしそうなら、ファンとしてダブルオーセブンといって欲しい。さらに「銀河鉄道999」も本来はトリプルナインというべきではないだろうか。
 この映画の構成がまた実に凝っている。始まりからのスピード感で一気に度肝を抜いて、中だるみのような甘いロマンスから終盤への人間成長まで、何本かの映画を観たようなまとまりのなさまで感じさせるが、いや、それでも作品としてよくできている。ジェームス・ボンドが作られていくというか、誕生するにはこれだけの最低のドラマ無しではありえないのだろうと思うのである。終わってからのカタルシスで、新たな時代が来たことを観客は悟ることになる。
 以前は一級のアクション映画の王道であったが、類似作が次々に作られ、ハリウッドのど派手路線に影が薄くなりつつあったようにも思う。近年は少し盛り返しては来たものの、なんとなくB級感の匂いのするシリーズという感じも漂いだし始めていた。まじめに観れば観るだけ笑いがこみ上げてくる。まあ、007だからな、というか、現代人が見るとこうなってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。そういう諦めの気持ちさえ芽生えだしていたのではないだろうか。それがどうだというのか。今回の堂々の表舞台に躍り出た質感の確かさは、シリーズ最高傑作の誕生であることの確信へと変わったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新任スタッフ紹介

2007-07-26 | 雑記

 死んだ前任の光君(パグだった)の後釜に、新しい精神衛生課長がやってきました。しかし、まだ若すぎて巡回業務は無理のようです。
 名前の由来はお母さんが「なつ(漢字なのかは不明)」さんなので、季節と音にちなんで「小夏」ちゃんに決定。コーギーとなにやら分からん種類のおとうさんとの間に生まれたということで、ずいぶん短足ぎみではある。そういうことで、もう少しで短足の「タン」ちゃんに決まりそうな危機に陥っていた。いくらなんでも何とかならないか心が痛んでいたのだが、無事に危機も乗り越え、「小夏ちゃん」で定着しそうであります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の支持政党

2007-07-26 | 雑記
 きっこのブログで紹介されていた政党との相性診断「えらぼーと」というヤツをためしてみる。僕の結果は以下の通り。

自民党 36%
民主党 32%
公明党 30%
共産党 26%
社民党 29%
国民新党 38%
新党日本 39%

 この結果をどう読むか。平均しているともいえるし、すべてにおしなべて低いともいえるのではないか。言おうと思えば比較的保守政党よりといえるのかも。しかし実のところ新聞の政治欄はほとんどパスするので、国民新党とか新党日本というのは知らない政党である。これは革新系なのか保守系なのか…。
 しかしながらこれで支持政党アリと考えるのはやはり無理がありそう。僕は基本的にアナーキストなのでこうなってしまうのかもしれない。それでも保守よりという感じは、ちょっと不快だ。政府転覆が夢なのに…。まあ、安倍さんは笑顔がかわいらしいので嫌いではない。あれだけみんなで支持していたくせに、ちょっとの間に裏切る国民が多いのには呆れてしまう。僕は文章を読むのが好きなので、安倍さんのけなげな文章も好きである。しかし自民党は一番嫌いな政党であろう。というか、あれは政党なのだろうか。
 いえ、本当は政治が生活に関係ないというのが理想なのだ。今だってそうなので、理想に近い社会で満足である。あれこれうるさいことは、みんな任せます。人の意見であれこれ変わる社会なんて信用できない。そんなの大きな声だから正しいといっているようなもんだ。正しいは大きい小さいに関係ない。そもそも正しいと断定する判断自体を怪しいと思うのが僕のフツーの感覚だ。こういう僕には政治はできない。だから無関心でなく、かかわらないのである。まあ、あそびなんで、ためしてみてはどうでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする