高山彦九郎の九州
長い間かかってやっと吉村 昭の ” 彦九郎山河 “ を読み終えた。途中まで読んでは一旦やめ、前のストーリーがわからなくなってまた初めから読んで……の繰り返しだった🤣
幕末の勤皇思想の先駆けとなった人への理解を深めるための小説だった。
吉村さんが高山彦九郎に興味を持ったのは「解体新書(ターヘル・アナトミア)」の訳者の中心的役割りを果たした前野良沢のことを小説にするために調べものをしていた時、何故か高山彦九郎が出てくることに気づいてかららしい。戦前の軍国日本の皇国史観に利用されて曲解された高山彦九郎、彼が残した膨大な日記を読み、彼の本来の姿を是正したい気持ちからこの小説を書かれたらしい。日本史の歴史教科書には出てこない人ですね。
小説には3本の筋が通っている
①身内内の確執(実兄との)
②多くの学者達の著した書物から蝦夷地、千島列島がロシアの侵攻の恐れを感じて蝦夷地に渡り実地検証を目指した時代
③徳川氏の幕藩体制を批判して天皇による文治政治に戻すべき…との王政復古思想を広めるための活動
驚くべき行動力で全国を行脚している、しかもハッキリした目的を持って🤣早くから幕藩体制から天皇中心の統治に戻すためには有力大名、特に薩摩藩の後ろ盾が必要と判断して九州に赴く……幕府からは危険思想の持ち主として目をかけられているので漫遊の旅を装うため九州各地を訪ねて各地の学者、有力者と交流しながらの旅。
高山彦九郎が鹿児島まで来ていたことを知って驚いた。開聞岳にも登り、枚聞(ひらきき)神社や霧島神宮にも参拝、坊ノ津までも行っている🤣
江戸時代の薩摩藩は他国からの出入りを厳格に制限している……高山彦九郎も入国するのに野間の関所(鹿児島県出水市)で半月も待たされている。薩摩藩では始め歓迎され、入国の目的が知れるにつれて疎まれていく……失意の彦九郎はその後も九州各地を放浪するが如く点々とする。最後に頼ったのは久留米藩の藩医 森 嘉膳……その屋敷で失意のうちに自刃する。
早すぎた勤皇思想家だってのでしょう。藩という確固とした後ろ盾のない孤独な思想家……久留米の寺町地区の遍照院に墓がある。幕末期の勤皇の志士と言われた人達は久留米を通る時は必ずといっていいほど高山彦九郎の墓前を訪れたとのこと。
高山彦九郎 上野国新田郡細谷村(現在の群馬県太田市)の出身
吉村 昭さんは ” 私は、彦九郎の日記を読みながら、かれの豊かな教養と純粋で物悲しい人間性に魅せられた ” と書いておられますが、この本はまさに吉村さんの情熱が感じられる作品でした。鹿児島まで来た高山彦九郎だけど、鹿児島でのその手の郷土本なり資料なりがあまり見当たらないなぁ?
しばらくしたら5/18のところにに戻す予定