“ 一隅(いちぐう)を照らす、これすなわち国宝なり”天台宗の開祖・伝教大師(最澄)のお言葉です。一隅とは今我々がそれぞれ立っているところ(家庭、職場、地域...)、国宝とは歴史的な建造物とか金銀財宝ではなくて尊いものの総称、人が生きて行く上での指針を示していると思います。自分の置かれた立場・環境でベストを尽くす事こそ“一隅を照らす”行為ということでしょう。犬吠埼しかり。この姿こそまさに国宝ではないかと思います。さて本日は少々堅苦しい話から始めました。私は宗教の専門家でもないし、人様に偉そうな事を言えた立場では全くありません。ただブログを継続してきて気付いたことがあります。私は37歳ですが、突然37歳になった訳ではありません。そこに至る過程で沢山の人に有ったり、色々な経験をしたり....。今銚子にいて、毎日ブログを書いて、そのブログのネタ探しと言う事で、いつもカメラ片手に銚子の風景を眺めております。そうすると不思議な事に、幼少の頃、近所の漁師さんが言っていた事、授業時に先生が言っていた事、サラリーマン時代の経験、恩師の言葉、先輩・後輩・同級生の言葉、何かの本で読んだりTVで見た事....、細かな部分は定かでないところも多いのですが、それら沢山の事が、目前の1つの風景の中に凝縮されて飛び出してくるような感覚になることがあります。“一隅を照らす”という言葉は学生時代に延暦寺を訪れた時に聞いた言葉ですが、夜の犬吠埼を見た時に、何故かこの言葉がハッキリと浮かんで参りました。続きは明日。