銚子・角巳之・三代目

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クマのこと...②

2023年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム

クマのこと...について真っ先に思い浮かぶのは、これまた何度も掲載させて頂いてきたこと
ですが、イオマンテ...。アイヌの熊送りのこと。昨今語られる薄っぺらい“共生論”ではない、
人が生きて行くということについての、慈しみと残酷さ...相反する感情のこと...。

イオマンテについて今回は詳細を省略しますが、ある種の信仰、宗教祭事に近いと思われる
一面の他、人を襲う悪いクマについては懲らしめる...。殺したのちに晒すなどの過酷な対応
をしていたという記事を拝見しました。崇め、慈しむ存在のクマも共生できなければ...。

クマ被害に遭った自治体で駆除を行ったところ、可愛そうだ、なんてことするんだという
クレームが殺到しているようです。しかしながら人が被害に遭っている。再び被害に遭わぬ
よう、その有効な代案が無ければ駆除やむなし。人が生きるということはそういうことかと。

ただし遠因は人にあり、無秩序に殺生を繰り返すことは厳に戒めねばなりませんし、これは
国内一部地域で起きている特異なことではなく、様々な分野において生きるとは、共生する
とはどういうことか?真剣に考える契機にすべきことと思います(続きは次回に)

クマのこと...①

2023年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム

朝夕めっきり寒くなって参りました...。つい10日ほど前、11月に入っての夏日?なんて
報道されていましたが、それが一転です。四季が無くなる(殊に春と秋)...。極端に暑いか
寒いか、そんな状況になっていくのでしょうか? まずは皆さん、何卒ご自愛下さい。

農作物については高温障害多発、トマトなど狂乱相場になっておりました。知人のトマト
農家も困惑しきり...。相場とんでもなく高いけれど、出すものがない(育たなかった...)
そして自然界でも同様にエサが無い...、クマ出没の話題が連日報道されております。

クマ被害のこと、農作物等を食い荒らすだけでなく、特に東北地方において人への被害が
出ている訳で、もはやこれは非常事態...。原因は地球規模らしいですが、直接被害に遭った
地域では、いまそこにある危機であるも、そうでなければ国内であっても遠いところの話...。

温暖化の議論同様、極めて重い社会課題が目の前に突き付けられているように感じております。
共生という言葉の本当の意味を知っていくでしょうし、里山という緩衝地帯のことなど...。
少しこの話題続けます。本日本文と写真無関係...。久しぶりに屋上からの風景です...。

(長年)ぶり...④

2023年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

非常に長く続いた行事を中止せざるを得ない...。それにはやむにやまれぬ事情があるのでしょうし、
それを決定する方の苦衷はいかばかりかと。かくすれば・かくなるものと・知りながら・やむに
やまれぬ大和魂(吉田松陰)。後世まで汚名を着せられても断固たる決意で中止。覚悟の領域です...。

最近、最後の将軍・徳川慶喜の評価が見直されているようです。時代を切り開いた初代(家康)は
神格化され、それを終わらせてしまった慶喜は暗愚であったのか? 否...ということであります。
260年ぶりの政権交代。終わったのではない、新たな時代へ...汚名を着せられても終わらせた。

やはり始めることより、終わらせることの方が遥かに難しい。終わらせる時に必ず頭を過るであろう
始まりのことについて。銚子半島駅伝についてはバックナンバーに多々掲載しておりますが、戦後の
混乱期(食うや食わずの時代)、当時の大人は次代を作る逞しい若者を育てるために開始した...。

何年か前のスタート時、注意事項の説明の最後に、駅伝のタスキは渡すものではありません...。
“託す”のです。この言葉が忘れられません。託し続けて74年...。それが終わるのか?次の時代を
作るために終わらせるのか? この差は天と地ほど違う...。歴史が証明しております。
 



(長年)ぶり...③

2023年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

これまた30数年ぶりの円安傾向で、輸出を中心とした上場企業の利益は増大している...と
新聞紙上などで報道されております。30年前は輸出企業は厳しかったと聞いておりますが
輸入には有利で、各地で“円高差益還元セール”なる催しが行われていたこと記憶しております。

これらのこと、振り子の作用・反作用のように左右に触れてはやがてバランスする。振れ幅
が大きく、時間が掛かったとしても、何らかの周期で“繰り返される”ことは必定のようです。
そして始めることは難しいが、終わらせることはもっと難しい...このことを。

昨日、銚子半島駅伝大会が74年の歴史に幕と掲載しました。中止の理由はピーク時85校
の参加があったものが、昨年16校。さらにはスタッフ、教職員の負担が大きいこと...と。
私は18年間、走路要員のボランティア行って参りました。18年なんて可愛いものです...。

私の周囲のほぼ全員、18年どころか、20年、30年のボランティアばかり...。見返りを
求めている人は一人もおらず、新春の風物詩、中学生の一生懸命な姿に感動し、他地区から
お越しになるチームとの交流も楽しみの一つでありました...(続きは次回に)

(長年)ぶり...②

2023年11月11日 | 日記・エッセイ・コラム

オレンジ(原料)が不足し、オレンジジュースの販売を中止せざるを得ない事態が起きている
ようです。折しも先日、日本人は農なき国を選ぶのか?...ということを掲載させて頂きました。
農業基本法にある”選択的拡大”を旗印に、ミカン栽培を拡大された生産者はその後...。

その後、俗にいう牛肉・オレンジ交渉にて自由化が決まりミカンの木を全て撤去してしまった。
輸入オレンジと国産ミカンが競合してしまい、価格競争力ない国産ミカンが暴落(違う商品
なのに...)詳細省略しますが、これまた30数年前の話です...。

30年前の事情を考慮せず、30年後にその“結果”のみを論ずることはフェアではありませんが、
何十年ぶりに〇〇...という話題を見るに事欠かない昨今の世相、そういう“年回り”なのかもしれ
ません。オカルト的(根拠なし)ですが、阪神が優勝すると...。虎党に怒られるのですが...。

先日、(銚子)新春の恒例行事である、銚子半島駅伝大会を中止するとの報道がありました...。
74年間続いた恒例行事、これを楽しみに練習に打ち込んできた生徒の皆さん、長い歴史の
中で箱根、国際大会のランナーまで輩出してきた大会が...(続きは次回に)

(長年)ぶり...①

2023年11月10日 | 日記・エッセイ・コラム

阪神の38年ぶり優勝!...。こう書いて、阪神ファンじゃありませんが...と続けると無粋ですが、
監督さんの、当時27歳だったんですよね...というコメント聞いて往時を懐かしく思い出して
おります。当時(38年前)私は高校1年生でした。同じクラスに熱狂的な虎党おりまして...。

そう言えば、うしろの黒板に阪神のマジックナンバーが書いてあったな~。部分、部分は必ずしも
正確な記憶でないとしても、風景全体が蘇って来るような感覚になる50代半ばであります...。
この38年ぶりに象徴されるように、30年、40年...(長年)ぶりという表現、増えたような...。

写真は毎日購読しております水産専門紙...。北海道道東(釧路周辺)でイワシが豊漁。殊にミール
(飼料)用のイワシが多く、釧路港は32年ぶりにイワシ水揚げ100億円を突破した...と。釧路
は私が小学校の頃、全国水揚げ1位の港であると教わった場所(2位・八戸、3位・銚子でした)

栄枯盛衰、諸行無常...、栄えたものは必ず衰退して参りますが、終わらせ方に(始まり)が宿って
いる場合(歌の歌詞ではありませんが)、長い年月を経たとしても、どこかでまた花咲く日が来る...。
ということでしょうか。思うところありこの話題、数日続けます...。



月下氷人②

2023年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム

月下老人、氷人共に中国の故事であり、老人が有していた赤い糸について尋ねると、この糸で
結ばれればそれがご縁とか、氷の上と下は陰陽でありそこに立っているというのは仲立ちである
とか、様々な故事の由来をお聞きしましたが、細かな話は省略と致します。

故事成語の面白さは、その由来だけでなく韻とか雰囲気とか...。確かに月夜、月下と聞くと、
オオカミが吠えたり、モンスターが覚醒したり...。洋の東西を問わず、不思議な魔力とも言うべき
何かが宿っているように感じます。さしずめ、海の月下氷人は漁師の方々...。

銚子沖に魚がいたとしても、そこに赴いて魚を獲る方々がいなければ、我々一般市民は魚が食べ
られない。漁獲もご縁とすれば...、“袖すり合うも他生の縁” 躓(つま)づく石も縁の端”
一樹の陰、一河(いちが)の流れも他生の縁...そんなことわざの数々もあるようです。

今、広い太平洋のそのどこかを泳いでいる魚...。その魚を探しに小さな端緒を手繰りながら操業
する漁師さん方。海の月下氷人は、まさに魚と人を繋ぐ仲人...。最近殊に、何かと何か。人と人
“繋ぐ”ということについて、その重要性を益々感じているところです。某日、月下にて...。

月下氷人①

2023年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム

いつもの事務所前、午後8時頃の風景です...。二艘巻き船団が出漁して行きました...。私の
写真技術ではこれが精一杯でしたが、いい具合に月が出ておりました。漁師の方々は月を
愛でるなどそんな場合ではなく、真剣勝負への出漁前の緊張が伝わって参りました...。

私は、そんな漁師の方々の状況をよそに、何故か月に惹かれておりました...。スーパー
ムーンとか、そんな特別ではないただ日常の月...。月の下では様々な人間の営みが続いて
いるでしょうし、何気ないこと(月が出ているとか)...そう感じること大切だな~と。

月には不思議な魅力あり、月に関することわざも多いです。ふと月下(げっか)という
言葉が頭を過りまして、月下氷人(げっかひょうじん)という言葉を思い出しました...。
月下氷人...、いわゆる仲人の意。その由来、特に気に留めておりませんでしたが...。

月下老人という言葉があります。これも仲人の意。さらに氷人。こちらも仲人の意...。
この月下老人と氷人が合わさって、月下氷人...。これまた仲人の意味。何かと何か、
人と人、様々なものを繋ぐ、くっ付けるという意味なのですが(続きは次回に)

(鯉の)滝登り!

2023年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

あと2ケ月でウサギさんが去り、龍(竜・辰)がやって参ります。事務所の壁に鯉の滝登り図を
掲げておりました...。この鯉が険しい滝を登りきったら龍になる...。この険しい関門が“登竜門”
(とうりゅうもん)であり、鯉の滝登り図は縁起物として全国各地で愛でられていると思います。

鯉が滝を登ったら龍になる?...と疑念を持たれる方は、ここでお話は終了...。頭の中に大きな滝
を思い浮かべ、登れるはずのない大きな滝に挑む鯉に思いを馳せる。さて、どんな滝でしたか? 
激流でしたか? 鯉の大きさは?...そもそも挑もうとしましたか? そして登りきれましたか?

私の幼少期(50年くらい前の話です)、毎晩酒盛りしている大人(漁師さん方)が飲んでいた
一升瓶に書かれていた銘・滝鯉(たきのこい)。妙にこの名前覚えております。当時の大人達は
このお酒飲んで最終的に龍ではなくて、虎になってましたが...(すいません)

いっそのこととてつもなく大きな滝、鯉を想起しよう...と。流れは激流、泳ぎを止めたら弾き飛ば
されてしまうような...。先日の石の話と近い...、登り切った鯉が善なのでも、弾き飛ばされた鯉が
悪なのでもない。そもそもこの滝、登ろうとしたではないですか?こういうことかと思います。 

身土不二!

2023年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、NHKアーカイブスという番組(過去に放映された傑作選の放映)、食い入るように
拝見しておりました。タイトル:日本人は農なき国を望むのか?...。高名な農民作家である
故・山下惣一さん(実名ご容赦を)の特集でありました。

私の師匠のお一人に、その生涯を農協運動に捧げた方(故人)がおられ、その方との接点から
山下さんの書籍、何冊読んだことかと...。お会いしたことはありませんが、何度かお見かけした
ことがあり(TPP反対運動などの場で)その発言、いつも衆目を集めておられました。

国の政策で指定品目の増産を行うも価格暴落、そこに自由化が拍車を掛ける。農業は人の命を
育む産業であるにもかかわらず、食と農の距離は益々離れる。やがて農業は成長よりも安定、
拡大よりも持続、競争よりも共生...に辿り着く。そして身土不二と言う言葉...。

身土不二...。身(人間の体)と土は同じ。その人が暮らす四里四方(今でいう16kmくらい
の範囲)で採れた食べ物で生活するが良い...。今、山下さんの本を引っ張り出して片っ端から読ん
でます。思わず笑ってしまうような皮肉の中に、色褪せない珠玉の言葉が並んでおります...。

おかひじき!

2023年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

以前から、“おかひじき”なる野菜があることは知っておりましたが、好んで食べようとは思って
おりませんでした(すいません)...が、最近、流行言葉で言えば“ドはまり”最強のスーパーフード
にして美味しい野菜。ここ数日の論調に従えば、ここでもまた新常識...であります。

“おかひじき”とは何ですか?と、知人の生産者の方々に聞いたところ、ヒユ科、アカザ科、オカ
ヒジキ属の野菜...。専門的な話は別にして“陸の海藻”“畑のひじき”とも呼ばれ、もともと海岸沿い
に自生していたものが栽培植物化された。山形県では地域の伝統野菜として親しまれている...と。

生態、栽培についてその歴史や専門的なことは詳しくありませんが、それを食べて美味しいと
思ったことは事実で、その後知人の医師等から積極的に摂取するよう勧められた...という次第です。
銚子のお隣、旭市で栽培され、スーパー、道の駅等で販売されていると聞いてから定期購買です。

低カロリーで、ビタミン、ミネラルそして食物繊維が非常に豊富。しかも私が生活しているところ
から近くで栽培されている...。折しも先日、“身土不二”という言葉に再び出会ったばかりでした。
まさに灯台下暗し...。ネット等でもレシピ集かなり掲載されてます。それだけ話題ということです。



1/3減・3倍

2023年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

東北で南の魚が...。夏の魚が冬に獲れる...。このような話題、枚挙に暇が無くなって参りました...。
昨日の話ではありませんが、常識というもの、入梅時期にイワシ、秋にはサンマ...はもはや、
幻想と思った方が良いかもしれません。今揚がっているものが“すべて”です...。

最近、銚子の底引きでサバが揚がる。カニ(もはや幻と言われていたキンチャクガニ)の水揚げ
多い。3.11前後のトラウマ持つ方もいて、昨今の(水揚げ)状況、海の中が変化しているんじゃ
ないか?という方多いです...。これでヒラメ、ヤリイカの大量(尋常でない量)水揚げあったら...。

以上、根拠ない感覚に基づく話ですが、常に備えを...と思います。さて水産専門誌等を拝見する
と概ね、水揚げ量は例年の1/3前後に減少。単価は高く同3倍くらい。これが銚子はじめ全国
主力港の趨勢かと思います。水揚げ1/3で単価3倍ですから、船や市場は“前年並み”...。

他方、仲買人はたまったものではなく、絶対量が少なく単価が高い=買える魚が無い...。魚屋さん
が魚を仕入れられないのですから...。銚子港にサンマはまだ水揚げありませんが、代わりにカツオ
が多い気がします。しかも脂がのって非常に美味しい...。本当に美味しいです。

常識...②

2023年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

千葉(合宿)からこの場に戻ってきた時の安堵感...。不思議なものでこの場に立つと30年
以上前のことが一瞬、蘇って来るようであります。もちろん千葉(南房総)は良いところ
です。たまたまその“場”で行っていた合宿がトラウマになっているだけですので...。

この10年近く、毎年春は南房総からと題して早春の南房総を満喫しております(爽快です)
人の記憶など都合良いもので、如何様にも書き換えられる。常識はその時代、大多数が
抱く偏見と書きましたが、妄想でもあるのかもしれない...。30年前、平成元年頃の記憶です...。

千葉から逃げたくて、東京に帰ってホッとした。現在は春を迎える年中行事として、この間
30年...、いわゆる“常識”ということ、どう変わったでしょうか?あるいは同じですか?当時
の常識今の非常識(逆もまた然り)怪しい常識に縛られるとは偏見、妄想に縛られるに同じ。

一般的に失われた30年というらしいです。その頃円高(80円くらい)でした。経済的な
こと、専門家の方々からすれば様々な意見あるのでしょうが、その後30年生きて来ました。
常識を偏見・妄想、登ること善、降ること悪(ではない)に共感する今日この頃であります。


常識...①

2023年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム

上京時の写真が2枚残っておりましたので、本日、明日とこの写真を。JR御茶ノ水駅と駅前の
スクランブル交差点...。今から30年以上前、上京して間もない頃千葉(南房総)へ合宿に行き
あまりに過酷で...。この場に帰ってきてホッとした...。つい数ケ月前まで千葉県民だったのに...。

本日・明日、本文と写真全く関係ありません。さて、本日の話題“常識”...。先日知人が“常識”
とは、その時代の大多数の人が抱く偏見である...と喝破されました。また投げられた石にとって
落ちるのが悪いことでもないし、登るのが良いことでもない...と。

16世紀の哲学者、あるいは古代ローマ賢帝の言葉の引用らしいのですが、何の抵抗もなく腑に
落ちる...。何百年、いや何千年前に生きた人が語った(であろう)言葉に共感する。すなわち、
人の営み(感覚)は、“幾千年の昔より”変わらない。以って歴史を学ぶ、温故知新ということか...。

ちょっと前まで千葉県民であったものが上京し、にわか都民となり、ホームシックなど感じる暇
もないまま合宿(千葉)に行き、一刻も早くこの場(千葉)から去りたいと思う自分がいた...。
しかしながら、この実体験を共有した仲間とは家族以上の関係で今でも...(続きは次回に)

神保町~九段界隈②

2023年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム

本日から11月...。今年もあと2ケ月。師走になってからでは何もかもが慌ただしくなります
ので、今年の課題は今月内に反省し、来年を“登り竜”の年にしていきたく思います(気持だけ
でも)さて、神保町~界隈の散策...。靖国神社前に到着致しました...。

九段下の坂道を上りその先にいらっしゃいました、大村益次郎像。その顔は遠くの一点を見つめ
ております。この方角に“上野のお山”があり、徳川(時代)終焉の象徴、彰義隊が立て籠もって
いたのであります。旧来の既得権者と改革者。ともに“大義”あるも、これが時代の流れ...。

旧時代の特権階級、殿様や侍...。明治維新成り、もう殿様は必要ありません。侍不要です...と
言われても、これが時代の流れだ致し方ない...と思えた人は僅かでしょう。何故?どうして?
立場が180度変わってしまう、その状況受け入れ難し...。さりとてどう振舞って良いものか?

前時代と新時代の中間は移行期であり、矛盾期。まだまだ旧時代の惰性(習慣)は抜けず、
時代は変わってもなお、昔は良かった...と。昨今の状況、DXだ、SDGsだ、ああだ、こうだ..。
変わらなきゃ...。“温故知新”という言葉がピッタリの神保町~九段散策の道中にて。