西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

小紀行 田原坂を訪ねて

2018年04月08日 | 歴史はロマン…九州の歴史を中心に


風雲 ! 田原坂 古戦場
熊本市から博多に向かうJ R鹿児島本線の2つ目か3つ目に植木駅、田原坂駅がある。1877( 明治10 )年の日本最後の内戦 西南戦争の激戦があったところで、その戦場跡を訪ねてみた。今年( 2018=平成30年 )は明治維新150年だけども西南戦争140年の年でもある。

私にはほんの少し関わりのある処です......亡き父が生前に " お前の曾祖父( ひいじい )さんは西南の役の時に田原坂がある植木という処で戦死したんだよ。2月中頃の雪の日に国分( 現在の霧島市 ) から出て行って帰らなかった...... " と話していたのでいつかは訪ねてみたい処だった。

田原坂公園には資料館、弾痕あとが残る蔵( 復元 )、戦没者慰霊、その他色々な石碑があった。戦没者慰霊に向かって " 曾祖父( ひいじい )さんはこんな処で戦って亡くなったんだ......" としばし瞑想。曾祖父さんは一粒種の男の子( 祖父 )を残した、それによって今の私がいる。曾祖父さんの弟もここで戦死している。ちなみに、曾祖父( ひいじい)さんは戊辰戦争でも薩摩藩の一員として奥州仙台まで戦さに行ったようで......その時の筆書きの日記を見せてもらったことがある( 父は次男だったからその日記は本家にある )。
こんなことを考えてみると150年前というのは近い感じがする(^^)......果たして曾祖父( ひいじい )さん兄弟は西郷さんを見ただろうか?(^^)


ところでこの慰霊塔には左側に薩摩軍、右側に明治政府軍の戦没者慰霊の名前が刻んである。曾祖父さん(指さし)とその上に弟の名前も( 鹿児島県 )姶良郡 国分のところに載っている。驚いたことに戦没者の出身がほぼ日本全県に渡っていることだ......まさに日本最後の内戦だったといえるんだなぁ( 実感 )。

興味深いことがたくさんあったのでまた追々載せてみるつもりです(^^)
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