銚子・角巳之・三代目

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満願寺

2006年10月07日 | 銚子の風景

100_0513 さて満願寺。ここは以前掲載しました坂東三十三霊場の二十七番目・円福時(えんぷくじ)の奥の院であります。坂東巡礼はじめ諸国巡拝を満願した方々の浄財喜捨(お布施など)によって建立されたお寺である事から、これから巡拝発願する方から、満願成就された方までの集会所のような位置付けのお寺であります。巡礼にも作法があって、四国八十八ケ所はまず京都の東寺さんに参拝し、弘法大師の前で決意を語り、巡礼を始めたら笠や衣服の裏には“同行二人”の文字。同行二人とは、四国遍路の開設者・弘法大師と常に一緒の意だそうです。四国八十八ケ所は弘法大師の足跡を訪れる巡礼、これに対して坂東三十三ケ所は観音様巡礼。作法もあるようですが、どのようにするのが良いのか現時点で私には分かりません。坂東三十三ケ所は、西国三十三ケ所、秩父三十四ケ所と合わせて百観音霊場とも呼ばれております。満願寺の入り口に掛かっている“補陀落山(ふだらくさん)とは、観音様がお住まいになっている地を指すのだそうです。観音様は33通り(無限の意だそうです)に姿を変えて、人々を救済すると言います。これまた三十三。この数字には意味があるのだと思います。観音様信仰は全国各地にあります。何故坂東三十三ヶ所で何故その二十七番が銚子にあるのか?など、地域信仰を切り口に日本各地と銚子の繋がりを知る機会になります。こう考えると日本史は面白い。地域も面白い。繋がりはもっと面白い...。受験勉強の歴史は嫌いでしたが、こう考えると歴史は面白い。この辺は機会を見つけ改めて掲載する事にします。