Jules Allen (1)
(西)ドイツ盤 Folk Variety Records FV-12502 Jules Allen The Texas Cowboy
(1)Little Joe The Wrangler (2)Jack O Diamonds (3)Po' Mourner (4)Somebody, But You Don't Mean Me (5)The Days Of '49 (6)Home On The Range (7)The Texas Cowboy (8)A Prisoner For Life (9)The Gal I Left Behind Me (10)Cowtrail To Mexico (11)Chisholm Trail (12)Long Side The Santa Fe Trail (13)The Cowboy's Lament (14)Little Old Sod Shanty (15)Punchin' The Dough (16)
2回にわたってカウボーイ・ソングの超クラッシックスとしてジュール・アレン(1883~1942年 テキサス州出身)の歌を採りあげます。 このレコードは私が American Cowboy Song に興味を持ってレコードを買い始めた頃に見つけた1枚。 かつてカントリーやフォークの分野でとてもユニークなレコードを出していたドイツ(まだ西ドイツ時代)の Folk Variety Records 社(今でもあるんでしょうか??)から出されたもので、もともとは小解説書( booklet ) が入っていたようなんですが 私が中古レコードで買った時は解説書は入っていませんでした・・・・・・残念だな-と長年思っていたところ なんとイギリスの非営利レコード会社 B.A.C.M ( British Archive of Country Music ) というところから「 Jules Allen / The Singing Cowboy complete recordings 1928-1929 」というCDが2008(平成20)年に出されたのです。 Carl T. Sprague と並んでカウボーイ ソングの古典としては最も初期に属する人なので American Cowboy Song に興味を持っている人は一度は聴いてみた方がいいかもしれません・・・・・素朴なカウボーイソングのあらゆる原点がここにある・・・と認識することができます。CDジャケットに Tony Russell という人が書いた解説があって Jules Allen について知ることが出来るので今回と次回で補足を加えながら訳して載せてみようと思います(CD写真は次回に)。
<解説>1930年代の間アメリカ西部を想起させるような音楽は hillbilly music の中で大きな位置を占めていました。後年 Country & Western という名前に変わってもそれは牽引車的な役割を担っていました。ジーン・オートリーや The Sons Of The Pioneers や Patsy Montana といった人達の歌の源となったカウボーイ達はその名前と遠い存在の姿として関連付けられるだけで、19世紀のアメリカ西部を切り拓いてきたタフな男たち( hard-bitten working men と表現 )と称されるだけで 依然として伝説上の人物でした。そして、彼等(G.オートリーたち)を知らしめた数々の歌は現実の西部よりもかなりロマンチックなものになったのでした。
もっとドキュメンタリー風にカウボーイの生活を照らし出すためには 私達は時代をさらにさかのぼらなくてはなりません。平原を馬で乗り回し 家畜に焼印を押すことなどを経験的に実際に知っている cowboy singer 達までさかのぼる必要があります。
1920年代の終わりに Jules Allen はカウボーイ達に歌われた歌を22曲レコーディングしました。風雨にさらされた声に簡単なギター伴奏で Little Joe The Wrangler や When The Work's All Done This Fall や Chisholm Trail といったトレイルソングを歌い語り、Home On The Range(峠の我が家)や Cowboy's Lament(カウボーイの哀歌=Streets Of Laredo ともいう)のような小曲 、加えて カウボーイの生活とは関係ないけれども開拓者(early settler song)の香りがする Little Old Sod Shanty や the Gold Rush や The Days Of Forty-Nine のような歌を歌ったのでした。 もしこれらの歌がカウボーイ ソングだけとしてレコードに生き残っていたらそれは素晴らしい優れた代表作になったことでしょう。
Jules Verne Allen は1883(明治16)年にテキサス州 Ellis County(郡)Waxahachie に生まれました。10才の時に母親が亡くなり、残された3人の幼い妹弟の世話をしなければなりませんでしたが 託された責任を当然のごとく受け入れ、カウボーイの仕事しか知らなかったのですんなりと叔父の牧場での仕事に従事するようになったのでした。こうして始まった仕事と長い放浪の人生、自分の来し方を36年後に新聞記者に語っています。1890年代終わりから20世紀初頭にかけて ジュール・アレンは牧場での仕事とテキサス、ニューメキシコ、コロラド、ワイオミング、サウスダコタなどへのキャトルドライヴでの仕事を経験しています。
1903(明治35)年の春 荒馬(bronc)から振り落とされて踏みつけられたうえに激しく蹴られて6ヶ月もギプスをつけて安静を強いられたことがあって・・・・・その間カウボーイとしての仕事が何も出来なかったので 母親が小麦粉の袋に入れて残してくれていたギターを初めて手にしたんだそうです、それからがプロの singing cowboy としてのキャリアにつながったというわけです。 彼はまたテキサスで保安官助手やリオグランデ河での(メキシコとの国境)国境警備隊員として従事したことがあり、6ヶ月間の勤務中に23回もの拳銃沙汰になるようなことに遭遇したと語っています。1905(明治38)年にはアメリカ陸軍に入隊して約2年在籍の後1908(明治41)から1913(大正2)年の間は仕事と歌でカロライナ、ジョージア、テネシー、オクラホマなどの諸州をまわってはテキサスに帰る-ということを繰り返したのでした。次の12、3年くらいはいったん姿を消しましたが 1920年代終わり頃までにはニューメキシコのアルバカーキ周辺ではベテランの芸人になっていました。1928(昭和3)年から1931(昭和6)年は Local Travelling Show の花形スターでした・・・・・・それはすなわち、アメリカの歴史や音楽、インディアン達の民族風習、メキシコ人を含む他のキャストによるタンゴや Bugle call、 フィドル( バイオリン)演奏、語りなどダンスや歌のショウとして提供するものでした(恐らくフロンティアが消滅してから始まったアメリカ西部を売り物にした Wild West Show の類のことを指しているんだと思います)。
しかし、1929(昭和4)年のイベントで、the Albuquerque Journal 紙が次のように書いています「その夜のハイライトは 細身の長い足を組みながらギターを抱えてカウボーイソングを歌うカウボーイ歌手のジュール・アレンだった・・・・・満場の会場に響き渡る声量豊かな甘い歌声で開拓時代のラブソングなどを歌って盛大な拍手を受けた。」・・・・・・・・・解説訳は次回に続く。
[ ひと休み: アハハ・・・・・いくら Cowboy Song が好きだといってもこんなに古い音源を何曲も通しで聴くのは途中で脂汗が出るほど苦痛になります・・・・・ただでさえ単調なものが多いので一日に3~4曲聴くくらいかな・・・・こうして1928,29年頃の音源がしっかりと現代の歌手にも活かされていることを思えばカウボーイ ソングの世界も奥が深いと言えます(ジュール以前はレコードなんかなくて歌は口伝えだけだったでしょうから)。それに 現代の歌手よりもずっと良い表現だと感じる曲もあったりで 古いからといってあなどれません・・・・・現代の歌手が70年も80年も昔の歌手に負けちゃいけないな・・・頑張れ-と思います。 ”Home On The Range (峠の我が家)”なんかも歌詞は同じでも現在一般に歌われているメロディと異なっています・・・・・が、こちらの方もとても味があっていいんですよね(不思議)]
(西)ドイツ盤 Folk Variety Records FV-12502 Jules Allen The Texas Cowboy
(1)Little Joe The Wrangler (2)Jack O Diamonds (3)Po' Mourner (4)Somebody, But You Don't Mean Me (5)The Days Of '49 (6)Home On The Range (7)The Texas Cowboy (8)A Prisoner For Life (9)The Gal I Left Behind Me (10)Cowtrail To Mexico (11)Chisholm Trail (12)Long Side The Santa Fe Trail (13)The Cowboy's Lament (14)Little Old Sod Shanty (15)Punchin' The Dough (16)
2回にわたってカウボーイ・ソングの超クラッシックスとしてジュール・アレン(1883~1942年 テキサス州出身)の歌を採りあげます。 このレコードは私が American Cowboy Song に興味を持ってレコードを買い始めた頃に見つけた1枚。 かつてカントリーやフォークの分野でとてもユニークなレコードを出していたドイツ(まだ西ドイツ時代)の Folk Variety Records 社(今でもあるんでしょうか??)から出されたもので、もともとは小解説書( booklet ) が入っていたようなんですが 私が中古レコードで買った時は解説書は入っていませんでした・・・・・・残念だな-と長年思っていたところ なんとイギリスの非営利レコード会社 B.A.C.M ( British Archive of Country Music ) というところから「 Jules Allen / The Singing Cowboy complete recordings 1928-1929 」というCDが2008(平成20)年に出されたのです。 Carl T. Sprague と並んでカウボーイ ソングの古典としては最も初期に属する人なので American Cowboy Song に興味を持っている人は一度は聴いてみた方がいいかもしれません・・・・・素朴なカウボーイソングのあらゆる原点がここにある・・・と認識することができます。CDジャケットに Tony Russell という人が書いた解説があって Jules Allen について知ることが出来るので今回と次回で補足を加えながら訳して載せてみようと思います(CD写真は次回に)。
<解説>1930年代の間アメリカ西部を想起させるような音楽は hillbilly music の中で大きな位置を占めていました。後年 Country & Western という名前に変わってもそれは牽引車的な役割を担っていました。ジーン・オートリーや The Sons Of The Pioneers や Patsy Montana といった人達の歌の源となったカウボーイ達はその名前と遠い存在の姿として関連付けられるだけで、19世紀のアメリカ西部を切り拓いてきたタフな男たち( hard-bitten working men と表現 )と称されるだけで 依然として伝説上の人物でした。そして、彼等(G.オートリーたち)を知らしめた数々の歌は現実の西部よりもかなりロマンチックなものになったのでした。
もっとドキュメンタリー風にカウボーイの生活を照らし出すためには 私達は時代をさらにさかのぼらなくてはなりません。平原を馬で乗り回し 家畜に焼印を押すことなどを経験的に実際に知っている cowboy singer 達までさかのぼる必要があります。
1920年代の終わりに Jules Allen はカウボーイ達に歌われた歌を22曲レコーディングしました。風雨にさらされた声に簡単なギター伴奏で Little Joe The Wrangler や When The Work's All Done This Fall や Chisholm Trail といったトレイルソングを歌い語り、Home On The Range(峠の我が家)や Cowboy's Lament(カウボーイの哀歌=Streets Of Laredo ともいう)のような小曲 、加えて カウボーイの生活とは関係ないけれども開拓者(early settler song)の香りがする Little Old Sod Shanty や the Gold Rush や The Days Of Forty-Nine のような歌を歌ったのでした。 もしこれらの歌がカウボーイ ソングだけとしてレコードに生き残っていたらそれは素晴らしい優れた代表作になったことでしょう。
Jules Verne Allen は1883(明治16)年にテキサス州 Ellis County(郡)Waxahachie に生まれました。10才の時に母親が亡くなり、残された3人の幼い妹弟の世話をしなければなりませんでしたが 託された責任を当然のごとく受け入れ、カウボーイの仕事しか知らなかったのですんなりと叔父の牧場での仕事に従事するようになったのでした。こうして始まった仕事と長い放浪の人生、自分の来し方を36年後に新聞記者に語っています。1890年代終わりから20世紀初頭にかけて ジュール・アレンは牧場での仕事とテキサス、ニューメキシコ、コロラド、ワイオミング、サウスダコタなどへのキャトルドライヴでの仕事を経験しています。
1903(明治35)年の春 荒馬(bronc)から振り落とされて踏みつけられたうえに激しく蹴られて6ヶ月もギプスをつけて安静を強いられたことがあって・・・・・その間カウボーイとしての仕事が何も出来なかったので 母親が小麦粉の袋に入れて残してくれていたギターを初めて手にしたんだそうです、それからがプロの singing cowboy としてのキャリアにつながったというわけです。 彼はまたテキサスで保安官助手やリオグランデ河での(メキシコとの国境)国境警備隊員として従事したことがあり、6ヶ月間の勤務中に23回もの拳銃沙汰になるようなことに遭遇したと語っています。1905(明治38)年にはアメリカ陸軍に入隊して約2年在籍の後1908(明治41)から1913(大正2)年の間は仕事と歌でカロライナ、ジョージア、テネシー、オクラホマなどの諸州をまわってはテキサスに帰る-ということを繰り返したのでした。次の12、3年くらいはいったん姿を消しましたが 1920年代終わり頃までにはニューメキシコのアルバカーキ周辺ではベテランの芸人になっていました。1928(昭和3)年から1931(昭和6)年は Local Travelling Show の花形スターでした・・・・・・それはすなわち、アメリカの歴史や音楽、インディアン達の民族風習、メキシコ人を含む他のキャストによるタンゴや Bugle call、 フィドル( バイオリン)演奏、語りなどダンスや歌のショウとして提供するものでした(恐らくフロンティアが消滅してから始まったアメリカ西部を売り物にした Wild West Show の類のことを指しているんだと思います)。
しかし、1929(昭和4)年のイベントで、the Albuquerque Journal 紙が次のように書いています「その夜のハイライトは 細身の長い足を組みながらギターを抱えてカウボーイソングを歌うカウボーイ歌手のジュール・アレンだった・・・・・満場の会場に響き渡る声量豊かな甘い歌声で開拓時代のラブソングなどを歌って盛大な拍手を受けた。」・・・・・・・・・解説訳は次回に続く。
[ ひと休み: アハハ・・・・・いくら Cowboy Song が好きだといってもこんなに古い音源を何曲も通しで聴くのは途中で脂汗が出るほど苦痛になります・・・・・ただでさえ単調なものが多いので一日に3~4曲聴くくらいかな・・・・こうして1928,29年頃の音源がしっかりと現代の歌手にも活かされていることを思えばカウボーイ ソングの世界も奥が深いと言えます(ジュール以前はレコードなんかなくて歌は口伝えだけだったでしょうから)。それに 現代の歌手よりもずっと良い表現だと感じる曲もあったりで 古いからといってあなどれません・・・・・現代の歌手が70年も80年も昔の歌手に負けちゃいけないな・・・頑張れ-と思います。 ”Home On The Range (峠の我が家)”なんかも歌詞は同じでも現在一般に歌われているメロディと異なっています・・・・・が、こちらの方もとても味があっていいんですよね(不思議)]
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