銚子・角巳之・三代目

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中央突破!

2009年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4053 中国古典・呉子に曰く、死を必(ほっ)すれば則(すなわち)生き、生を幸(こいねが)えば則ち死す....。さて、篤姫、直江兼継....、10年位前なら、歴史好きの方であっても、かなりマニアックな部類の方しか知らなかったであろう歴史の登場人物....。やはり世相でしょうか? そこからは“義”とか“愛”とか、“忠節”とか“節目”とか、現在ではもしかしたら死語になってしまったかもしれないキーワードが浮かび上がって参ります。逆説的に現代が渇望する姿がそこにある....。今月号の“歴史街道”は、薩摩の英雄・島津(惟新斎:いしんさい)義弘の特集でありました。島津義弘、戦国最強とも呼ばれる薩摩の総大将....。サブタイトルに、つねに寡兵(少ない兵力)をもって、大軍に勝ち続けた男....と。生い立ちから、歴史に名高い、関が原の中央突破まで、史実を克明に追ったその内容、たいへん興味深く読みました。お家事情、また時の権力者に翻弄されるも、何の恨み言も言わず、ただ与えられた領域でベストを尽くす。絶望的な状況の中、彼の部下達はむしろそんな状況を喜ぶかの如く....。島津の必殺戦法“捨てがまり”.....。大将を逃がすため、最後尾の兵達は死ぬまで戦い時を稼ぐ....。それを可能にした島津軍団・絆の強さ。関が原の中央突破。時に惟新斎義弘66歳。当時としてはかなりの老齢。なれど、次代のお家安寧を願い、東軍にも西軍にも味方せず、ただ島津の戦いをする....と。“惟新”斎義弘のDNAが幕末の薩摩において、西郷、大久保など“維新”回天の志士達に受け継がれていく.....。かくの如き負け戦の時は、死ぬと思えば必ず死ぬ。敵の猛勢の中に駆けよ!薩摩武士の意地を見せい....。生を幸えば則ち死す。物理的な生死ではなく、その姿勢。先が見えないと言われている昨今の世相に一石を投じるものか....と。写真は利根川沿いに放牧されている丑(牛)さん達であります。