カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

年配の人はなぜマナーが悪いのか

2007-07-14 | 雑記
 午後から仕事がらみの会議へ出席。短く終わるという会長の宣言があったにもかかわらず、結局長時間の会議になる。要するに決定事項が見えない会議の所為である。僕には原因がわかっているがどうにもならない。式次第の議題を見て直感し諦める。ものすごくたくさんの意見があるが、すべて封印することに決めて会議に臨む。しかしながら僕の消極的な努力は当然報われず、話はひたすらわき道にそれて長くなってゆくのであった。
 昨日電話のマナーのことを少し書いたけれど、電話のマナーは圧倒的に年配者が悪い。もちろん若い人にも悪い人がいるけれど、年配者ほど無自覚ではないと思う。若い人でマナーが悪いのは、ちゃんと人間的にもひねくれているとか、精神的に子供だとかヤンキーのようなやんちゃな場合が多くて、それはそれでまっとうなことだという意味である。まあ、馬鹿なんだから仕方がない。
 しかし、ご年配の方は悪いという意識が希薄である上に、どんよりとしたあきらめの力も大きく、また、簡単に伝染もするのでタチが悪い。誰かが悪い習慣を行って、それが許容されると、たちまち皆右へ倣いでダーッと悪い方向へ流されてゆく。この勢いはなかなか止められるものではない。
 そういうわけで会議中にもかかわらずひっきりなしに電話がかかり、それぞれが急ぎ足で外へ出て行こうとする。中には窓を開けて顔を外に出して大声で話し出す人まで現れる。そうすることで体半分は会議に参加しているという主張かもしれない。エアコンが効いていたので、近くの席の人は露骨に嫌な顔をしていたが、もちろん本人には見えないのである。
「今は会議中で出られません」と大声で返答する人もいる。その前に電話に出ないことである。
 しかし、それでもそういう年配者を弁護できないではない仕方のない面も、確かにあるにはある。
 まず、電話の操作があまり分からないので、マナーモードという言葉と設定が分からないという人がいるようなのである。そういう機能があるらしいということを知っていても、自分の電話にそういう設定をすることは、ルービックキューブをするような難しい手順を必要とするものだと信じている人もいそうである。または最初から覚えることを拒否している。機械の操作は、自分の能力を超えたものであるという自覚があるのだろう。下手に操作すると、精密機械である電話が爆発する(壊れるも含む)と信じている人もいそうである。
 いくらなんでも幼児じゃないので電話に出ることはできるが、それ以外の操作なんて「おいら分からんもんね」状態を貫いているために、マナーまで悪くなってしまうのだ。
 そして公共のマナーという点では、公共という意識より、その場の世間という単位の慣れがあるので、比較的知り合いの多い場合には簡単に甘えてしまうのである。今回は会議とはいえ役員会という小規模なものなので、遠慮のタガが外れているのだと思う。悪気がないのが分かっているだろうという気の緩みである。だから講演会などのような席では、ちゃんと電源を切っているか、あえて忘れて鳴ったとしても、あわててその場に及んでから必死で停止ボタンを押すような行為をちゃんとするのである。その場合「ピ、ピ、ピ、ピー」という停止音もしっかり会場に響いてかなり恥ずかしい思いをするはずであるが、繰り返す人はちゃんと繰り返す。学習能力がなくなっている所為である。
 非常にしまりのない上に何も決定することができずに長時間の会議は終わった。僕はいろいろな空想をして時間をつぶしたが、何を考えていたのかは忘れてしまった。会議中にたくさんの資料が出ていたので、後日目を通さなければならないかもしれない。せめて時間のつぶし方も準備しておくのであった。
コメント
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